| viii．rejoin-3 そのイラク戦争が始まる直前、久しぶりにグレートから連絡があった。 ９．１１の直後、仕事絡みで珍しくジェットと顔を合わせた、と彼は言った。 『ジェットと？……彼は元気にしていた？テロ事件の後にも、何度か連絡をとったのだけど、やっぱり全く応答してくれなくて……』 ずっと心配していた。彼一人だけが音信不通だった。 解散後、アメリカの政府機関に所属したジェットは、仲間たちとは完全に距離を置き、研究所からの連絡には一切応じようとしなかった。 フランソワーズからの通信にも回線は閉じられたままだった。 ”それなりに元気にはしているようだ。とは言っても、会ったのはもう１年前になるか。最近はどうしているかわからん。それより……” これまで空軍情報局に勤務していたジェットは、あの事件の後、自らＮＳＡへの転属を希望したという。 『ＮＳＡ……？』 海外情報通信の収集と分析を行うアメリカ国家安全保障局。大統領でさえアクセスできない機密を管理し、例のエシュロンの開発、運用、管理にもあたっている。 ＮＳＡとはＮｏ Ｓｕｃｈ Ａｇｅｎｃｙの略称。そう揶揄されることもあるほど、長くその存在自体が機密とされてきた機関だ。 ”あそこは相当ヤバいネタを握っている。そんなところへわざわざ志願したってことは……ヤツはもう二度と戻ってくるつもりはないということだ” 『……まさか……そんなこと……』 息を呑んだフランソワーズに、グレートはたたみかけるように言葉を続けた。 ”アフガニスタンが泥沼のままなのに今度はイラクだ。正気の沙汰とは思えん。どうせジェットはバグダードにでも行っているんだろう。かく言う俺様もペシャワールくんだりまで行って、キツネ狩りを楽しむことになっている。穴に奥に隠れた性悪キツネを徹底的に捜し出す。これぞ英国紳士の嗜みってやつさ” いつも以上に芝居がかったグレートのセリフ。少々アルコールが効いているらしい。 『キツネ狩りって、まさか……例のターリバーンの……？』 ”ご明察！その、まさか、さ。生死は問わず、とにかく捕獲せよ、という命令だ” 『……いつ出発するの？』 思わずフランソワーズの声が震えた。 ”今、ヒースローに着いた。一応、これでも文民だからな。軍用機でパキスタンに乗りつけるわけにはいかない。ちゃんとチケットを持ってるぜ。バーレーン、ドーハ、そこからさらに乗継ぐ。気が遠くなるよ。最近は空港のセキュリティチェックがやたら厳しくて厄介だ。身体を透明化して手っ取り早く全部やり過ごしたいが、今そんなことしたら大騒動になるだろう” 饒舌な言葉の端から、疲労が滲みでている。 『グレート、大丈夫？……無茶しないでね』 ”……なあ、フランソワーズ” ふう、っと深く息を吐きながら、出発ロビーのベンチに腰を下ろし、グレートは呟くように言った。 ”もし、あのテロの舞台がアメリカでなかったら―――いや……現場がどこであったとしても、あの時、俺たちは集まるべきだったんじゃないのか” 『グレート……』 彼が言おうとしていることはよくわかる。 二年前、仲間たちへの一斉通信ボタンを押さなかったことに、自分も胸の奥が痛み続けている。そして―――。 ”こうなってしまったことを今さらとやかく言っても仕方ない。あの時の状況では、集まっていたからといって、何か出来ていたのかどうかもわからん。だが、今後もこの状況をこのまま放置するというのなら、二度と俺たちが再集合する機会は無い。そういうことになるな” だからジェットはＮＳＡに……と言いかけて、グレートは口をつぐんだ。 放っておけばどんどん縺れていく紛争の糸を、どこかで断ち切らねばならない。 どこの国にも属さない、どの国とも利害関係のない立場の自分たちが、その役目を果たしてきたのだ。 なのに今、なぜ自分たちはこうしてバラバラのまま、何もせずに手をこまねいているのか。 アフガニスタンも、イラクも、40年前のインドシナと何が違う？パレスチナとどこが違っている？ 本当にこれでいいのか。このまま見過ごしてしまっていいのか？ 来たるべき日、というのはいったいいつのことなのだ？その日はいつ来る？ だが、実際のところ、今の自分たちにできることは何もない。戦力も資金も何もないのだから。どうすることもできない。 頭を抱え込むように座っているグレートの背中から、そんな悲鳴のような叫びが聞こえてきた。 そう思っているのはグレートだけではない。自分も、他の仲間たちも、同じようにもどかしい思いを今まで抱いてきた。 それはおそらくジェットも同じはず。 だから―――ＮＳＡに所属したことが、二度と戻るつもりはない、という彼からのメッセージだとはフランソワーズには思えなかった。 今、為し得る中で、最も有効かつ現実的な方法。ジェットはそう考えたのだろう。 これまでの自分たちのやり方とは対極。 でもそれが限りなく黒に近い方法とわかっていても、何か為さずにはいられない。自分の信じる正義のために。 ―――運命を受け入れるのと、ただそれに流されるのとは違う。 あの夜、ジェットがジョーに言った言葉を思い出す。 彼は、一番困難なやり方だと承知の上で、敢えて今の道を選ぶ運命を受け入れた。 昔から彼はそうだった。 真っ直ぐでひたむきなジェット。 だからこそ、自分たちがあっさりと解散させられたことに、さらには何の反論も抵抗もせずにジョーがそれを受け入れたことに、彼は激しく憤った。 『ねえ、グレート』 フランソワーズは、黙り込んだまま項垂れているグレートに優しく呼びかけた。 『私は……ジェットを信じるわ』 ”……？” グレートはハッと後ろを振り返り、最も近い場所に設置されている監視カメラに視線を向けた。 『信じているわ。……ジョーもそうよ。ジョーも……きっとジェットを信じると思うわ』 ”フランソワーズ……” 『ジェットにはジェットの考えがあってのことだと思うの。でもそれは……今、あなたがＳＩＳにいるのと同じじゃないかしら』 ”俺と同じ……？” 『昔のように９人一緒には行動できなくても、見た目は、立場はバラバラでも……』 フランソワーズは自分に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を続けた。 『……それぞれがやっていることの根幹にある想いは、昔と変わらない。私はそう思ってる』 きっと……私たちでなければできないことがある。 そのために、私たちは今……。 だから、信じていたいの。 仲間を。 未来を。 でなければ……。 『今は……今までも、そして今も、辛いことが多いわね。でも……神様は越えられない試練は与えないと思うの』 ”フランソワーズ……” グレートの口元がふっと微かに緩んだ。 『私はそう信じてるわ。そう信じたいの。だから……』 グレートは一瞬目を閉じて肩の力を抜くと、やれやれという表情でつるりとした頭を掻きながら立ち上がった。 ”ふっ……。どうやら俺は……また「あんな場所」に行く前に、君のその口癖をどうしても聞きたかったようだ……” 『口癖？……私の？』 さっき無意識のうちに口をついて出た言葉。 越えられない試練は、与えられない。 確かにいつも自分に言い聞かせていた。そう思って辛い日々を乗り越えようとした。 でもみんなの前で、そんなに何度も口にしていただろうか？ 『グレート……どうしてそんなこと、覚えていたの？』 喉がきゅっと詰まるような感覚。声が低くなる。 ”……ジョーがよく言っていた。君がそう信じているなら、自分も信じられる、と” 『ジョーが……？』 今は―――今も、もちろんそう信じている。 そう信じているから、ここにこうしている。 でも、もう何年も、いいえ十何年、ジョーの前でその言葉を口にしたことはない。 『いつ…………そんな話を……？』 ”さあて、いつだったかな。もう何十年も昔の話だ” 記憶の糸を手繰るようにしばし思案顔になっていたグレートの口元に、ふと小さな笑みが浮かんだ。 ”いずれにせよ……もうその頃には、ジョーが君にぞっこんだったことは間違いない” 昔のように冗談めかして冷やかしているのかと思えば、そうではなかった。 グレートはごくまじめな表情でフランソワーズを見つめている。 ”君のことを話している時の……ジョーの顔を思い出したよ” 眩しいものを見つめるような、あの優しい光に満ちた目を。 『グレート……』 フランソワーズは微かに瞳を潤ませた。 ジョー自身は、まだ覚えているだろうか。 彼の心のどこかに、今もその言葉は残っているだろうか。 ”次は、ちょうど一年後か。まだずいぶん先だな……。もっとも、アフガニスタンもイランも、それまでに片付いているとはとても思えんが” 『そうね……』 フランソワーズは曖昧に相槌を打った。 ”今の世の中を見ていると、本当に神の救いがあるなどとは信じ難い” 裁きの日は確実に近づいているが、と苦々しげに呟いたグレートに、フランソワーズは静かな微笑を向けた。 『グレート、私は……神様を信じているわ。信じていたいと思っている。でも―――本当に人を救えるのは、人よ。神様じゃないと思うの』 ”……フランソワーズ” 『奇跡は……人が、心からそう願わなければ起こらない。誰かを救いたいと思い、救おうとしなければ決して起こらない。人を救うことができるのも、人類を滅ぼしてしまうのも、人間自身だわ。神様のせいにしてしまえば簡単だけど……』 神は、そこに在って、ただ静かに人間の行為を見つめているだけ。 ”すべては、俺たち自身に委ねられている、ということか……” グレートは微かに首を傾げ、しばらく考え込むように黙り込んだ。 その時、ドーハ行きフライトのファイナルコールが流れた。グレートは人の姿がまばらになった搭乗口にちらりと目を遣った。 ”そろそろ行くよ。愚痴ってすまなかったな、フランソワーズ” 『愚痴だなんて……。ありがとう、連絡してくれて嬉しかったわ』 ”君が……一番辛い思いをしているとわかっているのに……” つっと視線を落としたグレートに、フランソワーズは微笑みながら小さく首を横に振った。 『私たちは、みんな一緒よ……。誰が一番辛いなんてことはないわ』 たとえ離れていても。 たとえ今、立っている場所が違ってしまっていても。 たとえ―――違う時間を生きていても。 想いは同じ。 そう信じているから、今こうしていられる。 ”フランソワーズ……” 『かなり危険な場所なんでしょう？油断しないでね。飛行機の中で、飲みすぎちゃダメよ』 そりゃ無理な相談だ、とグレートは自虐的に笑った。 ”酒でも飲んでなきゃ、長時間あんな狭い場所でじっとしてられないさ。機内でネズミにでも化けるかな” 変身は彼のお手の物。でも……。 『グレートったら。いまどき飛行機の中でネズミが出たら、それこそ大騒動になるわ』 フランソワーズはその場面を想像して思わず吹き出した。 ”安心したよ、フランソワーズ……。久しぶりに、君の笑う声が聞けて” フランソワーズが見ているカメラにグレートは真っ直ぐな視線を送る。 『グレート……』 約束したの。 ”大丈夫そうだな” 彼と。 『ええ、ありがとう……』 だから、大丈夫。 ”じゃあな” 軽く手を上げて、グレートは搭乗口へと向かって歩き出した。 本当は―――いつも大丈夫だったわけではない。 どうしても逢いたくてたまらなくなって。 今すぐに声を聞きたくてたまらなくて。 あの優しい眼差しで見つめられたくて。 耐え切れなくなって、ジョーとの約束が守れなくなりそうになったこともあった。 誰かの、何かのせいにしてしまえれば、どれだけ気が楽だろう。 信じることが未来を繋ぐ。絶望からは何も生まれない。そうわかっていても……。 でもそんな時、必ず仲間の誰かから連絡が入った。 まるで彼女の心を測っているかのようなタイミングで。 ”フランソワーズ、ギルモア博士はどうしている？……イワンは元気か？” 素っ気ない口調のハインリヒ。自分から突然連絡してきたのに、ゆっくり話そうとするとさっさと通信を切ってしまう。 口数は少ないが、穏やかな言葉で心を満たしてくれるジェロニモ。 エネルギッシュで、おしゃべりが大好きな張々湖。 グレートとは、１０年前同様、いつも深く打ち解けた話ができる。 冷静なピュンマの声を聞くと、気持ちが落ち着いた。 会話の最後に、必ずみんなはこう言う。 ”大丈夫そうだな、フランソワーズ” 「ええ、大丈夫よ。心配しないで」 そう答えた時、フランソワーズはまた笑顔を取り戻していた。 「もしかしてイワン、あなたが……？」 いつもあまりにタイミングが良すぎるから。けれどイワンは、違う、と真顔で言った。 ”ボクは何もしていないよ。彼らは、ただ君の声が聞きたくなって、たまたま連絡してきたんだ” 本当にそれが偶然であったとしても、この２７年間、自分はずっとそうやって仲間たちに支えられてきた。 あの日以来一度も会ってはいない。けれど、彼らはいつも遠くから見守っていてくれた。 もうすぐ仲間たちとの再会。 「その日」がとうとう来る。 けれど 「その日」が来ることを、自分は決して望んではいなかった。 望んではいけない。 人類にとって、「その日」の到来は、他に打つ手のない、救いがたい恐ろしい事態が起こっていることを意味するから。 そして―――今度こそ、きっと失うことになるから。 一番大切なものを。 もっと大切な何かを守るために。 この長い年月は、その覚悟をするための猶予期間だった……。 でも―――そうだとわかっていても。 私たちは集まらなければならない。 もう二度と自分の心に夜明けが来なくなるとしても。 これ以上の混乱を放置し、世界が血と争いに塗りつぶされ、悲しみと絶望の中で完全に崩壊してしまう前に。 それが私たちの―――私たちはそのための仲間だから。 その覚悟はできているつもりだった。だけど……。 フランソワーズは通信傍受室の大スクリーンを、呆然と見つめた。 プログラムを改変したデータを転送しようと彼の脳にアクセスした。一瞬繋がったが、すぐに信号が乱れた。 おかしいと思って原因を探ろうとした時には、もう完全に繋がらなくなっていた。 まさか……こんな大事な時にジョーの姿を見失ってしまうなんて。 なぜ、よりによってこんな時に……？ 今まで一度もこんなことはなかった。 どうしてなの、ジョー……？ 今、もし東京で何かが起こっているのだとしたら―――。 そんな……。 でも先進国の中でテロ攻撃を受けていないのは、日本ぐらいだ。 東京が次のターゲットになる可能性は非常に高い。今まで事件が起こっていないことのほうが不思議だった。 もし、そんなことになっていたら……記憶を失っているジョーは……。 フランソワーズは、しばらく目を瞑って深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせようとした。 一旦シャットダウンしたダイブギアを再起動させ、気持ちを集中させて、もう一度ジョーの脳にアクセスし直す。 ―――繋がらない。 いったい何がおこったの、ジョー？ 今、どこにいるの？ あなたは無事なの？ 涙が溢れそうになるのを必死でこらえ、今度は通信傍受室全体の主電源を落とした。 大スクリーンをはじめとする全ての照明が消え、電子音が止んだ。 吸い込まれるような闇と静寂に包まれる。 ００９としての自覚がないジョーは、フランソワーズからの通信にも回線を開けない。 でも……。 気づいて、ジョー。 どうか、こたえて。お願い……！ フランソワーズは脳波通信で必死にジョーに呼びかけた。 |
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