| vii．retrospection2 目が眩むような口づけの連続に、フランソワーズは苦しげに眉根を寄せ、小さく喘いだ。 ジョーはまだ名残惜しそうに唇を離し、今度は白い喉に躊躇うことなく顔を埋めた。 「あ……」 思わず甘い声が漏れる。 「……誰か……来るわ……」 「かまわない」 ジョーは耳元で囁くと、フランソワーズの背中を道の端の電柱に押しつけ、身体を密着させた。 コートの下のセーター越しに、柔らかなふくらみに触れる。豊かな弾力が掌から溢れる感触を楽しむように、少し強引に包み込む。 「あ……待って……」 「3年も待ったのに……まだ待たなきゃいけないの？」 切なげな茶の瞳に見つめられ、身体の奥が熱く震える。 これ以上待てないのは自分も同じ。でも……。 「っ……」 返事をする前に、性急に重ねられた唇。軽い音を何度もたてながら、角度を変え、深さを変えてついばんでいく。 その時、ビル群の向こうに広がる雲の間から、白く輝く月が姿を現した。 真っ暗だった路地に陰影が生まれ、ぴたりと重なったふたりの影が細く伸びた。 すぐそばまで近づいていた足音が、慌てたように遠ざかっていく。 フランソワーズは思わず顔を背けた。 「……そんなに……したら……息が……できないわ」 優しくたしなめるような声に、茶の瞳が柔らかく微笑んだ。 「フランス人は息をするかわりにキスする、って言ったのは君だよ、フランソワーズ」 「んっ……」 そして今度は、深く、長いキス。 何度も甘い喘ぎが洩れるのにも構わず、思うままに唇を貪ると、ジョーはようやく少し身体を離した。 息を弾ませながら、フランソワーズは甘えるように軽く睨んだ。 「日本じゃ……人前では……こういうことしないって……あなたが言ったのよ」 「そんなの、ずっと昔の話だよ。それに……やっと君に逢えたのに、こういうことするなっていうほうが無理だ」 蕩けるような目で見つめ返す。 「君を思い出したら、まずこうやって抱きしめてキスする。……そう約束しただろう？」 「でも……」 いくら他人に無関心を装う大都会の一角とはいえ、自分たち２人の姿はいろいろな意味で目立ちすぎる。 ここじゃなくて、とフランソワーズが言いかけた時、背後から複数の足音が近づいた。 賑やかな笑い声に、はっと緊張の走った背中をジョーは強く抱きしめた。 足音が間際で突然止まる。 えっ、と息を呑む気配が伝わってきた。 もしかしてさっきの……？と、ひそひそと囁く声も聞こえた。 だがジョーは一向に気にする様子もなく、いっそう腕に力をこめると、白い耳朶にそっと唇を這わせた。 「僕は、息をするより、ずっと君とキスしていたい」 君は嫌なの？と声を落とすジョーに、フランソワーズは頬を染め、小さく首を横に振った。 「でも……こっちを見てるわ」 羨望と好奇の混ざり合った視線が、背中に突き刺さるのを痛いほど感じる。 「かまわない」 まるで挑発するかのように、ジョーはフランソワーズの腰をぐっと引き寄せ、上から覆いかぶさって唇を重ねた。 声にならない声を上げながら、バラバラと足音が逃げ去っていった後、ジョーはようやく唇を離した。 微笑みを浮かべ、包み込むような優しい目でフランソワーズを見つめる。 「パリにいる時は、そういうこと全然気にしなかったのに……どうしたんだい、フランソワーズ？」 どうすれば、一旦空白になったジョーの記憶を安全に戻すことができるか。 外からの力で脳のメインブロックへのアクセスを復活させる方法は、相当な負担をかけることになる。消す時と同じようにはいかない。 『博士が言うように遠隔操作でパチンとスイッチを入れるなんて、とんでもない話だ』 余程の非常事態でない限り、そのやり方は使わないほうがいい、とイワンは言った。 『でも心配は要らない。ジョーは、君に逢えばきっと思い出すよ。２年前のように』 本当に思い出せる？ 思い出せたとしても、その記憶が混乱していたら、どうすればいいのだろう。 一度縺れた記憶を、どうやって解けばいいのか。 『大丈夫、君にならできる』 可愛らしい欠伸を連発しながら、イワンはとろんとした目で言った。 『あの時は、ちょっと釘を刺したつもりだったんだ。博士はそれ以外のことでもいろいろと、独断で物事を進めていたからね』 心血を注いで育て上げてきた研究所の存続。そのためにギルモアはひとり奔走していた。 『ずいぶん大袈裟に言ったから、君を不安にさせてしまったけど……。でも君がジョーの記憶を戻すのは、それほど大変なことじゃないんだよ』 ただ、より自然なやり方で記憶を取り戻そうとすると、一瞬で全ての記憶を蘇らせるのは難しくなるだろう。 順番通りに思い出せるかどうかもわからない。 でも、きちんと時間をかければ、記憶の糸は必ず正しく綴り直すことができる。 『そのプロセスが、ジョーにとっては何より大切なんだ』 だから……。 ――――君にしか頼めない。 そう言ってくれたジョーの信頼に、自分は本当に応えることができるのだろうか。 不安で心が押しつぶされそうになる。 けれど―――イワンが言ったとおり、それは難しいことではなかった。 ジョーに触れて、その温もりを確かめて、名を呼んで、想いを伝える。 自分自身の心の中にある、大切な記憶を彼に伝える。 初めて会った時のこと。 初めて交わした言葉。 初めてジョーの胸で泣いた時のこと。 一緒にパリに帰った時のこと。 そして……。 ふたりの思い出を、その時の想いをジョーに伝えればいい。 交わした言葉のひとつひとつが、どれもかけがえのない記憶と結びついている。 それがそのままジョーの記憶と繋がる。 ひとつ思い出せれば、その記憶はたくさんの別の記憶を呼び覚ましていく。 全ては繋がっているのだから。 ジョーは覚えていた。 ずっと昔のことも。 記憶を消す直前のことも。 結局、自分は特別なことは何もしなかった。 ただ名前を呼んだだけ。瞳を見つめ、手をそっと繋いだだけだった。 でもジョーはちゃんと自分で記憶を取り戻した。少なくとも、自分たちふたりのことについては。 では、あの辛く悲しい記憶については、どこまで思い出しているのだろう？ 記憶の糸を手繰っていけば、必ず最後はそこに辿りつく。 そこから目をそらすことは出来ない。そこへ戻らなければならない。 そのための記憶の封印だから。 でも―――もし、まだなら。 今は……。 今だけ……もう少しの間だけ……。 「何を考えてるの、フランソワーズ？」 「あっ……」 火傷しそうなほど熱い指に優しく触れられ、安堵の溜息が甘い吐息に変わる。 「ちゃんと僕を見て」 蕩けるような目で見つめる彼は、いつもよりずいぶん饒舌で、激しくて、少し強引だった。 きっとジョーは確かめているのだ。 言葉を口にして。 こうして、唇で、掌で、指で、フランソワーズの肌にくまなく触れながら。 今、同じ時間を、ふたりが一緒に生きていることを、身体中で実感しようとしている。 だとしたら、自分にできることは……。 「ジョー……」 フランソワーズは両手でジョーの頬を包み込むと、ブーツの踵を少し上げて、自分からそっと唇を重ねた。 熱い唇が激しくそれに応える。 息が詰まるほど抱きしめられ、全身が溶けていく。 目が眩み、もうひとりでは立っていられない。 何かが弾けたように意識が飛び、膝から崩れ落ちる寸前、逞しい腕に抱きとめられた。 「加速装置、使って帰るよ」 耳元で囁くと、ジョーはフランソワーズの身体をそっと抱き上げた。 |
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