―――その時の、ジョーの顔？
もちろん見ていない。
切りつけられて、気を失ってしまったから。
彼が自分の名を叫んだのが遠く聞こえただけだった。
でも・・・わかるわ。
ジョーがどんな顔してたか。
もし失敗したら、どれだけあなたを悲しませるかもわかってた。
でも私は、飛び込まずにはいられなかった。
あなたは、私に、そうしろと言ってくれなかったけど。

「・・・ごめんなさい。アルベルトの言うとおりね・・・」
でも、とフランソワーズは天井へとそっと視線を移し、独り言のように呟いた。
「でも・・・どうして・・・？」
彼女の問いの意味がわからず、アルベルトは蒼白い頬を見つめた。
「どうして・・・一人で行こうとするの？」
何も言わずに。たった一人で。
ひとりで全部背負い込んで。
「フランソワーズ・・・？」
「ジョーも・・・。そして・・・あなたも・・・」
かすかに声が震えた。
―――俺も？
「私だって同じ気持ちなのに・・・」
「同じ・・・気持ち？」
目尻を涙がすうっと伝い落ちた。
そのまま、フランソワーズはしばらく黙り込んだ。
「夢を・・・見たの」
「フランソワーズ・・・？」

悲しい夢だった。
今まで見た夢の中で一番悲しい夢。
鮮やかで、生々しくて。
夢の中の音も色も感触も、何もかもまだ、はっきりと記憶に残っている。

私は何も出来なかった。
助けようとした。でも私の手は届かなかった。
そして―――全てが終わったあと。
冷たくなっていくジョーの体を抱きしめるのが精一杯だった。

みんなが待機して、仮眠していたあの洞窟。
目を覚ました私は泣くことも出来ずに、ただ震えていた。
明け方見る夢は、正夢。そんな迷信が頭をよぎった。
その時、ジョーが静かに起き上がって、黙って洞窟を出て行くのが見えた。
だから、何も言えなかった。
でも、たとえ彼がそこにいたとしても、とても言えない。
口にしたら・・・今見た夢を言葉にしたら、きっと本当になってしまう。それが怖い。
いいえ、そうじゃない。
それはいつか本当になる夢だと知っていた。
覚悟してた。彼のことを好きになったときから。
その覚悟が出来なければ、好きでいちゃいけないって思ってた。
彼は、いつか一人で全部背負っていってしまう。
そんな日が来るという覚悟は出来ていたつもりだった。
でも、それは・・・いとも簡単に打ち砕かれた。
「現実」にではなく、たかが、自分自身が見た「夢」に。
きっと、その日は来るのに。その現実の日だけで十分なのに。
なのに、どうして夢にまで出てくるの？
また、こんな思いをしなければならないの？今度は本当に。
それでも私は、必死に言い聞かせていた。
あれが本当になるのは、まだずっと先だと。
だから、それまでにもっと強くならなければ。
その時、私は、あなたをちゃんと・・・
なのに・・・。
その午後だった。
「・・・全く同じ状況だったの。夢と」
あまりの偶然の一致に、どちらが夢で現実なのかわからなくなった。
「フランソワーズ・・・」
まるでデ・ジャ・ヴ、と彼女は、懸命に微笑を浮かべようとしながら、ぽろぽろ涙を流した。
だから―――
「あの時、私が飛び込まなければ、夢と同じように、ジョーは・・・」

あの時の私は、まだ朝の夢からさえ立ち直れていなかった。
おいていかないで！
私をこの世界に一人にしないで！
私があなたの代わりになれるなら、喜んで・・・そうするから。
あなたは、生きて！お願い！

「・・・そう思ったの。だから・・・」
気づいた時には、飛び込んでいた。
命とひきかえなら、私にもあなたを助けることが出来るから。
そして、また同じ状況に遭遇すれば―――きっと私は、何度でもそうする。あなたがどんなに怒っても。

代わりに生きる？アイツが、君の命とひきかえにして？

「フランソワーズ・・・それはきっと無理だ」
「・・・無理？・・・どうして？」
君には言わないでおこうと思っていたが、とアルベルトはゆっくりと立ち上がった。
窓辺に立ち、少しカーテンを開ける。
白い月は西に高度を下げていた。
「正直に言うとな、今度こそ駄目だと思った。俺たちは、本当に仲間を失ったと思った」
「・・・ごめんなさい・・・」
「君だけじゃない。アイツもだ」
「え・・・？」
あの時、敵陣に飛び込んだ君は、思惑通り、格好の的になった。
敵は倒れた君に砲弾を浴びせ掛け、君に切りつけたサイボーグもろとも、小型ミサイルで吹き飛ばそうとした。

「・・・ミサイル？」
アルベルトは背中を向けたまま、頷いた。
「・・・ああ。俺の膝に入ってるのと同じような代物だ」

ジョーは、助け出した人質の安全を確保すると、すぐに君のいる場所に突っ込んでいこうとした。
だが、いくら加速装置があったとしても、間に合わない。
長年の付き合いだ。姿は見えなくても、消えたタイミングでわかる。
たとえ００９でも、とても助ける時間はない。
だが、アイツは、ミサイルに体当たりした。

「・・・ジョー・・・が？」
フランソワーズの顔が青ざめた。

「死んじまったと思ったぜ、ほんとに」
体が、粉々に砕けていてもおかしくなかった。
だからもうもうと立ち込める爆煙の向こうに人影を見て、俺は目を疑った。
ぐったりした君を抱きかかえて、半狂乱になっているアイツの姿。
なぜ？
なぜ間に合った？
彼はいったい何をした？
信じられなかった。
「ただの００９なら、間に合ってなかった」
アイツが、君を愛してる男だから。
「でなければ・・・間に合うはずがない。どう考えてもな。もっとも・・・助けようと思ったのか一緒に死のうと思ったのか」
それはわからない。
でも、君を一人で死なせたりはしない。
「アイツは・・・そういう奴だ」
（そして、それが―――俺との違い）
灰色の目に月光が眩しく突き刺さった。
「ね・・・アルベルト」
長い沈黙が破れた。
蒼い瞳が、ゆっくりと振り返ったアルベルトをじっと見つめた。
「ん？」
「酷いこと・・・聞いていい？」
「酷いこと？どんな？」
「あなたにしか・・・聞けない・・・とても・・・残酷なこと・・・」
フッとアルベルトは笑った。
「それは光栄だな。ジョーにも聞けないようなことを、俺だけに聞いてくれるって言うなら、喜んで答えるよ」
君がどんな残酷な言葉を口にするのか興味もある、と冗談めかして言う。
だが、フランソワーズは思いつめた表情で問うた。
「あなたは、どちらを選ぶ？どちらが・・・辛いと思う？」
「どちらって・・・？」
「・・・・愛する人を遺して死んでしまうのと、愛する人を失ったまま生きるのと」
そういうことか、とアルベルトは、いっそう薄く笑い、ベッドサイドに腰をおろした。

確かに、俺にしか聞けないだろう。だが―――
「さあ・・・どうかな」
残念ながら、１人の人間は・・・どちらかの立場にしか立つことができない。比べることは出来ない。
だから俺には、たぶん永久にわからない。
彼女がどんな思いで死んでいったかは。

「私ね、死んでしまうかもしれないって思ったときに、考えたの」
このまま私が死んでしまったら―――
ジョーは、きっと自分を責めて苦しみ続ける。
それはとても辛い。彼にそんな苦しみを与えてしまうことが。
でも・・・それでも、あなたに生きていて欲しい。幸せになって欲しい。
「自分が遺されたら、愛する人が死んだら、もう絶対に幸せになんかなれないって思うのに」
ちゃんと生きて。幸せになって。私の分も。そう祈ったわ。
その祈りがかなえられるなら、それほど辛くはない。先に逝っても。
そう言うと、くすっと彼女は微笑った。
「なんだかとても矛盾してるわね。私の言ってること、おかしいわ。・・・ごめんなさい」
いいや、とアルベルトは小さく首を振った。
「・・・そんなことはない。よくわかる」
「でも・・・思ったの。きっとあなたの愛してた人だって・・・」

だから―――お願い。
生き急がないで。

蒼い瞳がじっと見つめる。まるで・・・

ヒルダ、お前も？
俺がこうして生きていることを望んでいる、と？
君を死なせてしまったこの俺に、幸せになれ、と？
それは・・・無理だ。
でも・・・

「ごめんなさい。また酷いこと言ったわ・・・私。あなたを・・・傷つけるようなことばかり言ってる」
フランソワーズは睫を伏せた。
しかも―――愛してた、だなんて。
あなたはずっと愛し続けてるのに。今も、その人を。

アルベルトはそっと右手を伸ばし、フランソワーズの頬を伝う涙を優しく指でぬぐった。
「・・・幸せになれ、か。君にそう言われるまで・・・」
そんなふうに考えたことはなかった。
確かに彼女なら、そう言いそうだ。
だけど・・・それは無理だ。何を幸せと思うか、にもよるが。
「さあ、そろそろ寝よう。また具合が悪くなると・・・アイツの機嫌が悪くなる」
ええ、とフランソワーズは小さく笑って頷いた。
「いろいろとごめんなさい。つまらない話、聞いてくれてありがとう、アルベルト」
こんなこと、他の誰にも言えなかった。
「あなたにしか・・・話せないわ」
ふうっと長い息を吐くと、アルベルトは優しく言った。
「おやすみ、フランソワーズ」
「おやすみなさい・・・」
ゆっくりと立ち上がり、アルベルトはドアをあけて廊下に出た。

あなたにしか話せない、か。
「この方が・・・よっぽど残酷だ」
アルベルトは唇を歪めて笑うと、ため息をつきながら、斜め前のドアに向かった。
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