―――００９。
それは僕の名前。
それが僕の名前。
だけど……。

いつもの笑顔が戻った昨日も、彼女は僕をそう呼んだ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　


『００９……君の、本当の名前を教えて』
そう言って００１３は、僕の手を握り締めて死んでいった。

なぜだ？
なぜ僕たちは、こんなふうにしか出会えなかった？
どうして闘わなければならなかったんだ？
君と闘いたくなんかなかったのに。
トモダチになりたかったのに。
きっと、僕達はいいトモダチになれた。
なのに…
でも僕達たちの置かれている状況では、自分の意思なんて全く関係ないんだ。
自分の身体が、「普通の人間」でなくなってしまっただけじゃない。
もう普通の人間として「生きる」ことも許されない。
闘うための兵器としてだけ存在している。
００１３の死を通して、僕はそんな絶望的な事実を思い知らされた。
戦いのための９番目の道具。
だから、僕はゼロゼロナイン……

違う！
僕は、００９なんかじゃない。
島村ジョーだ。
数ヶ月前の僕と今の僕は、どこも何も変わっていない。
なのに、どうして？
どうして、僕が闘わなければならない？
他人も、自分も傷つけて。
そんな、数字の番号で呼ばれるなんてごめんだ！
僕はモノじゃない。人間だ。機械じゃない。
ちゃんと名前があるんだ。
だから―――だから、きっと同じ思いだった００１３も最期に僕に尋ねた。
僕の本当の名前を。
人としての名前を。

サーティン……。
君の名前は何だったんだい？
１度でいいから、呼びたかったよ。君の本当の名前を。
こんな形でしか出会えなかったとしても、せめて最後ぐらいトモダチとして…。
なのに……そんな願いさえ……

木彫りのウサギを握りしめ、僕はひとり、声を殺して泣いた。

どのくらい時間がたっただろう。
キャビンのドアを、誰かが躊躇いがちにノックする小さな音が聞こえた。
でも僕はベッドに座ったまま、じっと頭を抱え込んでいた。
誰とも顔をあわせたくない。
今は一人にしておいてくれ！！
「……００９…？」
細く、柔らかな声。
彼女だった。
僕は、のろのろと顔を上げた。
「００９……大丈夫？」
ドアの向こう側で、彼女の心配げな表情が待っているのは分かっていた。
でも僕は立ち上がることも、声を出すことも出来ず、虚ろな目でドアを見つめていた。
しばらくして、足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
僕は無意識のうちに、大きなため息をついた。
そして、ふと気づいた。
ついさっき、僕が心の中で叫んだ言葉。
それは、彼女があの時、ぽつりと呟いた言葉そのままだったことに。


その数日前、ようやく改造し終わった艦（ふね）に、新しい名前をつけよう、と彼女は僕たちに提案した。
『ブラックファントムだなんて、いい感じしないわ。それってＢＧがつけた名前でしょ？せっかくみんなでペンキを塗った私たちの艦なんだから、別のにしましょう。ね、００９、そう思わない？』
艦に名前をつける。
彼女に言われるまで、僕は―――おそらくみんなも―――思いつきもしなかった。
『ねえ、００９。これ、どうかしら？』
そう言って彼女はポケットから例の蒼いイルカを取り出すと、僕の目の前で小さくゆすって見せた。
『あ……それ……？』
『お店でこれを見つけたときに思いついたの。形が似てるって思って。それにイルカって、とても優しくて可愛いい目をしてるでしょ？だから―――』
ドルフィン号。
『ウン…。いいね』
僕がそう答えると、彼女はニコッと笑って、今度は操縦席にいた００８に声をかけた。
『００８はどう思う？「ドルフィン号」って名前、嫌？』
『空飛ぶ鯨……ならぬ空飛ぶイルカか。水陸両用だし、いいんじゃないの？』
苦笑しながらも００８は頷いた。
他のみんなも、特にこの提案に異議を唱えることはなかった。
じゃあ決まりね、と彼女は弾んだ声でそう言うと、また僕に向き直った。
『お願い、これを操縦席の上に吊るして欲しいの』
『え？』
はい、と僕の手にイルカをそっとのせた。
『みんながこの艦の名前を覚えてくれるまで、ぶら下げておくわ。ね？』
『覚えるって、そんなたいそうな名前じゃないだろうに』
呆れたように言う００７に、彼女はキッパリと宣言した。
『違うの。覚えるまでっていうのは、みんなが当たり前のように「ドルフィン号」って呼ぶようになるまで、ってことよ』
やれやれ、という表情で、００７は００４を振り返り、大袈裟に肩をすくめてみせた。
だが００４は唇の端を少し歪め、微かに笑っただけだった。
気のせいか、コックピットの空気がいつもより明るい。
操縦席の真上のイルカが、蒼く光って揺れている。
それをじっと見あげている君の横顔が、僕にはとても眩しかった。

ところが。
『いったい何なんだよ、ありゃ？』
自分の席の上にぶら下がったイルカに、００２は素っ頓狂な声を上げた。
そして―――「ドルフィン号」。
その名前を聞いて、彼はちぇっ、と大きく舌打ちをした。
たぶん００２が気に入らなかったのは、名前そのものじゃなくて、自分の知らないところで話が決まってしまったことなのだと思う。
彼女は、憤慨する００２を、いつものように笑顔で軽くあしらっていた。
でも本当は、００２の賛同が得られなかったことを気にしていたようだった。
そのあと、２人で００６の料理の手伝いをしている時に、彼女はぽつりと言った。
『闘うための艦にしては勇ましくなさすぎる、って００２は言うの。名前なんか要らないって。ましてや生き物の名前なんておかしい、って。でも―――でも、たとえ戦闘艦として作られたとしても、ううん、だからこそ……ちゃんとした名前を付けたかったの』
『００２は、本気でいやだと思ってるわけじゃないよ。きっと……自分だけ知らなかったから、ちょっと拗ねてるだけだよ』
僕の言葉に彼女は小さく笑い、じっと僕の目を覗き込んだ。
『そうかもしれないわ。でも……名前って……とっても大事だと思うの。そう思わない？』
澄んだ瞳に、思わず吸い込まれそうになる。
『私たちは、知らないうちにこんな番号をつけられちゃったけど、せめて……この艦には……』
瞳が揺れた。
『００３……』
目を伏せ、彼女はゆっくりと長い息を吐いた。
『前から思っていたの。こんな……数字の番号で呼ばれるなんて、まるで……ほんとにモノみたいだわ』
『００３……』
再びそう言ってしまってから、僕は愕然とした。
それ以外の言葉で、僕は君を呼ぶことができないなんて。

―――僕は、君の名前を知らない。

『……私たちは……機械じゃないわ。人間なのよ。なのに……』
僕を見つめる大きな瞳から、今にも涙が零れそうだった。
それ以上何も言えず、僕はただじっと彼女を見つめていた。
と、その時。
『２人とも、何ぼんやりしてるね！！００９、鍋が焦げてるよ！！００３、こっち手伝って！』
００６が鋭く叫ぶ声。
結局、その話はそれきりになってしまった。


『００９……君の、本当の名前を教えて』
そう言って死んでいった００１３。

僕たちも、このままお互いの名前さえ知らないで、いつかあんなふうに……？
そんなの…嫌だ！
たとえ闘うための道具として改造されたとしても、僕たちは人間だ。
モノじゃない。機械なんかじゃない。
だったら……せめて……

僕はベッドから立ち上がると、急いでキャビンをあとにした。
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