１．ジェット

　２月１４日　　ＡＭ１０：３０

―――落ち着け、落ち着け…待ちに待ったこのチャンス、フイにしてたまるかってんだ！
キッと顔を上げ、鏡に映る自分の瞳を睨みつけると、ジェットはひとつ、深呼吸をした。

　今日は言わずと知れたバレンタインデー。
日本では義理と本命のチョコレートが各地で乱れ飛ぶ、うら若き乙女たちの一大イベントの日だ。
最初は小馬鹿にしていたメンバー達だが、毎年この時期は皆が日本に集まるのが当たり前になっていた。勿論、１月末のフランソワーズとギルモア博士の誕生日、そして２月すぐのジェットの誕生日、これらのお祝いのためでもあるのだが、いつの間にやら…このバレンタインデーも、彼等のスケジュールの中にしっかりと組み込まれていたのだった。
何だかんだ言いつつ、皆、フランソワーズから彼女自身の手によって、何かを毎年貰えるのが嬉しいらしい。
一度は、彼女の負担になるからやめよう…との話も出たが、フランソワーズ自身が結構楽しんでいるようなので、無事（？）こうして今に至っているワケだ。
中には面白くなく思っているヤツも約１名ほどいるのだが、まだハッキリと告白も出来てないようなそんな輩の抗議なんぞ、ハナから相手にされなかった。

　今年も午後からフランソワーズは、彼女お手製のバレンタイン菓子を作ってくれるという。
その材料と、張大人から頼まれた夕食の買い出しのために、ジェットは運転手＆荷物持ち係を自ら買って出たのだった。
いつもお伴をしている前述約１名が、ギルモアの用事で留守。…そんな絶好の機会を逃せる筈がない！
買い物を済ませた後、ジェットはさり気なく…あくまでもさり気なく、フランソワーズを街のオープンカフェに誘った。
「何だかカップルが多いような気がするわ」
レストルームから戻って来たジェットが席につくと、フランソワーズが周りを眺めながら言った。
「平日なのにな」
その言葉に、彼女はふふっと笑った。
「…俺達も、恋人同士に見えてると思うかい？」
「……多分、そうでしょうね」
フランソワーズには周りの声が「聞こえて」いた。
大分慣れてはいたけれど。
特に、今日はこの赤毛で鼻の高いアメリカ人が一緒なのだ。これで目立たない筈がない。
外国人のカップルは素敵だ、絵になる云々…と、ずっと囁かれていたのだ。
「似合いの２人だって噂になってないか」
「聞こえてたの？」
「いや。けど、こんなイイ男とイイ女だぜ。話題にならない方がオカシイだろ」
自信たっぷりの言い方に一瞬呆気にとられ、フランソワーズはプッと吹き出した。
「俺達、ちゃあんと親密な仲に見えるんだぜ」
「それは…傍目、でしょ」
クスクスという笑いが止まらない。
―――本当に、自信満々なんだから。とってもジェットらしいけど。
「…笑うなよ」
だって、と彼女が応える。細い指が、薄くルージュをひいた唇を隠した。
「笑うなって」
ふ…と、その小さな笑い声が途切れた。
ジェットの声色が変わったからだ。…決して怒っているわけではない。それは彼の目を見れば判る。
一本気で、彼が駆ける空のようにどこまでも広く堂々としている青い瞳。それが、じっと自分を見つめていて…。

…トクン。

―――え。やだ…。
フランソワーズは思わぬ自分の反応に戸惑った。胸がきゅんと締めつけられる。
まるで…
まるで、今の彼の瞳は、フランソワーズがよく知ってる茶色のそれと同じで。
「…やっぱり、こういう日ってホントに惚れてるヤツといたいよな」
「…え…？」
「その…義理、ってのがあるんだってな、ここじゃ。それってよくないと思うんだ」
フランソワーズは少しだけ目をしばたかせた。話が見えない…？
―――義理チョコ…の話かしら。確かにあまりいいものじゃないとは思うけど…
「そりゃあ…まあ、本気のヤツがいても、ちょっと横道に逸れちまうこともたまにあるけどよ、でもやっぱりその本命といるのが１番だよな？そう思うだろ？」
「…え…ええ、そうね…」
そこで、ジェットが短く息を吐いた。小さく咳払いをすると、ゆっくりとテーブルに身を乗り出し、彼女との距離を縮めた。
「…だから…アレ、も…ソイツとしたいよな」
「……アレ…？」
きょとんとした顔でフランソワーズは首を傾げた。
（………こういうコトには国宝級に鈍いよな、コイツ……！）
へなへなと萎れてしまいそうになるのを何とか堪えて、ジェットは指で『耳貸せ』と合図した。
可愛い、柔らかそうな耳朶。キスしたい衝動に駆られたが必死に踏み止まった。
「……！！……」
『アレ』の言葉をハッキリと聞かせられたフランソワーズの顔が真っ赤に染まった。
「…な…何言ってるのよ…！」
「何って…そういうコトだよ。つまりは…君と、そうなりたい…」
…たちまち、身体中がカーッと熱くなった。今度はドキリ、なんてものじゃなかった。
全然知らないことじゃない。
でも、まさか仲間として、家族として共に長い時間を過ごしてきた彼からそんな告白をされるなんて。
「で…でも…私…」
ドキドキドキ…
早鐘の如く鳴り響く鼓動。
（ど、どうしよう…何て答えればいいのか判らないわ…！）
「俺、チョコなんていらねえからさ…これからは…」
ギュッと、手を握られた。腕が当たり、ティーカップとソーサーががカチンと音を立てる。
真剣な瞳に捕らえられ、フランソワーズは視線を逸らすことが出来ない。
―――よし…！貰ったぜ…！！
ジェットは心の中でガッツポーズを決めた。
勿論、嘘偽りのない正直な気持ちを伝えたまでのことだ。これで誰にも文句は言わせない。
そう、アイツにだって。周りにはとっくにバレてるのにいつまでもウジウジして「好きだ」の一言も言えないヤツ。例えフランソワーズがアイツのことを想っていたって構わない。この俺様が絶対振り向かせて見せる！
―――済まねェな、ジョー。お前がぐだぐだしてんのが悪いんだぜ。
…あと、ひと押し。
彼女の手を握る指に、ジェットはグッと力を込めた―――
「あらあ、ジェット？ジェット・リンク？」
突然、上から高い声が降ってきた。
「ああ？！」
いきなり名前を呼ばれたことと、あと少しというトコロを邪魔された怒りで、不機嫌極まりない顔で振り返ったジェットの表情が…瞬間、凍りついた。
「久し振りねぇ、最近会ってくれないじゃない？何してんのよ、こんなトコで」
声の主は、実にスタイルのいい若い女性だった。
ジェットは固まったまま、彼女を見上げた。
（こっちが訊きたい！！何でここにこの女がいるんだ？！）
彼女は以前、レース会場で出会ったレースクィーンだった。何となく…キラキラ輝く髪に青い瞳が…フランソワーズに似ていた。出るトコは出て、引っ込んでるトコロは引っ込んでる…身体のラインも然り。
短い期間ではあるが、ジェットが「付き合った」女性であった。
「あら…」
彼女が、フランソワーズに視線を移した。
「この人、だぁれ？」
―――こんなことで俺の計画を潰されるワケにはいかない！
ジェットは毅然とした態度で立ち上がった。まずはフランソワーズに何とか説明しなければ。
「あー…っと、彼女は仕事仲間なんだ、フランソワーズ」
「フランソワーズ？」
女が眉根を寄せ…不意に、ああ！と合点がいったように頷いた。
「へえ…！この子なんだあ、あなた何回も彼女の名前叫んでたわよねえ」
「ばっ…！！！」
ジェットは真っ赤になったと思うと、今度は蒼白になって慌てて女の口を塞いだ。
「何よっ…初めまして、私マーゴット。あなたがフランソワーズなのね。ふぅん、そうなんだぁ…」
ガタン！！
勢い良く、フランソワーズが立ち上がった。
顔を上げ、ニッコリと微笑む。…決して、目は笑ってはいなかったが。
「初めまして。でも、勘違いしないで下さいね。私、彼とはただの知り合いですから」
「あら…そうなのぉ？」
「ええ。それ以外の何者でもありません」
「フ…フランソワーズ！ちょっと待てよ、違うんだよ…！」
フランソワーズは、ジェットに冷たい一瞥をくれた。
（何よ！結局からかっただけなんじゃない！）
そのためにわざわざココへ寄ったワケ？？信じられない！エイプリルフールにはまだ早いわよ！
本当に、どうしようと困ったのに。ジェットの目は嘘ついてないと思ったのに。本気で悩んだのが馬鹿みたいじゃない！
「…横道って、私のことだったのかしら？―――どうぞ、本命の方とごゆっくり！」
「……待てって言ってるだろ…聞けよ、俺の話！！俺だけここに置いて帰るのかよ？！」
「…アナタには帰る手段があるでしょ？」
氷の微笑でそう言い捨てると、フランソワーズは踵を返しカフェを出て行った。
「…マギー…お前なぁ…」
「あら、これでおあいこよ。そう簡単に上手く行かれちゃ面白くないもの」
…ガックリと項垂れるジェットを横目に、マギーはニッコリと微笑った。
「これでライバルに遅れをとったわね♪ご愁傷さまです」
マギーとも来たことのある場所を選んだのが間違いだった―――ジェットにはもう、言葉はなかった。


―――何だったのよ、もう！
研究所に帰ったフランソワーズは相変わらずプリプリしながら、買い出しの荷物を運ぼうと車のドアを開け…ほう、と溜め息をついた。
大人から頼まれたものが結構大物だったのだ。
（…ジェット置いてきたのは失敗だったかしらね…）
嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた彼を思い出し、ふと微笑む。
―――帰って来たら、ホットチョコレートでも飲ませてあげようかしら。
「随分買い込んだなあ…夕食、何にする気なんだ？大人」
背後から手が伸びた。
「あ…アルベルト…！」
「お嬢さんひとりじゃ大変だろ？」
軽々と荷物を持ち上げながら、彼は口元にいつもの笑みを浮かべた。
「迷子のアナウンスしなくて大丈夫なのか？置いてかれて泣いてるかもしれないぞ」
ジェットのことだろうが、そう言いながら、心配している素振りは全くない。
「あなた独りなの？」
「ピュンマは出掛けた。ジェロニモは地下で博士の手伝いだ」
「…博士が？…」
玄関でキョロキョロするフランソワーズに、アルベルトは微笑った。
「ジョーならまだ帰ってないぜ。もう１件博士の用事を仰せつかってる」
「そ…そう…」
―――どうしてこの人には判っちゃうのかしら。
頬をうっすらと桜色に染めながら、彼女はアルベルトの背中を見つめた。
多分…戦闘中に、ジョーの次に自分を庇ってくれているだろう広い背を。　　
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Conte