i． reflection 僕はサイボーグ００９、島村ジョーだ……。 鏡に映る自分の姿を初めて目にした幼子のような、戸惑いと不安の表情を浮かべている左右反転した学生服姿の男に向かって、ジョーは心の中でそっと語りかけた。 自分は都内で平凡な生活を送っていた高校３年生などではなかった。学校も家族も、自身を取り巻いていた何もかもが実在しないものだった。 全てはあらかじめ周到に用意された、ジョーの脳内だけに設定されたプログラムにすぎなかったのだ。 これまで施されてきた一連の”措置”を含め、本来の記憶を全て取り戻した、と一旦は思った。 だが００９としての自覚のないまま急に「能力」を使った反動だろうか。 頭がとても混乱している。 自分の意志で森タワーの屋上から飛び降りた、あの時以降の記憶も、うまく順序立てて繋げることができない。 すでにリセットされたはずの過去の高校生としての記憶までが、脳の記憶領域から迸るように溢れ出してしまった。 今、自分はギルモア財団の所有するＡ４００M輸送機で、迎えにきた仲間たちとともにイスタンブールに向かっている。そこでは新たなる敵との闘いが待っている。 そのために、島村ジョーは３年ぶりに本来の記憶を取り戻したのだ。 でも―――細かな記憶を辿ろうとすると、急に頭に靄がかかったようになってわからなくなる。 何が本当に起こったことで、何が自分だけにしか見えない幻影なのか、区別できている自信は全くなかった。 僕の頭は、やっぱり変になってしまったんだろうか……。 視線を落とした先の右手に、いつの間にか黒い樹脂のようなものがこびりついていた。それを洗い落とそうと蛇口をひねった。 勢いのない水が細く滴り落ちるのを見たジョーは、レバーを引き洗面ボウルの底の栓を閉めると、小さく息をついて肩を落とした。 そんな彼を、鏡の向こうの男が茶色の瞳を揺らしながら見つめていた。 僕は、いったい何者なんだ？ 鏡の中のこの姿は、本当に僕なのか？ もしかしたら、この姿も、この顔も、本当はこの世界に実在していないのではないか。 サイボーグ００９・島村ジョーとしての僕も。 これまで幾度も繰り返されてきた、虚構の高校生活と同じように。 むしろ虚構だったのは、僕自身の存在ではないのか。 自分の視線に耐えきれなくなって項垂れたジョーの長い前髪が、額を撫でるように柔らかく揺れた、その瞬間。 確かな感覚が閃いたように蘇り、ジョーはハッと顔をあげた。 この髪に触れ、そっとすくいあげた白い手。 こうして頬を優しく包んだ、柔らかな手。 この記憶は……？ まだ微かに肌に残る温もりをそこにとどめようとするかのように、ジョーは右手でそっと自分の左頬を包んだ。 |
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