| ＩＸ |
| あたたかな陽射しが、燦燦と降り注ぐ穏かな昼下がり。 今日もいい天気だ。 （インディアン・サマーって、日本語で何ていうんだっけか） ジェットは窓を開け、空へ向かって大きく伸びをした。 ああ、こんな日に、籠の鳥みたいに教室に閉じこもってないで、青空に飛び出していけたら。 まっすぐに、高く、高く飛んで、宇宙まで飛んでいければいいのに。 本当に地球が蒼いかどうか、この目で確かめてみたい。そして・・・ 「きゃあああっ！！！！」 突然沸き起こった黄色い歓声が、思考を寸断する。 （ったく、いったいなんだよ？） 舌打ちをしながら、ジェットはその声の源に鋭い視線を投げつけた。 中庭の芝生で、輪になってお弁当を広げているクラスの女の子たち。 いったい何がそんなに楽しいのだろう。身をよじって、けらけら笑っている。 （ちぇっ。ムードぶち壊しだぜ。せっかく俺サマが詩人になってたっていうのに） ジェットは、あ〜あ、と大きなため息をついた。 「へええええ。あの子、そういう趣味だったとはね。じゃあ、あの二人って、もう・・・とっくにそーいう関係になってるってこと？」 メグの問いに、シンディーはハンバーガを頬張りながら頷いた。 「らしいわよっ！！意外でしょ？あんなに純情そうなのにさ」 人は見かけによらないってほんとね、とエリカがしみじみと言った。 「あ、そうだ！駅前にすごく素敵なお店できたって知ってる？パフェがすっごくおいしいんですって！今日、帰りに寄らない？」 恵理子の言葉に、皆がまた黄色い声を上げた。 「いいわねっ！行こう行こう！」 「ああん♪パフェ、食べたい！」 「そうそう、あのカフェにね、すっごく素敵なバイトのヒトがいるのよ」 「うっそおおおおお！！何でそんなこと知ってるの？あ、エリカったら、もうさっそく行ったのね？抜け駆けなんて、ずるい〜！！」 「ねえねえ、どんなヒト？」 「すっごいハンサムなの！あ、日本人じゃないわよ。留学生かなんかだと思う」 「留学生？どこから来てるの？」 「どんな人？」 シンディーと恵理子が真剣な表情でエリカに詰め寄っている。 「マスターは彼のこと『アラン』って呼んでたわ。サラサラの金髪でね、背が高くてめちゃめちゃカッコいいのよ！！」 「へええ。アラン君〜♪じゃあ、さっそく帰りに覗きに行かなくちゃっ！」 おいおい、何でシンディーまでもが他の男の話で盛り上がるんだよ、とジェットはさらに脱力した。 （こいつら、一応みんな、彼氏持ちだろが？） エリカとピュンマはすでに公認の仲だし、ジェロニモと最近付き合い始めた恵理子は、わざわざ彼の所属する柔道部のマネージャーになるほどの入れ込みようだというのに。 なのに何だよ、コイツら！！ さっきから聞いてれば、誰がカッコいいとか、誰と誰が付き合ってるとか別れたとか。 まるでくだらないワイドショーのレポーターだ。 （ったく、おめえらっ！！いいかげんにしろっ！！！） ・・・・などと、とても面と向かっては言えないのだけれど。 結構、女の子っていうのはおっかないのだ。 「ね、フランソワーズも行くでしょ？」 「あ・・・ごめんなさい。行きたいんだけど、私・・・今日・・・バレエのレッスンがあるの」 ここからでも、彼女はひときわ輝いて見える。 みんなと一緒に楽しそうに笑い転げているけれど、もちろん彼女は自分から他の男がどうとか、そんなことは一切口にしない。 （やっぱり、女神だよな・・・） 彼女の黄金の髪は、きらきらした太陽の光にそのまま溶けこんでしまいそうだった。 （いいよなあ。やっぱり・・・・） ついつい見とれてしまう。 なのに――― 「なあんだ、つまんない」 「最近、つきあい悪いわよ、フランソワーズ」 （そりゃそうだろうよ。あんなヤツと・・・あんなところで・・・） 例のことを思い出し、ジェットの気持ちがさらに沈む。 「ごめんね、次の舞台までもう１ヶ月もないから、毎日レッスンがあるの」 「次の舞台っていつ？」 「それが、クリスマスイブなの。みんないろいろ予定があると思うけど、よかったら観に来てくれる？」 「え？いいの？！！！行く行くっ！！」 シンディは目を輝かせ、お兄さんも来るの？と抜け目なく尋ねた。 「仕事の都合がつけばね。今すごく忙しいから、当日までわからないけど。でも、みんなが来てくれるんだったら、頑張らなきゃ」 そう言ってフランソワーズはニコッとした。 陽の光を浴びて、濡れたように輝く唇。 ―――あの桜色の唇を、アイツは・・・当たり前みたいに・・・奪った。俺の目の前で。 ジョーはゆっくりと体を離すと、彼女の睫の涙をそっと拭った。 たまらなく優しい仕草。目の前のジェットなど、完全に眼中にない。 『駅に・・・いるから』 こくんと頷く彼女を残し、すたすたと歩き出したジョーの背中を、ジェットはただ呆然と見送っていた。 その姿が、視界から消えた時――― 『あ・・・あの・・・ジェット・・・』 遠慮がちな声に、ジェットははっと我に返った。 フランソワーズの蒼い瞳が、すがるようにじっと自分を見つめている。 『あの・・・お願いがあるの』 『え？』 『私たちのこと・・・』 ん？と、ジェットは訝しげに彼女を見つめ返した。 『お願い。まだ・・・誰にも言わないで』 そりゃあそうだろうな。 どういういきさつで、２人が付き合うようになったかはともかく。 （マドンナのイメージダウンじゃねえか。・・・ったく、何であんな奴と・・・） ジェットは今まで無意識に溜め込んでいた息を、一気にふううっと吐き出した。 『私は・・・何を言われてもいいの。でも・・・ジョーが・・・』 『え？』 意外な言葉。 ジェットを見つめる蒼い瞳が、みるみる潤み始める。 『みんなにいろいろ言われて・・・ジョーが・・・学校を・・・やめなきゃいけなくなったら・・・私・・・私・・・』 彼女の声は震えていた。 『どうしたら・・・いいか・・・』 『お、おい！泣くなよ！！』 両手で顔を覆ってしくしくと泣き出したフランソワーズの姿に、ジェットはひたすら狼狽した。 『このこと・・・先生に・・・知られたら・・・きっと・・・』 なるほどね。 そういうことか。 元帥はフランソワーズが大のお気に入りだ。 目の中に入れても痛くない可愛い生徒が―――アイツは時々いやらしい目でフランソワーズのことを見ている―――ジョーと出来てるなんて知ったら、根性の腐ったアイツのことだ。どんな嫌がらせをするかわかったもんじゃない。 今でさえ、ジョーを目の敵にして、何とかして退学させようとしているふしがあるのに。 しっかし、とジェットの方こそ泣きたい気分だった。 （何で・・・なんでフランソワーズは・・・・あんな奴のために・・・こんな・・・いじらしい・・・） 『だから・・・お願い・・・』 こんなうるうるの目で見つめられて懇願されて、イヤだなんて言える奴がいたらお目にかかりたい。 ああああ。俺の青春もこれで終わりだ。 でも・・・ 『わかってるさ。俺はこう見えても口は堅いんだぜ。大丈夫。誰にも言わない』 彼女は、涙に濡れた顔を上げ、ふっと優しい笑みを浮かべると、ありがとう、と呟いた。 （君は・・・そんなに本気で、アイツのこと？） なぜだ？どこがそんなにいい？ いったいいつから？ アイツが君を・・・どうやって・・・？ 聞きたいことは山ほどある。 だが、そんな言葉を全部ぐっと飲み込み、お得意のピースサインをウィンクとともに彼女に送る。 それがせめてもの、ジェット・リンクの男としての意地ってもんだ。 『心配すんな。まかしとけって！』 ええ、と頷いたフランソワーズは、少し恥ずかしそうに笑って涙を拭った。 『ありがとう、ジェット』 小さな声でまたそう言うと、長い髪をなびかせて彼女はジョーのあとを追って駆けていった。 今のは・・・悪夢・・・か？ 彼女の姿が消えた途端、ジェットの全身から一気に力が抜け、その場にへたり込んだ。 どっちかって言うと女の子のほうが迫ってるって感じだったもんな。 こう・・・色っぽいというか、フェロモンむんむんというか。 相当遊んでいる女の子・・・ 所謂、魔性の女ってタイプだな。 うっわあああああああああああああああああ！！！ ジェットは頭をかきむしった。 俺はなんてことを言っちまったんだろう。 まさか・・・まさか、あれがフランソワーズだったなんて。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあああ。 ―――ということは。 『おい！ジョーの奴、女がいたんだ』 『・・・もうむんむんと淫乱な雰囲気が漂って・・・』 ハインリヒが爆発した理由はそれ、だ。 つまり、ハインリヒは・・・知っていたのだ。 ジョーの相手が彼女だ、ということを。 あの日、機嫌が悪かったのはそのせいだったんだ。 でも、いったいいつから知っていたんだろう？ どうやって知ったんだろう？ まさか・・・アイツら、あの日、ハインリヒの前でも・・・？ 今、ハインリヒは、難しげな顔をして、読書に耽っている。 せっかくの昼休みに本なんか読んでるのは、クラスでもコイツしかいない。 もちろんジョーの姿は、教室にはなかった。 おそらく屋上ででも、例によって例の如く「息抜き」しているに違いない。 話すなら、今だ。 ジェットは、つかつかとハインリヒに近づき、すぐ後ろの席に座ると耳元で囁いた。 「おい」 だがハインリヒは、背中を少し強張らせて反応しただけで、顔さえ上げようとしない。 「なあ・・・」 後ろからぐっと肩を掴んで覗き込んだ横顔は、殴り合ったあの時よりもずっと険悪な表情だった。 はっきりと浮かび上がる、「邪魔するな」という拒絶のサイン。 だが、かまわずにジェットは言葉を続けた。 「おまえ・・・どうやって知った？」 「え？！」 予想外の問いだったとみえて、ハインリヒは小さな声をあげてジェットを振り返った。 「お前、いつから・・・知ってたんだ？」 畳みかけるように問う。 「何がだ？」 一瞬、不自然に目をそらすハインリヒ。 「何がって、わかってるくせに！」 ジェットはふん、と笑った。 「そんだけ動揺するってことは、お前もその現場を見ちまった、ってわけか？」 「現場？！」 ギョッとしたように、ハインリヒはジェットの顔を見つめ直した。 「そうそう、動かぬ証拠、だよ。お前もそうなんだろ？」 「どう・・・いう・・・ことだ・・・？」 ハインリヒは低い声でうめくように尋ねた。 「昨日、俺、熱烈なラブシーン見せられちまったんだよ。アイツらの。所謂、人目もはばからずってやつさ」 見る見るうちに、ハインリヒの頬が紅潮していく。 「体育館の裏で、俺が目の前にいるのがわかってて、堂々と、ぶちゅっ、とな。あ、アイツらが誰かなんて野暮なこと、今更聞くなよな」 真っ赤になっていたはずのハインリヒの顔が、いつのまにか青ざめていた。 「で。誰にも言うな、って。みんなにはまだ知られたくないんだと」 「アイツが、か？」 搾り出すような声。 「いや、彼女が、だ」 「彼女が？！」 大声を上げたハインリヒを、しっ、と指で制して、ジェットはあたりを見回しながら声をひそめて言った。 「自分と付き合ってることがバレたら、元帥によけい嫌がらせされて、アイツが学校やめなきゃいけなくなるって。彼女に泣かれたのには、参ったぜ」 はああ、とジェットは大げさに肩を落とし、首をすくめた。 「だから誰にも言わないでくれ、ってさ。『私たちのこと』だとよ」 ったく泣かせるじゃねえか、とジェットは舌打ちをした。 「１度言われてみてえな。『私は・・・何を言われてもいいの』だなんてさ。俺のためにも泣いてくれねえかな」 わざと茶化すように言う。だが――― 「言うもんか」 「え？」 きょとんとした顔でジェットはハインリヒを見つめた。 だが、彼の視線は、ジェットに向けられてはいなかった。 「俺は・・・認めない」 鋭い灰色の目が、教室の一角―――今は主のいない机を、じっと睨みつけている。 「ハインリヒ？」 「あんな奴、俺は絶対認めない」 低い声で、だがキッパリと彼は言った。 「おい、何馬鹿なこと言ってんだよ。認めるも認めないも、フランソワーズが・・・お、おいっ！」 ハインリヒはバン、と乱暴に読んでいた本を閉じると、肩をいからせて廊下へと出て行った。 その頑なな後姿に、ジェットは呆れたように首をすくめた。 「あの野郎・・・」 気持ちは痛いほどわかる。 彼はずっと本気だった。 自分のようにただ憧れているだけじゃなくて。 だが・・・今更どうしようがある？ 「往生際が悪いな、まったく」 認めない、だなんて。 あの２人が交わしていた濃密な視線。 あれを見たら、他の誰かがどうこう言えるような状況じゃないことは明らかだった。 でも・・・ 「アイツ、見かけよりずっと不器用だからな」 一見、クールな現実主義者。だが、実のところは、一途でロマンチストな男だ。 特に恋愛に関しては。 「馬鹿だよな。お前も。もっと早く何とかしておきゃよかったのに」 最初から、好きで好きでたまらなかったくせに。 ふさわしい男になるとか何とか言い訳しているうちに、まんまとあんな奴に持ってかれちまった。 ため息をつき、机の上に無造作に置かれた本を、何気なく手に取る。 『Die Leiden des Jungen Werthers』 読む気もないのに、ぺらぺらとページをめくった。 「ドイツ語じゃ、さっぱりわからねえ。アイツが読むんだから、どうせ小難しい本だろうが」 机の上にそっと戻し、ジェットはやるせないため息を、また一つついて肩を落とした。 |