Ⅵ
陽が落ちると急に冷えてきた。疲れた体を引きずるように、ジョーは鉄の階段を上っていった。
やっぱりまだ異和感がある。もうしばらくは、激しい運動をしないように、と医者からきつく言われてたのに。でも今日だけは、そんなことを言っていられなかった。
ハードスケジュールな１日。朝からいつものバイト。あのリレーで走るためだけに、学校へ行って、また仕事に戻った。日曜に行事を入れられるとお手上げだ。もっとも、以前の彼なら、行事だろうがなんだろうが、気にせず欠席していただろうけれど。

運動場の隅に、ぽつんと座り込んでいた彼女。
思っていたより遅くなってしまったから、きっと心配しているだろうと思ってはいた。
なかなか来ない自分に、クラスの連中がどんな反応を見せていたのかも、想像がつく。彼女のことだ。懸命に自分をかばって、そしてクラスの席に居づらくなって・・・しょんぼりと一人あんなところにいたに違いない。
また、彼女を泣かしてしまった。しかも、今度も「島村君なんて大嫌い」のおまけつき。
それにしても。案外よく泣く奴だ、とジョーは思わず微笑った。しっかりしててそうで・・・これでもう３度目になる。彼女が泣いているところを見るのは。
そしてゴールを駆け抜けた時、大騒ぎしているクラスの輪の中で、ぐったりと座り込んでいた彼女の姿が見えた。また、泣きそうな顔をしていた。思い出しただけで、なぜか心が温かくなる。
ふっと感触が蘇る。あの柔らかな唇。抱きしめた華奢な体。亜麻色の髪の匂い。

と、部屋の前に黒い影を認めて、ジョーははっと身構えた。
嫌な空気。こいつは誰だ？
「おい、島村！待ったぜ！」
「お前は・・・？」
「ちょっと顔、貸してもらおうか」
ジョーは無言で男をかわし、部屋の鍵を開けて中に入ろうとした。
「おいっ！！待てっ！！」
「お前なんかに貸す顔はない」
「ふっ・・・えらそうなこと言うんじゃねえ。それとも・・・あのカワイコちゃんがどうなっても良いのか？」
ハッと動きを止めたジョーに向かって、男はニヤニヤと笑いながら、ウィンクをした。
「何っ？」
コイツは何が言いたいんだ？
「女を帰してほしけりゃ、あの銀座橋の河原まですぐ来な！」
「・・・女？」
思い出した。コイツは・・・アキの取り巻きの１人だ。
「へっ！わかってるくせによお！あの・・・飛び切り上等の女だよ！おまえんとこのマドンナに決まってるじゃねえか！」
まさか・・・フランソワーズを？
「お、おまえ・・・・まさか・・・！！」
「へへっ・・・しっかし何で・・・お前みたいな不良が・・・あんな高嶺の花に手を出すんだ？身の程知らずもいいとこだぜ。かわいいし、頭も良くて・・・おまけにあんなナイスバ」
バシュッ！！！グチャ・・・。
血しぶきが飛び、鼻がつぶれる音がした。
後ずさりする男を、階段から突き落とす。自分も飛び降りるように下に降りた。止めたばかりのバイクのエンジンを、またかける。ヘルメットも被らずに、ジョーは猛スピードで飛び出していった。

（く、くそう・・・！）
どうして彼女が・・・こんなことに・・・巻き込まれなきゃいけない？
（アキ・・・あの・・・あの女め！！）
もしも―――彼女にもしものことがあったら・・・
信号を１つ、２つと無視して交差点に突っ込む。
急な土手を、そのままバイクで転がり落ちる。
ここ、だ。
だが、まだ、誰も姿を見せていない。
（どこで・・・何をしてやがる？）
煌煌と月が川面を照らす。静かな秋の夜。響き渡る虫の声。だが、今は気持ちをいらだたせるだけだ。
５分ほどが無駄に過ぎた。
と、２つのヘッドライトが近づいてきた。
真っ黒なライトバン。
バン、と助手席のドアが開き、てらてら光る紫のドレスに身を包んだアキが降りた。
「あら・・・ジョー！お早いのね・・・」
「お、お前は・・・何を考えてる？」
怒りに肩をふるわせるジョーを、アキは、フン、と鼻先で笑った。
「何を考えるって？楽しいことしよう、って思っただけよ。アンタたちと一緒に・・・」
ドアがスライドして後ろの席から男が降りた。と、細い身体が引きずられるように降ろされた。
「フランソワーズ！！」
「し、島村くん！！」
彼女は制服のままだ。
怯えて震えながら、すがるように彼を見つめている。
「ふふっ、感動のご対面ってわけね？さあ・・・お楽しみはこれからよ」
「あっ・・・」
図体のでかい男が、フランソワーズを羽交い絞めにした。
「いやっ！離して！」
彼女が男の腕の中で必死にもがく。
「お、お前ら！！彼女に触るな！彼女には何も関係がない！離せ！！」
ジョーは怒りで燃える目で男を睨みつけ、飛び掛ろうとした。
「なによ！よく言うわ！この女のせいで、アンタが私を相手にしなかったんでしょ？」
「おっまえなあ、このアキ様がせっかくお前みたいな男、相手にしてやろうって言って下さったのを」
取り巻きが鉄パイプを片手にジョーに近づき、身構えた。
「そうよ、顔に泥を塗られたわ。お返しは・・・アンタと、この子に十分させてもらうわ」
「フランソワーズには・・・関係ない！離せ！！」
「ふん！カッコつけんじゃないわよ、不良のくせに。さあ、まずこの男、こてんぱんにやっちまいな！いい？はむかったら・・・」
きらり、と光るものをアキはポケットから取り出した。
「あっ・・・」
ふふ、っと薄ら笑いを浮かべながら、フランソワーズの頬に押し当てる。
「やめろ！！！」
「大事な彼女の可愛い顔が・・・台無しになるわよ！どうする、ジョー？おとなしく殴られた方がいいんじゃないの？さあっ！やっておしまい！！」
男達が一斉にジョーに殴りかかった。
「島村君！！！お願い！！やめて！！！」
フランソワーズの悲鳴が闇を引き裂く。
「そうそう、このお嬢さんもかわいがってやりな！！」
アキは憎々しげに言うと、フランソワーズを羽交い絞めにしている男に顎をしゃくった。
「フフフ、いいのかな？こんなカワイコちゃん♪」
男がフランソワーズの華奢な顎を掴んだ。
「は、離してっ！！！」
「フランソワーズ！！」
「いやっ！！触らないでっ！！」
汚らしい唇を突き出す男。彼女は必死に顔をそむけた。また、グイ、と乱暴に顎がつかまれる。
ジョーの中で何かが音をたててはじけた。
許さないっ！！
「おまえらああああああああ！！！いい加減にしろ！！！」
獣のような叫び声を上げると、ジョーは自分に掴みかかる男達をなぎ倒し、アキに飛びついてナイフを地面に床に叩き落した。
バシュッ！！！
闇に血しぶきが舞う。フランソワーズに触れている男の顔面に強烈なパンチを食らわせると、細い体を背後にかばった。
怒りに燃える茶の瞳。背筋を凍りつかせる鋭い視線。男たちは思わず息を呑む。
「俺を・・・本気で怒らせたら・・・どうなるか・・・見せてやるっ！！！」　　　
地の底から吐き出すようなジョーの声に、アキは一瞬ひるんだ。
「な、何よ！」
「う・・・アキ、アキィ！！鼻が」
「オ、俺も・・・折れちゃったよおお・・・鼻が・・・・折れた！！」
「男のくせにぎゃあぎゃあ泣くんじゃないのよ！！はやく、やんなさいよ！！」
ジョーはフランソワーズをかばったまま、足だけで男達を次々に蹴倒していった。
その剣幕に押されて、男達はじり、じりっと後ろへ下がる。
と、蹴倒された男の一人が、フランソワーズの足首を掴んだ。
「きゃあああ・・・」
倒れたフランソワーズに別の男が覆い被さった。同時に、男たちが一斉にジョーに飛びかかる。一人、また一人と殴り倒していく。だがキリがない。
「いやああっ！！！」
「フ、フランソワーズ！！」
彼女の悲鳴に慌てて振り返る。そのジョーの背後で、アキがナイフを振りかざした。
「あ！！島村くん、後ろ！！！」
フランソワーズが叫んだ。
すばやく向き直り、ナイフを叩き落す。彼女にのしかかった男に飛びかかろうとして、ジョーは苦痛に顔をゆがめた。
「ううっ・・・」
足が思うように動かない。やっと治りかけたのに、今日はリレーで無理してしまった。おまけにさっきから、何人の男を蹴り倒しただろう。ずきりと走る鋭い痛み。足全体が腫れ上がったようで、熱い。
一瞬動きの止まった彼に、男たちがどっと殴りかかってきた。
「いやっ！！いや！！離してっ！！！！」
「フランソワーズ！！」
（く、くっそうっ！！！）
ジョーは唇を噛み締めた。
いつもなら・・・。足さえ怪我をしていなければ、こんな連中なんて一瞬に蹴散らしてしまうところだ。だが、今日は―――
何を言ってる！彼女が・・・自分のせいで、こんな目にあわされているというのに、助けることもできないのか？一番肝心な時に、自分の一番大事なものを守れないなんて。俺は・・・俺は・・・。
「フランソワーズッ！！」
力を振り絞り、一挙に５人、殴り倒した。あと・・・あと・・・何人倒せばいい？
「ドゥワアッ！！！」
巨漢３人が同時にタックルをかけて来た。さすがのジョーも地面に叩きつけられる。眩暈がした。動けない。
「・・・島村君・・・」
地面に押さえつけられたフランソワーズが、じっとジョーを見つめた。
「フランソワーズ！！！」
ジョーも見つめる。微かに頷き合う。
（島村君・・・！！）
頑張れ！！
彼の目がそう言っている。
彼は足を怪我してるのに。あんなに・・・あんなに激しく使ったら・・・また・・・
（何とかしなきゃ・・・何とか・・・）
ガブッ！！
フランソワーズは、咄嗟に男の手に噛みつき、股間を思いっきり蹴り上げた。
「うわああああああああ！！」
男がひるんだ隙に、彼女はさっと体を起こした。
（どうしたらいい？どうすれば・・・何か・・・何か・・・。こ、これ・・・！！）
目の前に落ちていた鉄パイプを拾うと、立ち上がり、無我夢中で振り回しはじめた。
「駄目！！駄目よっ！！！あっちへ行って！！」
「う、うわああっ！！やめろっ！！」
一人、また一人、彼女の思わぬ反撃に倒れていく。
「許さないっ！！許さないからっ！！！」
バシュッ！！バシュッ！！！
無駄のないシャープな振り。
肩で激しく息をつき、長い髪を振り乱して仁王立ちになった彼女は、残った男たちを睨みすえた。凄まじい気迫に、男たちが息を呑む。
だが―――ジョーは焦った。
（バカッ！！！シロウトが・・・あんなもん振り回したら・・・自分が怪我するだけなのに！アイツ・・ったく・・・）
止めなければ。めちゃくちゃに振り回して、当たり所が悪ければ、命に関わる。そのあたりの加減など、勿論、彼女にわかるはずがない。
「フランソワーズ！！やめろっ！！うっ・・・」
駆け寄りたいのに、動けない。
「・・・島村君・・・」
彼女がじっとジョーを見つめた。
「アンタ達ッ！！何やってんのよッ！！！ボサッと見とれてんじゃないわよ！さっさと起き上がって、その女、やってしまいなさいよっ！！！！」
意外な展開に、眉を吊り上げたアキが叫んだ。
「コイツは私が始末する！！」
キラ、とナイフが光った。
うずくまるジョーの背後からアキが襲いかかる。
「ああ！！！危ない！！！！」
「うわっ！！」
近づいてきた男の顔面に鉄パイプを投げつけると、フランソワーズはアキに体当たりし、ジョーの上に覆い被さった。
咄嗟にジョーは体を返し、彼女を体の下に庇う。
グサッ！！！
ざっくりと刃物が刺さる音。
「ううっ！！」
ジョーが低くうめいた。
かちゃん・・・
あまりの手ごたえに呆然としたアキの手から、ナイフが地面に落ちた。
しん、とあたりが一瞬静まり返った。
「し、島村・・・く・・ん・・・？」
フランソワーズの震える声。
「アキ！！ほ、ほんとに刺しちまったのか？」
へたり込んでいた男たちが、ざわめきだす。
「な、何すんだよっ！！お前・・・やばいぜっ！！！刺しちまったら・・・」
「マ、マジでやばいじゃん！！どうすんだよ！け、警察沙汰になるぞ」
「に、逃げよう！！！私・・・いやよ・・・そんなの！！！」
アキたちはライトバンに乗り込むと、すごいスピードで逃げさった。

「島村・・・君？」
答えがない。
彼は自分の体の上に覆い被さったままだ。そっと体を起こし、ジョーの体を仰向けに横たえた。
「島村君？！！」
フランソワーズは必死になって取りすがり、身体をゆすぶった。
「ねえ！！島村くん！・・・しっかりして！！」
「・・・・・」
「しっかりして・・・！お願い！！」
どこを刺されたのだろう？背中？腰？
すごい音がした。傷は相当深いはずだ。
暗くて、どのくらい出血しているのか全くわからない。早く、救急車を呼ばなければ。
「島村君・・・ねえ・・・しっかりしてっ！！死んじゃいやっ！！お願いっ！！」
彼は苦しげに眉根を寄せたまま、瞳を固く閉じている。
「ああ・・・どうしよう・・・お願い・・・」
胸にすがりついた。そっと頬を寄せる。あの時と同じように温かいのに。
「島村君・・・いやよっ！目を開けて・・・！！」
あの時と同じように、トクトク、という心臓の鼓動が・・・え？
―――と、その時。
力強い手。ぎゅっと抱きすくめられた。
「・・・？」
彼女を胸に抱いたまま、ジョーはそっと体を起こした。
「かすっただけだ・・・」
「え？」
きょとんとするフランソワーズに、ジョーは思わず笑みをこぼした。
「でも・・・すごい音が・・・」
「ほんとに刺されたけど・・・うまい具合に・・・」
ジーンズのポケットから何かを取り出す。
「これが・・・」
１冊の文庫本。無理に押し込んでいたせいだろう。くるりと丸まった本の表紙に、２箇所できた大きな裂け目。
「お前が・・・忘れていった本。返そうと思って、ずっと持ってたんだ。薄いけど・・・丸めてたおかげで・・・」
フランソワーズは、まだ口もきけず、呆然と彼を見つめている。
「ナイフが刺さったのは・・・これだ・・・」
これ・・・？終業式の日に・・・あの紙袋の中に入れていた・・・カフカ？
この本が・・・？
「う・・・・」
蒼い瞳がみるみる潤み、涙が溢れ始めた。
「だから・・・大丈夫」
笑顔を向けるジョーに、彼女は顔をくしゃくしゃにして叫んだ。
「もう、知らないっ！・・・こんなに・・・し・・ん・・ぱい・・・した・・・のに・・・」
彼女が顔を両手で覆って泣き出したのを見て、ジョーは慌てた。
「ごめん・・・でも・・・ほんとに・・・これのおかげで・・・」
「ううっ・・・死んじゃったかと・・・思って・・・私・・・私・・・・」
泣きじゃくるフランソワーズを、ジョーはたまらずに抱きしめた。
「バカ。あんなことで死ぬかよ」
「でも・・・でも・・・ほんとに・・・私・・・」
「お前だって・・・なんであんな無茶するんだ！！鉄パイプ、やたらメたらに振り回し始めたときは・・・寿命が縮んだぜ」
「だって・・・だって・・・島村君が・・・」
彼女は激しくしゃくりあげ始めた。
この俺を助けるために？
今まで・・・誰かが・・・自分のためにあんなふうに必死になって・・・戦ってくれたことなんて、一度も・・・。
ましてや、自分が守りたいと、守らなければいけないと思っていた彼女が・・・。
「うう・・・離してっ！！いやっ！！！」
腕の中でもがく細い体を、封じ込めるように強く抱く。
愛しくてたまらない。
「・・・離さない・・・」
フランソワーズははっと顔をあげた。
「し、島村くん・・・？」
「・・・ごめん。俺のせいで・・・こんな・・・」
「島村くん・・・・・・？」
―――俺のせい？
アキの言葉を思い出す。
『この女のせいで、アンタが私を・・・』
どういうこと？
『大事な彼女の可愛い顔が・・・』
ジョーは、ぼそっと呟いた。
「情けない。ちゃんと自分の大事なものも、守れないなんて・・・」
（・・・大事な・・・もの？）
フランソワーズの胸がどきんと鳴った。
彼は何を・・・？
「でも・・・これからは・・・」
これからは？
「絶対にお前をこんな目に合わせたりしない。すっと・・・俺が・・」
ジョーは彼女の両腕をそっと掴むと、少し身体を離した。
「だから・・・」
優しい茶の瞳が、じっと彼女を見下ろしている。あの時と同じ目。
「だから・・・・・・そばに・・・」
「島村くん・・・」
青い瞳が濡れたように輝き、静かに閉じられた。
そっと触れ合った唇。
優しい二度目のキス。
柔らかい彼女の髪が夜風になびいた。
明るい月の光に、時間が溶けていく。

ようやく体を離したジョーは、優しく言った。
「帰ろう・・・もう遅い。家の人が・・・心配してるだろうな」
あの兄貴もさすがに怒るだろう。ましてや、彼女のこんな姿を見たら。どう言って・・・謝ればいい？
とにかく、とジョーは彼女を支えながら立ち上がった。
と―――。
立ち上がった途端、フランソワーズの体がふらついた。
「どうした？」
崩れるようにしゃがみこむのを、慌てて支える。
「・・・気持ち・・・悪いの・・・」
無理もない。こんなひどい経験、したことがあるはずない。相当なショックだったろう。ホッとして、今までの緊張が一気に解けたせいで、貧血を起こしたのか？
「すぐ、つれて帰ってやる。な、・・・もうちょっとだけ・・・頑張れ」
そっと抱き上げ、バイクのところまで連れて行く。後ろの席に座らせ、自分の腰を掴ませた。
「いいか。・・・すぐだから・・・しっかりつかまってろ。離しちゃダメだぞ。ゆっくり走るから・・・」
小さく頷き、フランソワーズは彼の背中にぎゅっとしがみついた。
どきん。
彼の身体が熱く痺れた。
彼女の胸がしっかりと押し付けられている。その感触の柔らかさに眩暈がする。
ちゃんと運転しなきゃいけないのに。思わず、目をつぶってしまいそうだ。
（俺は何をおかしなこと、考えてる？）
気を紛らわせようと、声をあげて彼女に話しかける。
「お前・・・見かけによらず・・・強いな」
あの仁王立ちになった姿。アクション映画のヒロインみたいだった。
（こんな・・・お嬢様なのに・・・。相手にしたら手強そうだ）
ジョーはクスっと笑う。
「え？・・・なあに？」
「ちゃんと・・・喧嘩のやり方教えたら・・・その辺の男よりよっぽど・・・」
「・・・どうして喧嘩するの？危ないから、もうやめて。あなたが・・・怪我したら・・・私・・・」
囁くような声。涙ぐんでいるみたいだ。ジョーは思わず言葉に詰まり、小さくため息をついた。
　
月光を背に受けて、住宅街の中を走る。
北の空の星々が明るく瞬く。北斗七星、カシオペア・・・北極星。満天の星。
「お星様、綺麗ね・・・」
そう言ったまま、彼女は黙り込んだ。
夜のしじまの中、エンジンの音だけが響く。
ぽつん、ぽつん、とオレンジの街灯が後ろに飛び去っていく。
初めて通る道じゃない。なのに、どこか遠い見知らぬ国を、２人で走っているような気がした。
ようやく彼女の白いマンションが見えた時、ジョーはなぜかホッとして、また小さくため息をついた。
「ねえ・・・島村くん」
突然、背中越しに彼女が囁いた。
「ん？」
「私のこと・・・好き？」
思わず両手を離しそうになる。
「な、なんだよ・・・急に・・・」
頬が火照る。
「好き？」
女の子ってのは・・・わからない。あれだけじゃ・・・だめなのか？
あんな歯の浮くような言葉。顔から火が出そうだった。自分の口から出たことが、信じられないのに。
そして―――キスまでしたのに。
ふう、とジョーはため息をついた。
そんなこと、面と向かって言えるかよ！
でも―――。
「お前が・・・その・・・島村くんってのをやめないと・・・・・・言わない」
「え・・・？」
フランソワーズが何か言おうとした時、バイクはすっと止まった。
「さあ・・・着いたぞ・・・」
抱えてそっと降ろす。その途端、また彼女がしゃがみこんだ。
「おい・・・大丈夫か？」
頷いて立ち上がるが、まだふらついている。
「ちょっと待ってろ」
花壇のレンガに座らせ、バイクを駐輪場に動かした。
抱えるようにして、建物の中に入る。
エレベータの蛍光灯に照らされ、フランソワーズの顔は真っ青に見えた。
「寒いのか？」
微かに震える体をそっと抱き寄せる。
なんて華奢なんだろう。そして柔らかく、温かい。
折れるほど抱きしめたいという衝動を何とかこらえた。
「お兄さんは？」
彼女は小さく首を横に振った。
帰ってないのか。
でも、いずれちゃんと説明しなければ。
しかし何と言う？なんて説明すれば、納得してくれるだろう？
納得？―――それは無理だ。彼女をこんな目に合わせたのに。自分のせいで。
とにかく、今日のところは考えても仕方ない。

７階で、エレベータを降り、奥の部屋へと向かう。
鍵を開けた途端、フランソワーズの体から、すうっと力が抜けた。家に着いてホッとしたのだろう。彼は細い体を抱き上げると、中に入って鍵を閉めた。
明るい漆喰の壁にフローリング。
玄関の下駄箱の上には、白と青の花。繊細なガラスの器を美しく彩っている。
「お前の部屋は？」
腕の中の彼女が、廊下の脇のドアを振り返った。
抱きかかえたまま、そっとドアを開け、電気をつける。
甘くて優しい彼女の匂いがいっぱいだ。頭がくらくらする。
奥の白いベッドにそっと横たえる。
と、ジョーは思わず息を呑んだ。
無残に破られたブラウス。慌てて、布団を肩までかけた。
「もう、これで大丈夫だ。俺は・・・これで・・・」
「待って・・・」
切なそうに彼を見つめ、小さな声でフランソワーズは呟いた。
「お願い・・・もう少し・・・いて・・・」
「でも・・・」
「島村君の怪我・・・手当てしなきゃ。それに・・・その服じゃ・・・」
ジョーのＴシャツはボロボロだった。確かに、顔も腕も・・・全身擦り傷と打撲傷。だが、いくらあの兄貴でも、こんな時間に勝手に上がりこんでいるところを見たら・・・。
まして・・・彼女がこんな格好だというのに。
「でも・・・もう遅いから・・・」
「お兄ちゃん・・・今日、帰ってこないの」
ドキッとして、彼女を見つめた。フランソワーズは目を伏せ、手をそっと差し出す。
「金曜日まで・・・パリに・・・出張なの。だから・・・もうちょっとだけ・・・いて。お願い」
ジョーは、ため息をつき、差し出された手を優しく握りしめた。
（大丈夫か、島村？）
思わず自問自答する。
（何が、だ？）
（俺、が）
（俺の何が、どう大丈夫じゃないっていうんだ？）
何もかも。
何もかも大丈夫じゃない。
さっきから、完全に彼女に翻弄されている。
いや、彼女はそんなつもりはないだろう。
彼が勝手にアップアップしているだけだ。彼女の言葉に。仕草に。
頭も体も沸点寸前。
いったい何を考えてるんだ、俺は、とジョーはまたため息をついた。
落ち着かなくては。
気持ちを鎮めようと、あたりを見回す。
綺麗な部屋だな、とジョーは呟いた。
優しい生成りのカーテン。たくさん本のつまった書棚。大きな熊のぬいぐるみ。
そして―――棚に飾られた写真。
薄い羽のような衣装をまとった妖精がいた。これが・・・バレエを踊っている時の彼女？
初めて見た。本当に空から舞い降りてきた天使みたいだ。
「俺の部屋とは・・・大違いだな」
彼女は何も答えない。
「フランソワーズ？」
手をつないだまま、フランソワーズは眠ってしまったようだった。
安心しきって。まるで幼子のように。
額にかかる髪をそっとかきあげ、長い睫毛が影を落とす青白い頬を見つめた。
『私のこと・・・好き？』
抱きしめた柔らかい体。彼女の涙。そして・・・あの甘いキス。
ジョーはとうとうたまらなくなって、そっと桜色の唇に口づけすると、耳元で囁いた。
「好きだよ・・・ずっと・・・好きだった」
もう一度キスしようとして、ジョーはハッとした。
いつの間にか、自分を見つめている蒼い瞳。
「ほんと？」
ジョーは思わず声をあげた。
「コ、コイツ・・・寝たふりしてやがったな！」
耳たぶまで真っ赤になる。
「うふっ・・・ね、もう一度言って！」
甘えるようにフランソワーズは、つないだ手をそっと握りしめた。
柔らかい手のひら。
体が熱くなる。
完全にノックアウト―――彼女には、かなわない。
だが、何とか最後の抵抗を試みる。
「ダメだ！お前が・・・」
彼女は潤んだ目でじっと彼を見つめた。
「おねがい・・・ジョー・・・」
「・・・フランソワーズ？」
「ジョー・・・」
蒼い瞳が優しく微笑んだ。
ふううっと降参のため息をつくと、ジョーはそっと彼女の耳元に唇を寄せた。
→　☆illustration☆


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