６．襲撃

流れ星が一つ、また一つと零れ落ちていく。 　どのくらいの時間、空を見上げていたのだろう。 　今、真南に見えるのは、冬の天空の王者オリオン。そして白く輝く美しい月。 （月とオリオン……） 　哀しい神話を思い出す。 　月狩の女神が差し向けたサソリに刺され、オリオンは命を落とした。 （アルテミス、あなたは悔やまなかったの？彼を愛していたのではないの？） 　射るような光に、思わずフランソワーズは問いかけた。 ―――冷たい沈黙。 　凍りついた白い月。 　小さく身震いし、視線を眼下の海に移す。 　漆黒の海。滑らかな表面に波はなく、潮騒の音も聞こえない。 　こうして一人で見ていると、底知れぬ闇に引きずり込まれてしまいそうだった。 　だが、真上から照らす月光の呪縛にかかったように、彼女はその場から動けずにいた。   　と、その時。 　前方でチカッと赤い光が瞬いた。 　一つ、また一つ。 （あ、あれは？！） 　人工的なその灯りが、いくつもに分かれて近づいてくる。 　だんだん大きくなる不快なエンジン音。 （そういえばさっきから……） 　耳の奥に響いていた。低くうなるようなかすかなノイズが。 　ずっと気になっていたのに。なのに、あえて探ろうとしなかった。 　そんな気持ちになれなかったのだ。 （しまった……迂闊だったわ！） ”み、みんな、起きて！！” 　彼女の悲痛な叫びに、仲間たちが次々反応する。 ”なんだ？何が起こった？” ”どうした？フランソワーズ？” ”大変！……戦闘機が十数機、こっちへ向かってるの！” 　　　 　全く予想もしていなかった敵の攻撃。 　瞬く間に研究所の上空を支配した戦闘機が一斉に火を吹く。 　ドカン―――！！バリバリ！！ガシャン！ （あっ！いけない！イワンは……夜の時間なのに！） 　あわてて２階の隅の部屋に駆け込み、フランソワーズは息を呑んだ。 　すでに天井は大部分が崩れ落ち、床に積み重なって足の踏み場もない。 「イ、イワン！どこ？……どこにいるの？」 （ああ！まさか――この下に？……眠っているイワンは……ただの赤ん坊なのに……） 　狼狽して立ち尽くす彼女の耳に、ジェロニモの声が響く。 ”００３、大丈夫。イワンはここにいる” （よかった……） 　ホッと胸をなでおろした瞬間、耳を劈く凄まじい音がした。 　グワシャ――ンン！！ 　残っていた天井がどっと崩れる。 　ばらばらと降り注ぐ大小の瓦礫を、彼女は必死に避けて走った。 　ドカーーンン！ 　再度打ち込まれたミサイルが、２階部分を完全に粉砕する。 　ほんの一瞬早く、階下に飛び降りた彼女の頭上で、またミサイルが炸裂した。 「ああ――っ！」 　破壊された階段の陰に、咄嗟に身を伏せる。 （早く……地下に……行かなくちゃ） 　だが執拗な敵の攻撃に、その場を動くことができない。と、その時―――。 ”フランソワーズ！こっちだ！” 　瓦礫の向こうからジェットが手招きした。 　タイミングを見計らい、壁の向こうへフランソワーズは転がり込む。 　ジェットは彼女を抱きかかえるようにして、地下への入り口に飛び込んだ。 　容赦なく降り注ぐミサイルに、瓦礫と化した研究所は、たちまちのうちに炎に包まれていく。 「もうちょっと……遅かったら……エライことになってたぜ！よく……気がついたな」 　珍しく蒼ざめた顔のジェットが、腕の中の彼女をいたわるように言った。 　フランソワーズは首を横に振って目を伏せる。 （もう少し早ければ………） 　２人は立ち上がると、急いで地下格納庫のドルフィン号に乗り込んだ。 　他のメンバーたちも呆然とした表情でコックピットに集まっていた。 　全く誰も予想していなかったから、それだけに衝撃も大きい。 　相当鈍っている自分達の「闘いの勘」。 　そのことを嫌と言うほど思い知らされたのだ。 　心してかからないと、以前のようにはいかない―――。 　厳しい表情のハインリヒが、溜息混じりに呟く。 「フランソワーズが気づいてなかったら……完全にやられてた。危ないところだったな」 「くそうっ！……完全に油断していた。もう少し早く……」 　ジョーの言葉に、フランソワーズは唇を噛みしめた。 ―――ぼんやり考えごとをしていなければ、もっと早く気づくことができたのに。 　イワンが眠りの時間に入っているのだから、自分が注意していなければならなかったのだ。 　あと１分でも早ければ、研究所のバリアーをセットする時間もあっただろう。 　だが、間に合わなかった。何もかも破壊されてしまった。 　自分の数少ない能力すら十分に発揮できなかったことが情けなかった。 　数少ない能力―――ほとんど生身の自分。 　彼の言葉にまだこだわっていることに気づき、彼女は溜息をつく。 （ジョーが、そんなつもりで言ったのではないことはわかってるのに――） 　　 「００３！」 　マリアに声をかけられ、フランソワーズは我に返った。 「大丈夫？血が出てるわ！」 「あっ……」 　右手をそっと取られて、彼女は小さく声をあげた。 　白い手の甲がざっくりと割れて、血がしたたっている。 　頭上から降ってきた金属の破片が手を直撃してできた傷―――。 　逃げるのが精一杯で、そんなことにまで、頭も感覚も回らなかった。 　大した傷じゃない。 　これくらいで、みんなに心配をかけるわけにはいかない。 「……大丈夫よ。少しかすっただけ……。あなたは怪我はない？」 　疼く右手をそっと左手で隠し、笑顔でマリアを見つめた。 「ええ、００９が助けてくれたの。だから大丈夫！」 　マリアは、はにかんで微笑み、操縦席の彼を頼もしげに見つめる。 　彼女たちの視線の向こう―――何かに迷って沈んでいたあのジョーとは、まるで別人だ。 　目に強い光を湛え、レーダーでじっと敵の動きを見据えながら、ハインリヒと厳しい顔で言葉を交わしている００９の姿。 （ジョーは……００９に戻ってしまったのね） 　でも……そうじゃなきゃいけないんだわ、とフランソワーズは溜息をついた。 （いつまでも、私もフランソワーズでいてはいけない……） 　００３になるためにここに来たのだから、と彼女は懸命に自分に言い聞かせた。 　ドルフィン号は地下から海へ脱出すると、しばらくそのまま潜航を続けた。 　はやる気持ちを押さえきれないように、ハインリヒがジョーを振り返る。 「早いところ、撃って出よう」 「……今、『上』はどうなってる？」 　ジョーの問いかけに、フランソワーズは瞳を凝らし、ドルフィン号の天井を見つめていたが、やがて彼に視線を向けた。 「まだ……研究所を攻撃してるわ。もう……今、地下のシェルターも格納庫も……完全に……」 　そこまで言いかけて、彼女ははっと言葉を切り、後方の一点を凝視した。 「あ！……この音は……潜水艦よ。こっちへ向かってる。でもそれほど大きくないわ。１隻だけ。まだ、距離はかなりあるけれど……」 「どうするよ？」 「潜水艦が来るまでしばらく時間がある。まず……『上』を始末しよう」 　ドドドーーーッ！ 　海中から姿を現したドルフィン号は、たちまち敵機の集中砲火を浴びた。 　多勢に無勢だが、巧みな操縦で、ジョーは次々と敵機をかわしながら攻撃をしかける。 「ヒュー！さすがだな、００９！久しぶりだが……ちっとも腕は衰えてねえな」 　ジェットが感嘆の声をあげた。 　ギューンン！ 　ハインリヒも着実にミサイルを投下し、やみくもに攻撃を仕掛けてくる敵機を一機、二機と撃ち落す。 ―――ドカーーン！！ 　だが、ドルフィン号の機体にも何度か敵の砲弾があたり、その度に激しく振動した。 「きゃああ――っ」 　マリアは、真っ青な顔で中央の座席にしがみついている。 　座席ベルトを着用し、ある程度衝撃を和らげる保護服を着ているとはいえ、彼女は生身だ。 　恐怖からパニックに陥っても不思議ではない。 　だが今は、誰にも彼女に手を差し伸べる余裕はなかった。   　激しい攻防の幕切れはあっけなかった。 　ビュ―ン、という長く引きずる音を残して、最後の一機が海に転落し、激しく水しぶきをあげて爆発した。 「ふぅ……」 　長く息を吐きながら、ジョーは視線を隣の席に移した。 「潜水艦は……？」 　フランソワーズはじっと目と耳を凝らし、海中の様子を探る。 「……近づいてきてはいないわ。離れたところで様子を伺っている。あの潜水艦は……偵察艦……のようね。攻撃的な装備は……ほとんど搭載してないわ」 「はあ――助かったアルよ。久しぶりに寿命が縮んだアルね……」 　張々湖の声は、皆の心を代弁していた。ようやくコックピットに安堵の空気が流れる。 　が、冷静なピュンマの、珍しく緊迫した声が響く。 「ちょっと待ってくれ！エンジンが……やられたかもしれない」 「な、何？」 「まだ、はっきりしたことはわからないが……。とにかく……どこかへ降りてチェックしないと……」 「この付近の……地図を映してくれ……」 「はい……」 　フランソワーズはパネルを操作してスクリーンに現在地――硫黄島付近の詳細図を投影した。 　無意識に動かした右手に走る痛み。だが、懸命にこらえて操作を続ける。 「あの、右側の小さな島に降りよう。あそこなら、機体を隠せる場所がある」 　緑の多い無人島めがけて、ドルフィン号は一気に高度を下げていった。 　 「ホントに大丈夫？」 「ええ……。ここ、しばらくお願いしていい？」 　キッチンにマリアを残し、フランソワーズは自分のキャビンに戻る。 　まだズキズキする右手を水で洗い、傷口を消毒しようとして痛さに顔をしかめた。 　思ったより傷口が深い。 　と、その時、ノックの音がし、静かにドアが開いた。 「あ、博士……？」 「怪我をしておるのだろう？ちゃんと見せなさい。へんな遠慮は禁物じゃ」 　少し厳しい顔で、ギルモア博士は彼女を見つめた。 「あ、あの……博士……」 （どうしてわかったのかしら？） 　フランソワーズをベッドに座らせ、ギルモアもその脇のスツールに腰を下ろした。傷口を調べ、持ってきたボックスから必要な器具を取り出し、さっと麻酔を打って、手早く傷口を縫う。 「これは……こうしておかんと、傷跡が残る。せっかくの……綺麗な手が台無しになるからの」 　博士は明るい調子で言葉を続け、さあこれでいい、と頷きながら包帯を彼女の手に巻いた。 「すみません……」 「あまり……無理をするな。久しぶりなんじゃ。みんな……慣れるまでにしばらく時間がかかる」 　穏やかなギルモアの目が、フランソワーズを優しく見つめる。 「ジョーが心配しておったぞ。早く診てきてくれとうるさくてな」 「え……？」 　一瞬怪訝な顔をして、彼女は博士を見つめた。 ―――何も言わなかったけれど、彼はちゃんと気づいていてくれた。 　さっと頬を染めて俯いたフランソワーズを、ギルモアはしばらく黙って見ていたが、やがて溜息をついて立ち上がった。 　ドアの前で歩みを進め、ふとこちらを振り返り、微かに肩を落とした。 「かえって、オマエさんに辛い思いをさせたかのう……普通の生活から……また……」 「博士？……いいえ！そんなこと……。少しでも戻ることができて……」 ―――本当によかったのだろうか？ 　何度も自分自身に問いかけてみる。 （わからないわ。良かったのか、悪かったのか……） 　でも、こうして私はここにいる。 　自分でここにいると決めたのだから、と彼女は心の中で呟いた。   「ホントに……びっくりしたわ！あなたの言っていた意味がよくわかったわ。あなたたち『仲間』ってすごいのね！」 　キッチンに戻ろうとしたフランソワーズの耳に、少し高ぶったマリアの声が飛び込んできた。 　彼女は、頬を真っ赤に染め、早口で熱心に話しかけている。 　それを見つめる、ジョーの柔らかい表情。 　中に入ろうとして一瞬、躊躇した。 「阿吽の呼吸っていうのかしら。誰に何を聞いているのか私にはわからないのに……ちゃんとすぐに返事が返ってきて……暗黙のうちに役割分担ができてて。感動しちゃった！私なんて……ただ怖がってるだけで……何が何だかわからなかったのに」 　興奮気味のマリアに苦笑していたジョーが、フランソワーズの姿を認め、ゆっくりと近づいてきた。 「……ケガの具合は？」 　茶色の瞳が彼女を優しく見下ろす。 　久しぶりに―――そう、１年ぶりに、そんな彼のまなざしを見たような気がした。 　再会してからの彼は、ずっと沈んだ顔をして、辛そうに彼女を見ていたから。 　胸の高まりを押し隠すように、フランソワーズはジョーに笑顔を向ける。 「ええ。博士に治療してもらったから……もう大丈夫。ごめんなさい……心配かけて」 　彼女が右手を彼に示すと、彼は不意にその手を取った。まるでダンスのエスコートをするように優しく――― 「あ……ジョー……？」 　彼は、包帯がきちんと巻かれていることを確かめるように、その手に目をやる。 　そして彼女の目を見つめて頷き、またそっと手をおろして離した。 「修理が済むまで、島の探索に行って来る」 　コックピットへ向かう彼の背中を見つめていると、涙が出そうだった。 ―――やっぱり私、あなたのことを……。 　彼が触れた右手を、左手でいとおしげに包み込み、フランソワーズは小さく溜息をついた。   「……？」 　何気なく振り返ったフランソワーズの目に、沈んだ表情のマリアの姿が映る。 　あれほどはしゃいでいたのが嘘のようだ。 　彼女は、ぼんやりとドアを見つめていた。 「……マリア？」 「えっ？あ……ううん。何でもない」 　慌てて笑顔を浮かべようとした彼女の視線とぶつかる。 　黒い瞳が探るようにフランソワーズを見つめている。 　その真剣さに、一瞬、思わず目を伏せた。 （マリアは……） 　何とかぎこちない微笑みを返した。 　いつもの彼女らしい微笑を取り戻したマリアは、何も言わず、彼の後を追ってコックピットへと去っていった。 ―――マリアは気づいてるんだわ。彼女はあんなに正直なのに……私は……。 　あの綺麗な黒い瞳に、何もかも見透かされている。 　そんな後ろめたい思いが、フランソワーズの心をさらに重くした。

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