３．ジョー

　２月１４日　　ＰＭ５：００

畜生…！

ベッドの上でギュッと固く目を閉じ、頭を抱えるようにして寝返りをうつ。
…考えるまいと、すればする程。
ジョーの脳裡には、同じ画像が何度も何度も…まるで壊れた映写機のように繰り返されていた。

　ぎこちない笑顔の彼女の背後から現れ、静かに離れてゆく男。

フランソワーズとアルベルトは趣味が似ている部分がある。
それは、僕がどうしたって入り込めない世界で。
彼女が僕を好きでいてくれてるなんて、実はとんでもない思い違いであって、本当は彼女の心は彼のものなんじゃないかと思えてくる程で。
…そして僕は、無知で滑稽なピエロでしかなく。
やけに落ちついて見える彼の態度が、まさにその答えのようで…あの時、僕は自分を見失いそうになった。

ジョーは、机に置いてある、金色のリボンが巻かれた小箱に目をやった。
『え？！文字なんか入れられるんですか？』
『はい。ご自分で簡単に出来ます。プレゼントされるんでしたら、是非如何でしょう』
―――ずっと何にするか決められなくて、やっと今日見つけた、僕から君への贈り物。
―――…いい加減、君に伝えなきゃと思ってたから。
―――全然大したものじゃないし、君はこんなの喜んでくれないかもしれないけれど。

無駄だった、かな…。

彼がそう考えたとき、不意にドアが控えめにノックされた。
目だけ動かしてそちらを見る。
「…はい…」
「…私よ、入ってもいい…？」
ガバッとジョーは飛び起きた。
慌てて小箱をポケットに隠す。そこで彼は、自分がまだジャケットを着たままだったことに気づいた。
「ど…どうぞ」
どんな顔をしてフランソワーズを迎えればいいのか決めかねているうちに、ドアが遠慮がちに開かれた…。


黄昏色が消え、薄闇に染まる空。
その中、ジョーはフランソワーズを隣に乗せ、車を走らせていた。
『張大人とグレート、迎えに行かない？』
何を言われるかと思いきや、想像もしなかった言葉。
そろそろ終わるけど、予定より遅れてしまったから迎えに来て欲しいと電話があったらしいのだが。
ジョーの胸中は複雑だった。
アルベルトではなく自分を誘ったのは、やはり少しでもこちらに好意を寄せてくれているからなのか、ただ単に彼を動かすまでもないと判断したからなのか。
前者なら嬉しい限りだが、後者であれば、自分は彼女にとって只の使い走り同然…？
友達よりも酷い扱いである。ジョーは果てしなく暗く重い気分になった。
「あの…ジョー…？」
おそるおそる、という感じでフランソワーズが口を開いた。
「な、なに？」
「さっきのことだけど…」
ぎく。
考えるまでもない、あの鮮やかな口紅の痕のことだ。
―――何も今ここで言わなくてもいいのに。
……もしかして、誰にも聞かれたくなかったのか？だから僕を連れ出したとか。
誰にも言わないで、とかお願いされるんだろうか。とうとうここで僕の想いに終止符が…？！
思考にも加速装置がついているのかと訊ねたくなる程のスピードで、彼の頭はネガティブな方向へめまぐるしく回転した。
「…あれ、事故よ」
「え…」
「ぶつかっちゃっただけなの。アルベルトはコーヒーのおかわりのためにキッチンへ来て…そこに私が…」
「……」
ジョーは何も答えない。
こちらを見ようともしない彼の横顔を、フランソワーズは不安そうに何度も盗み見た。
暫くして、ジョーはいきなり道路沿いに並ぶ店の駐車場に車を乗り入れた。
「？」
何事かと目をしばたかせるフランソワーズ。
ジョーはその碧い瞳を暫し見つめ、やがてゆっくりと微笑って頷いた。
彼女がそう言うのなら、そうなのだ。誰が何と言おうと。
「うん」
…わかった、と答える彼女の大好きな笑顔。心からホッとしてフランソワーズは息を吐いた。
「…嫌われたかと思った」
その呟きに彼が目を丸くした。
「え？！君が？！僕に？！」
「ええ…」
「まさか！それは有り得ないよ…」
―――僕が君に見捨てられることはあっても。
彼女に相応しい男は何処かにいて、いつかきっと彼女を自分から攫ってゆく―――そんな思いがいつも纏わりついて離れなかった。
(今だって、自信はないんだ…)

でも。
僕は…君がいないと。

ジョーは上着のポケットから、さっき慌てて隠したものを掴み、彼女の目の前に差し出した。
「これ…？」
「……君に、と思って…今日――バレンタインだろ…」
えっ、とフランソワーズは驚いて、小箱とジョーを交互に見やった。
「私…に…？」
コクンと頷く彼の顔は真っ赤だった。
不器用で照れ屋なジョー。プレゼントひとつ買うのにも散々悩んだに違いない。
その一生懸命な彼がとても愛しくて嬉しくて、フランソワーズは胸を熱くさせながら微笑んだ。
「有難う…」
箱の中から現れたのは…
「…鏡…？」
薄い、正方形のコンパクト。
「前に…お気に入りのが壊れちゃったって言ってたから…」
思わず目を潤ませる。
あんな独り言を憶えてくれてたなんて――
「…あ…」
下側の面に、彼女は何かを見つけた。細く滑らかな線で、メッセージが入れられていた。
それを読んだフランソワーズの瞳から、涙が零れ落ちた。
無口なジョーが綴った、短いけれど、彼の想いが凝縮された言葉。
「嬉しいわ、ジョー…！大切にする…！」
とっても素敵なプレゼントだわ。どこにいても、これを開く度に、あなたが語り掛けてくれるんだもの。
「…私もね、あなたにあげたいものが…」
ショルダーバッグを手にとる。
もしかしたら彼に渡せないで終わるかもしれないと思っていた。でも、今なら…。
ケーキ作りの合間に、ジョーだけのために用意した――
「チョコ…なんだけど…」
「僕に…？！」
「だって。…バレンタインだもの」
２人はふふっと笑った。
可愛らしくラッピングされた箱にジョーは目を細める。
「有難う、フランソワーズ…」
彼女の頬に残る涙のあとをそっと拭う。碧い瞳に自分の姿が映った。
「…ねえ、ジョー」
「ん？」
フランソワーズが悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「同じこと、口で言って」
「え？」
これと同じこと、と胸に抱いたコンパクトを示す。ジョーの頬にサッと赤味がさした。
「そっ…それはっ」
「だって、やっぱり言葉で聞きたいわ」
これが彼の精一杯だと判ってても。充分に幸せを感じてはいるけれども。
「だ…だけどさ…！」
真っ赤になって慌てるジョー。…そこへ、携帯電話の呼び出し音が鳴った。
（助かった…！）
「ほ、ほら、電話だよフランソワーズ…」
「…張大人だわ…」
パネルを確認して、もう、と溜め息とともに唇を尖らせる。
「はい―――もう！大人ったら！せっかち過ぎるわよ。今向かってるから、もう少し待って頂けると嬉しいんですけど。…え？別に怒ってなんかいません！」
未だにドキドキと鳴り響く鼓動を感じながら、ジョーはチラッとフランソワーズを見やった。
―――こんなところも、可愛いんだよな。
はたと自分の心の呟きに気づき、再び頬を赤くしてギアに手をかける。

…とにかく、良かった。
やっとだけど、僕らは少しだけ前に進めた。……聖人と大人に、感謝。
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Conte