| vi．repose ―――過度に傷害を与え又は無差別に効果を及ぼすことがあると認められる通常兵器の使用の禁止又は制限に関する条約を想起し、国際社会の平和及び安全に対する明白な脅威となることを認定し、非人道的な該当兵器の廃棄または無期限の凍結を要求する。 平和及び安全に対する明白な脅威、か。 もし廃棄するとしたら、どんな方法で……？ まるで他人事のように、白い紙に鮮やかに印字された文字を、ジョーは淡々と目で追った。 悲しみや憤りといった特別な感情は沸いてこない。 スーパーガンでさえオーバーテクノロジーと見なされ、すでに廃棄処分が決定している。 遅かれ早かれ、こうなることは予測できたから。 加速装置を装備したサイボーグ。 たった一体で、超大国の軍事力に匹敵する破壊力を持つ兵器。 放置すると、将来的に世界の集団安全保障のバランスを崩しかねない。 もしくは―――世界の「敵」になりかねない、という危惧。 全面戦争の危機が遠ざかり、各国の合意が得られる「今」のうちに、人類の脅威になる危険物は処分しておきたい、と国際社会が考えるのも当然だろう。 核兵器に匹敵する大量破壊兵器にもなり得る自分なのに、対人地雷や焼夷弾と同等の「通常兵器」に分類されたことが、むしろ滑稽に思えた。 ―――いつかきっと、闘う必要がなくなる日が来ると、信じていたいの。 その言葉に強く頷き、その日が来ることを信じて、今まで闘ってきたけれど。 心の中に描いてきた「今日」と目の前の現実に、重なりあう部分は殆ど無いような気がした。 でも、たとえそれがどんな形であったとしても、世界に”平和”と安定がもたらされたのなら。 それによって世界の”平和”が保たれるのだとしたら。 今はもう、これ以上自分たちが闘う意味は、なくなったことになる。 闘う意味？ 何のために闘う？ それをずっと自問してきた。 何度もその答えを見失ないそうになった。 それでも今日まで問い続けてきた。 けれど、時は過ぎ、自分たちを取り巻く状況は大きく変わってしまった。 その重い問いに答えるのは、もはや自分たちの役目ではないのだ。 少なくともここには、そうはっきりと書かれている。 手にした薄い紙を、折り目通りに丁寧にたたみ直しながら、ジョーは微かに肩を落とした。 『００９……』 足元の揺り籠の中から、イワンが小さな手を伸ばした。ジョーは黙って頷き、身体を少し屈め、折り畳んだ紙をそっと渡した。 ギルモアが、一歩、ジョーに近づいた。 『先程の話は、この通告が来る以前から考えていたのだ。００９である君が、闘いのない平和な年月を無為に重ねても、何のプラスにもならない。それどころか、現実の時間を生きている限り、君の精神も生身の人間と同じように老いていく。変わらないその容貌のままで日常生活を送り続ければ、ストレスはますます大きくなる。いつか心を歪めてしまうことになるだろう。だが、君には今のままの心を保ってもらいたいのだ。万が一、世界が再び危機に陥るような事態になれば、やはりゼロゼロナンバーサイボーグを束ねるリーダーとなってもらうために』 だから―――当面、００９・島村ジョーの記憶を、封印する。 同じ時間を過ごしても、若さと輝きを保ち続けるサイボーグたちのそばで、年々醜く干乾びていく生身の身体。過ぎ去っていく時間の中に、ひとりだけ置き去りにされていくような絶望的な孤独感。 身体が老いるにつれ、心もまたそのしなやかさを失っていくことは、ギルモア自身が思い知っている。 だからこそ―――。 ジョーは、熱弁をふるい続けているギルモアを、静かに見つめ返した。 書類を手に握ったまま、二人の顔を交互に眺めていたイワンが、揺り籠ごと宙に浮き上がり、ギルモアに問いかけた。 『つまりは、記憶を封印することで「凍結」したと見なす。すでにそれで安保理と折り合いがついてるんだね？』 ギルモアが重々しく頷くと、イワンは小さく首を傾げた。 『なるほど……。確かに、ジョーの能力である加速装置は、００９としての自覚なしに使用することは難しい。だから記憶を封印すれば、脳そのものの働きである能力を「凍結」できる。ゼロゼロナンバー最強の００９を無効化することで、博士は―――決して世界を脅やかす存在になるつもりはない、という意志を示せるわけだ』 他のみんな―――特に実戦的な能力を持つメンバーたちを、あえて故郷に帰らせるように仕向けたのも同じ理由だね、とやや皮肉めいた口調で呟くと、イワンは視線をジョーに移し、淡々と言葉を続けた。 『ただ僕は、記憶を操作することに関してはあまり賛成できない。無論、ここで「廃棄処分」などという話を持ち出されたら元も子もないから、今はこの条件を呑むしかないのだろうけど。でも……当面、というのはどのぐらいのつもりなのかな？連続して「凍結」するのは、せいぜい３年が限界だと思うよ』 空白が長くなりすぎると、記憶を戻すのが難しくなるかもしれない。 面倒でも、定期的に記憶を戻すべきだ。でなければ、一人の人間の人格としての連続性が、失われてしまう可能性もある。 『記憶を消すのはそれほど難しいことじゃない。外的な刺激によって一瞬に封印することだってできる。でも―――戻す作業は、かなり厄介になると思う。順番通りに記憶が戻らずに、混乱することだってあるだろうし……。そうなったら、一本一本、手で糸を紡ぐような丁寧な手順が必要になるかもしれない。記憶をきちんと戻すには、それ相応の手間と時間をかけてなくてはいけないんだ』 もちろん「凍結」後も監視は続くだろう。 「凍結」中の彼と他のメンバーが頻繁に接触すれば、国際社会に要らぬ疑念を抱かせることになる。 条約―――CCWに違反したと見なされれば、せっかく存続が認められたこの研究所の廃止を求められる事態になりかねない。 そうなれば、ゼロゼロナンバーサイボーグをここで敢えて解散する意味がなくなってしまう。 『でも……アメリカやソ連を刺激しないために、全てを遠隔操作で行うというのはどうだろう。ダイブギアが完成すれば、理論上は、離れた場所からでもジョーの脳にアクセスできることになるだろうけど……』 黙り込んだままのジョーを見つめていたアイスグレーの瞳が、ゆっくりと再びギルモアに視線を戻す。 『人の記憶を操作することは、その人の心に直に触れることと同じだ。決して軽々しくは出来ない。はっきり言ってかなり危険な作業になる。博士が切り札として、００９を本気で温存しておくつもりなら、記憶の操作は、慎重になりすぎるぐらいで丁度いいと思う』 ―――記憶が戻らなければ、島村ジョーはサイボーグ００９にはなれない。 真っ直ぐに視線を捉えようとするイワンの強い眼差しに、ギルモアは低く呻いて黙り込んだ。 重い静寂が、しばらくその場を支配した。 息詰まる沈黙を破ってジョーが口を開こうとした、その時。 『博士……』 澄んだ声が、先に背後から響いた。 その声に思いつめたような悲壮感は漂っていなかった。 落ち着いた、いつも通りの優しい声だった。だからこそ、そこに揺るぎない強い決意が秘められているのを感じ取り、ジョーは弾かれるように振り返った。 フランソワーズは真っ直ぐにギルモアを見つめ、前に進んだ。 凛とした美しさが際立つその横顔に、今さらながら、ジョーは思わず見惚れた。 歩みをとめ、間近で見つめるフランソワーズと視線を合わせた瞬間、博士の表情が僅かに歪んだ。 だがフランソワーズは表情を変えずに、静かに言った。 『博士……。お願いがあります……』 ジョーが口にしようとしていたのと、寸分違わぬ言葉だった。 『……フランソワーズ……』 ジョーが喉を詰まらせながら呼びかけると、フランソワーズは微かに首を傾げて振り返った。口元には微笑みさえ浮かべて。 そして柔らかな眼差しで小さく頷いた。 ―――大丈夫……。心配しないで……。 |
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