| v．rendezvous 「ジョー……」 微かな吐息のような囁きに、うん、とジョーは優しく頷いた。 乱れた呼吸を整えながら、まだ力を失ったままの細い身体を強く抱き寄せる。 胸に唇が、そして鳩尾に豊かなふくらみが、そっと押し当てられた。 その柔らかな感触だけで身体が熱くなる。 細い腰のくびれからすらりと伸びた脚へと連なる滑らかな双丘は、ぴたりとジョーの両手に収まった。 しっとりと吸いつくような肌。何度触れても飽きはしない。こうして撫でているだけで、心が満たされていく。 満たされながら、気持ちは昂ぶる一方だ。そしてもっともっと求めたくなる。 張りのある優美な曲線とその弾力を、掌全体で思うままに捏ね、確かめたくなる。 君の匂い。この温もり。柔らかな身体。 ずっと覚えていた。 何度記憶を消されても、この手が、唇が、僕自身が、君を―――君の肌の優しさを覚えていた。 数値化することは不可能な、ふたりの間だけに存在する肌の感覚。 だから脳の記憶領域を操作しても、僕の中から消してしまうことは出来ない。 誰も触れることのできない場所に、そっと秘められている。 ”本来の自分”の記憶に直結しているこの感覚。 それを呼び覚まし、僕を本当の意味で目覚めさせ、蘇らせることができるのは、君だけだから。 「フランソワーズ……」 愛しさをこめて囁き返すと、フランソワーズは甘えるように胸に頬を寄せた。 それにしても―――あんな無茶な、危険極まりないやり方……。 ミサイルの攻撃を受け、爆発炎上する六本木ヒルズに向かって、はるか上空の輸送機から身を投じるなんて。 ―――戻らない僕の記憶を蘇らせるために。 気づくのがもう少し遅れていたら。 あるいは―――気づかないでいたら。 もし、あのまま記憶を取り戻せていなかったら―――。 ジョーは小さく身震いして、金の絹糸を思わせるしなやかな髪にいくつもキスを落とした。 白い天使のように空を舞い降りてきた彼女を腕に抱きとめた時、その身体は微かに震えていた。 それは冷たい雨に打たれたせいだったのか、それとも……。 だが、腕の中でジョーを見つめる美しい瞳には、深い信頼と彼へのひたむきな想いだけが満ちていた。 『記憶、戻ったのね？』 フランソワーズはいつもと変わらない柔らかな微笑を浮かべ、優しい手でこの左頬をそっと包んだ。 ―――３年ぶりの再会。でも、通常とは全く違う再会の仕方。 ぷつりと遮断された日常。そして突如として蘇った記憶。 虚実を問わず、あらゆる記憶が、ジョーの頭の中で混濁し大きな渦を巻いた。 混乱しながらも、ジョーは理解していた。 何かが起こっている。 凍結させていた自分の能力を、解除せざるを得ないと世界も認める程の重大な出来事が。 それほどの敵―――が？ 全世界を巻き込んだ、同時多発テロを引き起こしている姿なき敵―――。 テロ？ 超高層ビルを狙った連続自爆テロ……。 テロ、という言葉を思い浮かべただけで、急に心が冷え、背中に緊張が走る。 「ん……」 ジョーの体が強張ったのに反応したのか、フランソワーズが小さく身じろぎをした。 そんな些細な動きさえ、繋がったままのジョーには目が眩むほどの刺激を与えた。 こうしておとなしくしている我慢も、そろそろ限界に近づいている。 さっき、あれほど激しく君を愛したばかりなのに。 君の唇に触れ、君の柔らかな肌に包まれて、僕はようやく取り戻せた。”本来”の記憶を。 結局、最後はいつもと同じやり方で。 そして無我夢中で君を求めた。 いつもよりずっと強引に、そして執拗に。 君は、そんな僕のすべてを優しく受けとめてくれる。 君がいなければ、僕は……。 心に過った暗い翳を振り払いながら、ジョーは細い顎をそっと持ち上げ、また唇を重ねようとした。 「……フランソワーズ？」 だが瞳は閉じられたままで、呼びかけにも反応がない。 気を失ったまま、微睡んでいるの？ じゃあ、さっきも夢の中で僕を呼んでいたのか？ 昔のままのあどけない寝顔にジョーがふっと表情を緩めた時、長い睫毛を涙が伝い落ちた。 薄桃色に染まった頬に、次々と滴が流れていく。 「フランソワーズ……」 あの時以来、君は決して僕の前で涙を見せようとしなかった。 あの時、ただ一度だけ。 それだって、僕があんな余計なことを言わなければ、きっと君はいつもの微笑みで涙を隠し通していただろう。 これまで君がどれほどの不安を抱えながら、僕の記憶に触れてきたか。 いつもどれだけ心を尽くして、僕の記憶を元に戻してきてくれたか。 僕の記憶を、僕の全てを君に委ねることを望んだせいで、どれほどの重荷を君に背負わせてきたのか。 今、そのことを思い知らされている。 しかも……僕は、今回、君との約束を守れなかった……。 なのに、君は……。 君にこんな想いをさせて、僕はいったい何を守ろうとしてきたんだろう。 「……・ゆめ……？」 消え入るような呟きが聞こえた。 切なそうに小さく眉を寄せたが、彼女はまだ目覚めていなかった。 また一筋流れた滴が細い顎を伝い、ジョーの掌を濡らした。 夢？ フランソワーズ……、今、どんな夢を見ているの？ こうして肌を合わせていることも、また夢かもしれないと君は思っている？ 今、ちゃんと僕の腕の中にいるのに。 でも―――夢を見ている間から、これは夢だと自分に言い聞かせておけば、あとで悲しい思いをしなくてすむ。 そのことは僕もよく知っている。 逢いたいと願う人と過ごせる時間は、夢の中のほうがずっと長いから。 ただ僕は、夢の中でも、偽りの現実の中でも、逢いたい人が誰なのか、それさえわからずに過ごしてきたけれど。 涙に濡れた頬を掌でそっと包み直し、親指で睫毛の滴を優しく拭う。 艶やかな唇が微かに開き、声にならない呟きが洩れた。 「僕はここにいるよ、フランソワーズ……」 ジョーは耳元で囁くと、唇を涙の痕にそっと重ねた。 |
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