１６．有明の空

「……・どうだった？何か……？」 　びしょ濡れでコックピットに入ってきたピュンマは、重々しく首を横に振った。 「この辺は潮の流れが相当速いんだ。流されたら、かなり遠くまで……」 　ハインリヒと共に、彼の帰りを待っていたジェットが立ち上がる。 「俺も、もう一度行ってくる。潮は、どっちの方向に流れてる？」 「かなり巻いてるからなあ。一定方向じゃないんだ」 「とにかく、範囲を広げて、もう一度捜してみる」 　ジェットは慌しく出て行き、ピュンマはふうっとため息をついて、自分の席にぐったりと座り込んだ。 「あの……男は？」 「とりあえず眠らせてある」 　ハインリヒは、苦々しい顔で答えた。 　それしか方法がないだろう。００９と同等の力を持った奴を拘束しておくには。 　だがクスリの量も、どれくらいが適当なのかはっきりしない。 　いつ……突然、目を覚ましてしまうかわからないのだ。 　全く、厄介な奴を抱え込んじまった、とため息をつく。 「イワンは……まだ起きないのか？」 　ピュンマにしては珍しく、イライラして荒んだ声だった。 　あれからずっと、彼は海の中を探し回っていた。片時も休まずに。 　だが、それくらいのことで疲れたわけではない。 ―――皆、同じ思いなのだ。 　男に、あの銃で至近距離から撃たれ―――しかも２度も、だ―――あの断崖絶壁から落ちたらどうなるか。 　しかも、その出来事に全く気がつかなかった、自分たちの不甲斐なさ。 （ったく、何てことだ。大の男が７人も揃っていながら……。俺達は何をやってたんだ） 　ハインリヒはきつく唇を噛む。 　男の言葉を裏付けるように、崖の途中に彼女のスーパーガンが落ちていた。 　あの辺りを、ジョーは今も必死になって捜しているのだろう。 　だが、おそらくは……。 　イワンが目覚めたら、少しは事態は好転するはずだ。だが……。 「あと……２・３日は無理だな。もうしばらく……待つしかない」 　とはいうものの、事態は一刻を争う。 （急がなければ。もし―――もし……） 　ハインリヒは自分の考えにゾッとして、首を振った。 ―――もし生きてたら、なんて。 　俺は何を考えてるんだ。生きてないわけないじゃないか。 　「くそうっ！！」 　思わず声が出た。 　めそめそしている場合ではない。だが―――気がつくと涙が零れていた。 （何でなんだよ、ジョー！お前が……） 　彼を責めるのは筋違いだとわかっている。 （俺達だって同罪さ。だけど、彼女の気持ちを考えると……） 　あの時、彼をすがるように見ていた蒼い瞳。必死に涙を堪えて……。 　なぜ、ちゃんと受けとめてやらなかった？ 　どうしてあんな時にも００９でいようとする？ （俺じゃだめなんだ。お前でなけりゃあ……。なのに……） 　しかも―――彼女は……お前をかばって……。 　なぜ気づかなかった？すぐそばにいたのに！ 　拳を握り締め、どんと操縦席のパネルを力任せに叩いた。 　その音の大きさに、ふっと我に返る。 （アイツを責めて……何になる？） 　自分自身への怒りを、彼に八つ当たりしようとしているだけだ。 　これまで見たこともないほど、彼は取り乱していた。狂ったように感情を露にして。 （アイツが、あんなことをしようとするなんて……） 　押し殺していた思いを、胸の奥から搾り出すかのような、激しい慟哭。 　あれから一度もドルフィン号に戻らずに、彼はずっと探しつづけている。 （フランソワーズ！どこにいる？俺達は……本当に君を失ってしまったのか？） 　こみ上げる悲しみと後悔に、ハインリヒの顔は激しく歪んだ。 「あの……ハインリヒ……」 　ためらいがちな、小さな声。 　操縦席で頭を抱えていたハインリヒは、はっと背後を振り返った。 「何か……私に……できることは……ない？」 　あれから何時間たっただろう。 　皆、動転していたから、とてもマリアのことを気遣う余裕などなかった。 　状況がわからないまま、きっと不安な思いをさせたに違いない。 「すまない、マリア。ちゃんと……説明もしなくて」 　ううん、と彼女は目を伏せて首を振った。 「きっと……何も……出来ないと思うけど……でも……少しでも……」 　悲しみに濡れた黒い瞳。泣き腫らした瞼。 ―――元はといえば、自分のせいでこうなったのだ。 　父親が、あんなものを作りさえしなければ。 　普通の生活をしていた彼らが呼び戻されることもなかったのに。そして――― 　彼女はそう思って心を痛めている。 　ハインリヒは、マリアの肩に優しく手をおいた。 「君のせいじゃない」 　え？と彼女はびっくりした顔で、ハインリヒを見つめた。 「前に言ったろ？俺達の宿命ってやつさ。もし、君のお父さんのことがなくても……いつかは……俺達は集まらなきゃいけなかったはずだ」 　それに、とハインリヒは辛そうに息を吐いた。 　これは、明らかに俺達のミスだ、と。 　黒い瞳からポロリと涙が零れる。 「でも……私、とても……余計なことを言ってしまったの」 　両手で顔を覆ったマリアを、ハインリヒは静かに見つめた。 『こんなことで気を失うなんて。私がいては、みんなの邪魔になるだけね』 　自嘲気味にそう言うマリアに、００３は驚いたように首を横に振った。 『邪魔だなんて、とんでもないわ』 『でも、００９にも怪我をさせてしまったし、あなたにも……迷惑を……』 『ううん……そんなこと……。謝らなきゃいけないのは私よ。ちゃんと見ていれば……』 　蒼い瞳が悲しげに潤む。 　彼女には詳しく話そう、とマリアは思った。 　包み込むような眼差しは、きっとすべてを受け止めてくれる。 　話を聞き終わった００３は、何も言わずにマリアの手を握りしめた。 　つまらない慰めを言われるよりも、よほど嬉しい。彼女のあたたかさが身にしみた。 『私も、みんなもあなたのこと、大好きよ。だから、何も心配しないで。大丈夫』 『ほんとう？ありがとう。嬉しいわ……。私……』 　マリアは涙ぐんだ。 　この人たちといると、自分まで優しくなれる気がする。 『あの時ね……』 　内緒話をするように、００３は急に声をひそめた。 『あの時？』 『怪我をしてうなされていた時に、００９は……あなたの名前を呼んでいたわ』 『００９が？ほんとに？』 　私の名前を呼んでいた？ 『きっと、あなたにそばにいて欲しかったのね』 　穏やかな微笑みを浮かべて、彼女はマリアを見つめた。 （００３は、本当にそう思っているのね……） 　でも、それは違う。 　意識が戻った時、００９は不思議そうな顔をして自分を見た。 　ほんの一瞬浮かんだ、失望の表情。 　そばについていたのが自分だと知って、彼は落胆したのだ。 　静かに閉じられたドアを、じっと見つめていた、淋しげな茶色の瞳。 （あの目は……私を助けてくれた、強くて優しい００９じゃなかった） 　なのに彼は言った。 「失うものは何もない。何も求めていない」と。 　どうしてそんな嘘をつくの？ 　苦しいでしょう？ 　もっと自分の気持ちに正直になって！ 　わかって欲しかったのだ。ちゃんと受けとめて、向き合って欲しかった。 　私の気持ち。彼女の思い。そして、何よりも彼自身の心。 　ハインリヒが言っていた。 　自分達は、いつも死と隣り合わせにいる、と。 「その『死』と反対側の隣にいるのが……仲間、だなんてちょっとキザかな」 　彼はそう笑っていたけれど。 ―――いつ死ぬかわからない。 　それならなおのこと……今のままだなんて、哀しすぎる。 　だから思わずぶつけてしまった。でもそれは、余計なお節介に過ぎなかったんだわ。 　マリアは唇を噛んだ。 　怪我をした、あの黒い服の男。 　ドルフィン号に連れてこられた彼を、皆が色めき立って取り囲んだ。 「マリア、危険じゃから……下がっていなさい」 　ギルモア博士に言われ、コックピットの隅に座って遠巻きに見ていた。 　突然、誰かが叫ぶ。 「こ、殺してやる！お前なんか……今すぐここで！」 　あれは誰？激しい憎しみに震える声。背筋がぞっとした。 「待て！ジョー！落ち着け！」 （ジョー？……００９なの？どうして？） 　マリアはびっくりして、席から立ち上がった。 「は、離せ！離すんだ！コイツを……生かしておくわけにはいかない！！！離せ！！！」 　彼は本気だった。恐ろしい目をして、ハインリヒの腕を振りほどき、銃を抜いて撃とうとした。 「馬鹿野郎！！」 　ハインリヒの右拳が鋭く空を切り、ジョーの体が跳ね飛ぶ。 「ドルフィン号の中でスーパーガンぶっ放してどうする！！落ち着け、００９！！」 　彼はうつ伏せに倒れたまま、何度も拳を床に打ちつけ、大きく呻いた。 「なぜだ！！！なぜ……」 （いったい何があったというの？） 　他のメンバー達は、よほどのショックを受けたのか、顔色を失って呆然と立ちつくしている。 　とても誰かに、事情を尋ねられるような雰囲気ではなかった。 「僕は……いったい……何を……。どうして……君を……」 　彼は、必死に声を殺して泣いていた。 （……まさか！） 　ようやく気がついた。 　ここには、みんなが揃っているはずなのに。 　マリアは、コックピットの中をあらためて見回し、息を呑んだ。 「フラン……ソワー……ズ！！！」 　絞り出すような声で叫んだかと思うと、彼は激しく慟哭しはじめた。 「何を……何をしていたんだ、僕は！！なぜ、君を……」 　ハインリヒは、こちらに向き直り、博士に声をかける。 「あの男を……どうしましょう。彼には加速装置がついています。何とか静かにさせておくには……」 ふむ、と博士は頷き、処置室に連れて来るようにと言った。 「とにかく……眠らせてから、身体をよく見んことには……何とも言えん」 　顔を歪めて床にうずくまっていた男を、００５が抱き上げて運び出す。 「誰か……ついていた方がいいだろう。あの男、危険すぎる」 　ようやく口がきけるようになったジェットの言葉に、ハインリヒは頷いた。 「ジェロニモ、そのまま処置室で見張っていてくれ。後で交代するから」 　大きな背中をじっと見送っていたグレートが、こちらを振り返った途端、声をあげた。 「アイツ、加速装置を使ったな！」 　床に倒れていたはずの００９の姿は、そこにはなかった。 「いつの間に一人で！ちぇっ！水臭い奴だ！！」 　僕も行って来る、とピュンマがぽつりと言って立ち上がる。 「俺も行く！空から捜すよ」 「ワテらも捜しに行くアル！」 　慌しく皆が出ていき、ハインリヒとマリアの２人だけがコックピットに残された。 （私……どうすればいいかしら……） 　マリアが彼の表情をうかがおうとした時、長い溜息が聞こえた。 　その重苦しい響き。 　さっきまで、あんなに冷静に指示を出していた彼の横顔に、激しい疲労と悲しみの色が滲んでいる。 　ハインリヒは、彼女がそこにいることにも、全く気づいていないようだった。 　両手で頭を抱えて、操縦席にうずくまっている彼の背中を見つめ、マリアは黙って涙をこぼした。 「嘘つき、か……」 　確かにな、とハインリヒは口元を歪めて小さく笑った。 「アイツだってわかってるさ。君が、どんなつもりで言ったのかくらい……」 「違うわ。私は何にもわかってなかった。なのにあんなこと言ったりして」 　大切な人の幸せを願う気持ち。 　いつもそばにいたい、そばにいて欲しいという思い。 　それが両立しない場所でしか、彼らは一緒にいられないのに。 　大切に思っているからこそ、彼は苦しんでいるのに。 　自分と一緒では幸せにはなれない、と。 　でも……でも、どうしてこんなことになってしまったの？ ―――００３、死んだりしないで！ 　ちゃんと戻ってきて……。ちゃんと彼のあの淋しい視線を受けとめてあげて。 　今のままだと、００９は壊れてしまう。こんなふうに、あなたを失ってしまったら――― 「大丈夫だよ。ジョーは……」 　アイツは００９なんだから、とハインリヒは自分に言い聞かせるように呟いた。 　そしてフランソワーズも。 「東の空が……明るくなってきた。もうすぐ……日の出だな」 　きっと見つける、と心に誓う。 　ハインリヒの声に、マリアも涙に濡れた目を窓の外に向けた。 ―――長く苦しい夜が、ようやく明ける。 　だが、苦しみは、始まったばかりなのだ。 　これからどうなるのだろう。彼らはどうするのだろう？ 　マリアは不安げにハインリヒの横顔を見つめた。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊ ―――僕は……どうすればいい？フランソワーズ！ 　なぜ、僕なんかをかばった？ 　どうして僕を呼んでくれなかった？すぐそばにいたのに。 　せめて、すぐに気づいていたら、助けることができたかもしれないのに。 　ちがう。 　君のせいじゃない。 　君が撃たれたことにも、自分を狙う敵にすら……気がつかなかった。 　ずっと君がいないことにも、気がつかなかったなんて。 　スーパーガンの落ちていた場所に、ジョーはぐったりと崩れるように座り込んだ。 　もう気力のかけらも残っていない。 　あれからずっと、崖に這いつくばるようにして彼女を捜してきた。 　海はピュンマが、空からはジェットが懸命に捜索を続けている。 　どんな小さな崖の窪みも、岩陰も、見逃すまいと、海岸をしらみつぶしに調べ上げた。 　だが、見つかったものは血まみれの彼女の銃だけだ。 　 　もう……ここには、いないのか。 　ここから海に落ちて、流されて……そしてどこへ行ったんだ？ 　君が撃たれたことに気づかなかった僕を……君は、どんな思いで見ていたのか。 　それを考えると心が粉々になる。 　もう……君は……。二度と……僕は……。 　だめだ。そんなこと、考えられない。 　僕はどうすればいい？ 　教えてくれ、フランソワーズ！！ 　ジョーは銃を握り締めて、ただ涙を流した。 ―――僕は、今本当に空っぽになった。 　失うものは何もない？ 　違う。 　僕には、仲間がいて、そして…… 　わかっていたのに。 　会いたいと思う人。 　辛い時に、そばにいて欲しいと――― 　そうだ。君の笑顔を見ているだけで、幸せな気持ちになれたのに。 　僕は怖れていた。 　今までに触れたことのない優しさ。包み込むような君のあたたかさ。 　それを前にして、これまで一度も光が当たらなかった心の奥底はただ怯えていた。 　ずっと求めていたのに。 　なのに、どうやって手を伸ばせば良いのかわからなかった。 　闇の中に、君を引きずり込んでしまいそうで。 　君には最も似つかわしくない空間。 　僕と一緒にいる限り、そこから抜け出せない。 　だから――― 　ふいに、何かが優しく肩に触れた。 「ジョー……」 　彼女の声が聞こえたような気がした。 　はっと顔を上げ、背後を振り返る。 「君は、そこにいたのか」 　そう言えたら、どんなにいいだろう。 　いつもそうだったのだ。 　君は心配そうに、でも何も言わずに、優しい目をして僕を見ていてくれたのに。 　静かな微笑を浮かべて、僕を見守っていてくれたのに。 「風……だったのか？」 　重い溜息をつき、ぼんやりと周囲を見回す。 　あれから、どのくらい時間がたったのだろう。 　いつの間にか、漆黒の闇は力を失い始めていた。 　東の空がほのかに青い。 　次の瞬間、星々が一斉に姿を消した。 『その頃、夜明けの女神エーオースは東の空にいました』 ―――時は満ちた。 　宇宙（そら）の暗いキャンパスをじっと見つめていた彼女は、そう呟くと、地平線を薔薇色の指で静かになぞりました。 　すると、空と大地の境界が、さっと美しく染まりました。 　エーオースは満足げに微笑み、サフラン色の衣を翻して、まだ蒼い闇に包まれた西の空へ向けて飛び立ちました。 　長い髪をなびかせ天空を翔けているうち、彼女は最も暗い闇の一角から、哀しげな声がするのに気づきました。 　そこは、冷たい光を放つ細い月が支配する場所。 　女神は真っ直ぐにそちらへ近づくと、軽やかな足取りで闇への階段を降りていきました。 　一方、オリオンは、氷のような月の宮殿の隅に、じっとうずくまって過ごしていました。 　何も見えない真っ暗闇の世界。寒くて凍えそうでした。 　アルテミスに月のかけらで射られたため、彼の心は固く閉ざされていました。 　本当は、ひとりぼっちなのが淋しくて、オリオンは泣いていたのです。 　ふと、誰かが近づいてくる気配を感じ、彼は何も見えない目をそちらに向けました。 　急に目の前が明るくなり、何事かと驚いているオリオンの耳に、柔らかな声が飛び込んできました。 「あなたが私を呼んだのですね？」 「呼んだ？」 　オリオンは怪訝な顔をして、自分は誰も呼んでいないし、あなたのことなど知らない、とそっけなく言いました。 　すると、その声は小さく笑って、「乱暴者のオリオンよ。あなたは、私を捜していたのでしょう？」と言いました。 「捜していた？」 　ふいに自分の両手が優しく握られ、柔らかな頬に押し当てられるのを感じました。 　慌ててその手を振りほどこうとした彼は、不思議な感覚に包まれました。 　ずっと心に食い込んだままだった氷のかけらが、融けはじめたのです。 　彼の両の目から熱い雫が溢れました。 　さきほどの優しい手が、その涙をそっとぬぐいました。 　その時、オリオンはようやく気づきました。何も見えなかったはずの自分の瞳に映る、美しい女神の姿に。 　太陽の光を集めたような黄金の髪。澄んだ空色の瞳。 　うっとりと眺めているオリオンに微笑みかけると、女神はそっと手を差し伸べました。 「こちらへいらっしゃい、美しいオリオン。ここはあなたのいる場所ではありません」 　オリオンはおずおずとその手を取り、２人は闇の宮殿を後にしました。 『そして…………』 　不意に君は言葉を切った。 　あの話の続きを聞かせて欲しい、と言ったのは僕だったのに。 　しばらく会えなくなる前に、聞いておきたかった。 　もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。 　でも、その方が君にとっては幸せなことなのだ。 　そんなことを考えながら、君の声を聞いていた。だけど……。 　いつまでも黙り込んだまま、反応を示さない僕を訝しく思ったのだろう。 「あ、私ったら。……ひとりでしゃべって……長くなっちゃったわね」 　つまらなくてごめんなさい、という表情を浮かべ、君は心配そうに僕を見つめた。 「えっ？……そうじゃないよ。そうじゃなくて……」 　どう説明すればいいのだろう。 　声を出すことが出来なかった。 　君の話は、まるで―――。 　僕は言葉を失い、呆然とその白い横顔を見つめていたのだ。 　その時、地平線に一筋の光が差した。 　夜明けだ。 「あれが……女神の薔薇色の指？」 　ちゃんと聞いていてくれたのね、と君は、ぱっと顔を明るくした。 「そうね。きっと……こんなふうに」 　手を伸ばし、ゆっくりと地平線をたどる。 　指先から光が零れ、あたりの空気が茜色に染まったように見えた。 「この景色を見てると……とても幸せな気持ちになるの。星空も、夕焼けも素敵だけど」 　でも夜明けの空気が一番好き、と君は囁いた。 　まっさらの青空が生まれるまで、僕たちは黙って天空と地上の境界を見つめていた。 「それから……どうなったの？」 　研究所に戻りながら、傍らを歩く君に尋ねた。 「……ジョーは、どうなったと思う？」 　空の青と同じ瞳が、じっと見つめる。 「……オリオンは……」 　なぜか照れくさくて目をそらした。 「……エーオースのことを……愛するようになった、かな？」 　優しい笑みを浮かべて小さく頷き、君はまた空を見上げた。 「そして２人は恋に落ちました。でも……」 　上空には、まだ薄い三日月が残っていた。 　あの時と同じような夜明け―――でも隣には、君の姿はない。 「空も自分も……生まれ変われるような気がしない？」 　辛いことがあっても、朝が来れば、また力が湧いてくるわね。 　どんな絶望にも希望はある。そう思いたいわ。 「だって夜明けの来ない夜はないもの」 　君はそう言って微笑んだ。 　今、細い半島の向こうから、太陽が昇り始める。 　眩しい朝の光は、容赦なく暴きたてる。 　自分が失ったものがいかに大きいか。 　空っぽだと思っていた心が、どれだけの優しさに包まれていたか、を。 　どうしようもないほどの後悔と悲しみに、押しつぶされそうになる。 　だが――― 　ジョーは真っ直ぐに顔を上げ、太陽を見つめた。 「必ず取り戻す」 　どんなことをしても、君を捜し出すから、とジョーは低い声で呟いた。 　必ず助けるから。 　だから、それまで絶対に生きていてくれ。必ず、君を……この手に取り戻すから。 　僕は信じてる。だから……君も……。 　ジョーはゆっくりと立ち上がると、ドルフィン号に向かって歩き出した。

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