２．アルベルト

　２月１４日　　ＰＭ１：００

―――コーヒーでも飲むか…。
　彼女の邪魔はすまいと暫く自室に篭っていたアルベルトは、咥えていた煙草を灰皿に揉み消すと、読んでいた本を閉じて部屋を出た。
階段を降り、リビングのドアを開けると、ふわっと甘ったるい匂いが彼を包んだ。
キッチンに目をやれば…フランソワーズが、丁度オーブンを覗いているところが見えた。
「邪魔していいかい？」
「ええ、どうぞ」
アルベルトの声に笑顔で振り返り、彼女は答えた。
「ちょっと散らかってるけど…」
「そうでもないぜ――コーヒー、貰ってっていいかな」
言いながらてきぱきとコーヒーメーカーをセットし、棚から自分のカップを取り出す。
「……あなたは出掛けないの？」
「特に用事もないからな。何かしたいわけじゃなし…何だ？いちゃマズイのか？」
フランソワーズは笑ってかぶりを振った。
「いいえ、そうじゃないの。もし出掛けないのであれば…見せたいものがあるのよ」
「俺に？」
「そう！みんながいちゃウルサイから…今がチャンスね」
そこにいてね、と言うと、彼女は２階の部屋から少し大きめのバッグを抱えて戻ってきた。
「友達がね、貸してくれたの」
何を？と問う視線に答えるように、バッグの中からそれを出す。
―――ビデオテープ？？
…それも、何本も。

―――…ああ…。
アルベルトは思い出した。
いつだか、音楽に続いて映画の話で彼女と盛り上がったことがあった。彼が「嫌いじゃない」と言ったハリウッド女優の熱烈なファンがフランソワーズの友人にいることが判り、未見の作品を見たいなら、その友人に頼んでみようということになって……。
…しかし、この本数は。
「あれもこれもお勧め、って喜んじゃって。これでも結構断ってきたのよ」
手にとってタイトルを確認してみる。
「…何でもアリ、だな…君のその友達の好みがよく判らん」
よくもまあこれだけバラエティに富んだものを持ってるもんだ。…ただの映画オタクってやつか。
「ほら、これでしょ。あなたが見てないのって。目撃者の女性と殺し屋が恋におちる話」
「ああ、それだな…」
ピピ、とキッチンから音が聞こえた。
「あ、焼けたわ」
はい、とニッコリ笑ってフランソワーズはテープを差し出した。
「ね、折角だから見ない？」
「今からか？」
「ええ…ジョーったらこういうお話だと寝ちゃうのよ…最近ＳＦものが続いたから、久し振りにロマンティックな気分に浸りたいわ」
……成る程。
王子様はラブストーリーが苦手なのか。映画でも見て、少しは自分たちのために勉強して役立てればいいものを…。
まあ、学んだところでアイツがその成果を発揮出来るとは到底思えないが。
「今夜のお手製デザートはまだ途中なんだろ？」
「いいのよ、暫く冷ましておかなきゃいけないんだから」
それにしても…とアルベルトが言いかけたが、フランソワーズは既にキッチンへ入っていた。
―――…たまには…いいか。
こんな機会など滅多にない。何より彼女から見ようと誘ってくれたのだから。
テープを何気なく受け取りながら、他を眺めていたアルベルトの視線が、ふと止まった。
この話は見た憶えがある…確か、『男と女の友情は成立するか』というテーマの…。次第に登場人物の男女は、お互いを意識し始め、いつしかそれは友情を超え…そして―――

―――今日は…世間じゃ特別な日…か…。
別に…肖ろうと思ったワケじゃないが……。

「忘れてたでしょ」
目の前にカップが現れた。
「あ…ああ、済まない」
「私も頂いていい？」
しっかりと自分のコーヒーも用意してきて、フランソワーズはソファに腰を降ろした。
「…気分に浸れりゃ、他のでも構わないよな」
「え？どうして？」
「暴力的なシーンがあるかもしれないものよりは、ないとハッキリしてる方がマシだろう」
尤らしい理由をつけて、さっき見つけたテープをデッキにセットした。彼女は屈託なく、そうね、と微笑った。
ゆっくりとフランソワーズの隣に座る。近くもなく、遠くもなく。微妙な距離をおいて。
「なんだか…こんな時間って、嬉しいわね」
恥じらうように頬をうっすらと染め、声を少し潜めてフランソワーズが言った。
「そうだな…悪くない」
もう、彼女の中はアイツのことで一杯なんだろうか。それとも、まだ少しは隙間があるんだろうか。
もしここでアイツを出し抜いたとしたら…フランソワーズはどう応えてくれるだろう。
物語をじいっと見つめている彼女の横顔をチラと眺め、アルベルトはそう考えた。


「そ…そろそろ、ケーキ…仕上げ、やらなきゃね」
ふたりがお互いの存在の大きさに気付き、一夜を共にし、ここからまた一波乱が――というところで、突然フランソワーズが腰を上げた。
キッチンからでも展開は見えるし聞こえるから大丈夫…と言いながら。
それを見送りながら、アルベルトは小さく苦笑した。
やっぱり…好きでもない男と見るには、抵抗があったか？
―――確かに、情熱的過ぎるベッドシーンではあったよな。
コーヒーを一口飲もうとして、カップが空になっていることに気付く。多めに淹れたから、あっちにはまだ２杯目くらいは残ってる筈だ。
「あ」
キッチンへ入ると、出会い頭にフランソワーズとぶつかりそうになった。
「きゃっ…」
「…っと…！」
ガタン。
避けようとした彼女の身体が、椅子にでも脚を引っ掛けたのか、そのまま倒れ込んできた。
「…だ…大丈夫か…？」
背にひんやりとした床を感じながら、アルベルトはフランソワーズに声をかけた。
「……」
「悪かった、俺がいきなり入っていったから…」
「ううん…私がいけないのよ…」
顔を上げ、フランソワーズはハッとした。薄いけれど彼のシャツに残る口紅の痕。
「あ…ごめんなさい…！私ったら…！」
自分の胸を見やり、彼は口元に笑みを浮かべた。
「…光栄だね」
「駄目よ、取れなくなっちゃうわ…」

…はた。

そこで２人は初めて自分たちがどういう状態にあるのか気付き、カーッと頬を紅潮させた。
まるで重ね餅。全体重をアルベルトに預けて、互いを隔てるものは衣服だけ。しかも今は防護服を纏うような戦闘時ではなく…。

…どきどきどきどきどき。

どうしてこうなっちゃうの。
主役の男の人がアルベルトみたいで…いつも陰から見守ってくれてて、必要なときには助けてくれて。
まるで、彼と私みたいに見えてしまった。
だから…彼等の感情が愛になってしまったときに、何となくいたたまれなくなって。
私たちもこうなるかもしれないの？なんて、そんなこと考える自分が恥ずかしくてあの場から逃げたのに。
だって……ほら、私を見るあなたの目…ヒロインを想う彼と似てるんだもの…。

ジョーとも、ジェットとも同じ―――どこかでそう思いながら、彼女は視線を反らせないでいた。
アルベルトの手が、背中に回される。
「あなたも…そう…なの…？」
「何がだ…」
「…男の人と女の人の間には…」
ブルーグレイの瞳が、ゆっくりと…そっと、近付く。
「判らんよ―――俺には…」
―――嘘だわ…。
身体中に響く心臓の鼓動が今にも爆発しそうで、頭が真っ白になり、フランソワーズはギュッと目を瞑った。


「へえ、美味しそうな匂いだね」
突然リビングの向こうから明るい声が聞こえた。
「……！！」
弾かれたように、２人は我に返った。
…気付かなかった。ＴＶの音声と、今のこの状況が重なって、帰ってきた車の音が聞こえなかったのだ。
―――私ったら……！！
どうかしちゃったのよね？ジェットも、アルベルトも、私も。バレンタインデーだから？…
大丈夫…よね？
「…お帰りなさい、ジョー」
「ただいま、フランソワーズ―――…あれ、アルベルトもいたんだ」
彼女の後ろからアルベルトが現れたのが意外だったのか面白くなく思ったのか、ジョーの声の調子が僅かに変化した。
「…！…」
続いて、ハッと息を呑むのが判った。
彼の視線はアルベルトのシャツに向けられていた。胸元の、口紅へ。
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Conte