| Ⅰ |
| ３学期が終わり、最後の休みも何事も無く、無事・・・彼らは新しい春を迎えた。 高３という立場になると、初々しい１年生たちを見る度に、妙に大人になった気分がする。 ジェットなど、何かといえば「だって最上級生だからよォ」を口癖のように連発して、その足取りまでが誇らしげなのである。 「ねえ、ちょっと聞いて聞いて！！」 いつもと変わらぬ朝、おはよう、と自分の教室に入ったフランソワーズを、シンディの興奮した声が出迎えた。 「な、何？どうしたの？」 彼女が席につくと、友人達が自然と集まってくる。いつもの、微笑ましい光景。 「５組のさあ、千尋って子、いたじゃない！わりと真面目な子！その子がねぇ・・・」 シンディは周りをキョロキョロと見まわすと、顔を寄せてひそひそと耳打ちした。 「妊・娠・したのよ・・・！」 ええっ、とその輪の皆が驚いて声をあげた。 「相手は同じクラスの男の子なんだけど、それがね・・・その彼、元帥の奴に退学させられたんだって！」 「た・・退学？」 「そうよ、有無を言わさずって感じ！それでね・・・」 シンディの話はまだ続いた。 そう珍しい話ではないのだが、何故だかフランソワーズは単なるお喋りの話題としては聞けないでいた。 すべきことをせずにすることをしてしまうと、必然的に、そうなる。誰だってその可能性はあるのだ。 もしかしたら、自分にもいつかは・・・。 『心当たり』がない訳じゃない、からだろうか。 フランソワーズは小さくため息をついた。 「でね、その彼、先生たちの前で正々堂々と言ったらしいのよ！『１８歳になったら彼女と暮らす』って！どう思う？どう思う？」 「そ、それってもしかして・・・」 「そうよォォ！！」 シンディは胸の前で”お祈り”のポーズをした。 「結・婚！！いいじゃなぁい、できちゃった婚でもさあ！だって私たち女はもう結婚出来るんだもの」 友人たちの反応が、賛成と反対に分かれた。 フランソワーズも何か言おうとした時、教室の後の扉から、ジョーがポケットに手を入れて鞄を抱えながら入ってくる姿を見つけた。 彼の目が、すぐに・・・でもさりげなく、自分を探す。視線が出会った瞬間、フランソワーズはドキリとした。 誰も気付かない程の微かな微笑みを浮かべ、ジョーは自分の席に座った。 『私たち女はもう結婚出来るんだもの』 それは当然知っていた。常識だ。けれど、今まで気にもとめていなかった。考えもしなかった。 でも・・・そうなのだ。 ドキドキドキ・・・と、心臓の音が高鳴る。 （いやだ、私ったら何意識してるのよ！） シンディが朝からヘンなこと言うから―――恥ずかしくなって、フランソワーズは頬を染めて俯いた。 「いつもこんな所から見下ろしてて何か楽しいか？」 放課後の屋上。 ひとり柵にもたれながら煙草を咥えていたジョーは、その声の主にチラリと目をやると、いかにも面白くなさそうに顔をそむけた。 誰も踏み込んでこない、ジョーだけの場所。 彼の印象は生徒内では大分和らいできてはいたが、それでも数々の武勇伝で固まったイメージは払拭されずに、未だ敬遠されている感がある。 さわらぬ神に祟りなし、である。 だが、その場所を何の躊躇いもなく行き来出来る人間が３人いた。 ジョーが心を許す唯一無二の存在であるフランソワーズと、人懐こくサッパリとした性分のジェットと、表には出さないが互いに一目置いているハインリヒと。 男２人については、ジョーが『勝手にしろ』と構わずにいるだけのことではあったが。 「待ち人じゃなくて悪かったな」 ジョーは何も答えずに、フゥと紫煙を吐き出した。 ゆらゆらと漂い、静かに煙は消えて行く。 ハインリヒはジョーの横顔を見つめた。 何でこいつが、と思う。 他人を拒み、威圧するような鋭い瞳。 まるで正反対じゃないか。あの眩しい程にきらきらと輝く碧い海は、こいつに何を見たというんだ？ 勿論、この男がその辺のチンピラとは全く違うということは判っている。根本的にそういう輩とは質が違っているのだ。それが彼の近寄り難い雰囲気を形作っているのかもしれないが。 それにしても。 ・・・余りにも、かけ離れている。 彼が天使に惹かれて欲するのは判るが、彼女は。 彼女は、下界に見つけた灰色の石に何を感じたのだろう。 あの無垢なこころに何を映したのだろう。 『やってくれたぜ、ジョーの奴！こ～んなことしてやがった！！』 見るか？とジェットが差し出した男性月刊誌。 ・・・冬の札幌での２人の姿。 まさか、そんな深い関係になっているのか？ あの清楚な彼女と―――コイツが。 灼けつくような痛み。 何故だ？何故こいつなんだ？！ 湧き上がる嫉妬。今更だと判っている。・・・けれど、認めたくなかった。 何だ、という目で茶色の瞳が自分を見ていた。 用があるならさっさと言えよ。 ハインリヒの胸が、また痛んだ。燃えるように。 「卒業したらどうするんだ？」 「・・・何が？」 「段々疎遠になって結局別れるって話、よく聞くからな」 ジョーが微かに眉を寄せた。 「まさか・・・同じ大学行こうなんて考えてたりするのか？」 「・・・だったら？」 咥えていた煙草を唇から離し、ハインリヒを見やる。 ―――へえ。やっぱりそうなのか。 本来、ジョーはトップクラスの成績優秀な生徒である。真面目に授業を受けてさえいれば、今の自分の座など軽く脅かすだろう程の。 けれど・・・現在は自分が断然、上位なのだ。 ましてや、彼女が志望している大学は・・・。 「あら」 澄んだ、透明な声。 男２人はハッと屋上出入り口を振り返った。 陽を浴びて黄金に輝くしなやかな髪。それに負けない眩しい笑顔がこぼれていた。 「珍しい光景ね。何のお話してたの？」 「・・・ジェットの悪口」 足元に落とした煙草を踏みつけ、ジョーは学生鞄を拾うと、そのまま肩に引っ掛けた。 前を通り過ぎるジョーの背中に、ハインリヒは声をかけた。 「楽しみにしてるぜ」 返ってこない返事。 代わりに、屈託のない笑顔でフランソワーズが手を振った。 「また明日、ね」 ジョーと並んで階段を降りて行くほっそりとした後姿。 それを見送り、ハインリヒはひとつ、長いため息をついた。 フランソワーズが住む白亜のマンションが見えてきた歩道を、２人は並んで歩いていた。 今は通い慣れた道。 １年生の時、誤解が解けて心を通わせた夜、初めて入った彼女の部屋・・・今でも克明に憶えている。忘れる筈もない。 「島村くん」から、「ジョー」へ昇格した記念すべき日なのだから。 「ジョー？」 顔を覗き込まれてハッとした。 もう、と唇を尖らせた表情が何とも言えず可愛らしい。 「聞いてなかったでしょ」 「あ、悪い・・・」 ジョーは素直に謝った。 「この間の二者面談の話よ。いくら推薦とはいえ、超難関だから・・・判らないじゃない？自信なくてどうしようと思ってたら、小林先生が『絶対大丈夫！お墨付きだから、あなたとハインリヒは』って言ってくれて・・・それで、決めたの」 ああ、志望大学の話か―――と思い、そこでジョーはハタと気がついた。 「えっ？今、ハインリヒって言ったか？！」 「ええ。彼も同じところを受けるの」 『楽しみにしてるぜ』 ・・・これだったのか。まさかハインリヒの志望もフランソワーズと同じ大学だったとは。 いくらお前でもここまでは来られないだろう、そう言いたかったのか。 あの挑戦的な余裕の態度の意味が理解出来、ジョーはくそっと唇を噛んだ。 ハインリヒはフランソワーズを想っている。以前からジョーはそれに気付いていた。 いつ頃からかは定かではないが、彼は周りを見るのとは全く違う目で彼女を見つめていた。 自分もそうだったからよく判る。 ―――疎遠になって別れる、だって？！言いたいこと言いやがって、あの野郎！！ 「どうぞ、入って」 いつのまにかフランソワーズの住む部屋に着いていた。 「今、紅茶淹れるわね。お部屋で待ってて」 「ああ」 鞄を置き、ブレザーを脱ぐ。ソファに座ると、彼女の香りが微かに鼻腔をくすぐった。 「ねえ、ジョーは知ってる？今朝の話・・・」 やがて、紅茶の用意を整えたフランソワーズが入って来るなり話を始めた。 彼女は既にブレザーを脱いで、ブラウス姿になっていた。 やっぱり上着があるよりない方がいいなぁ・・・と、何となく目を奪われながらジョーは思った。 「今朝・・？」 ああ、そういや女の子たちがキャーキャー騒いでたっけ。 「あの・・・あのね・・・」 ティーカップに紅茶を注ぎながら、フランソワーズはチラとジョーを上目遣いに見やった。 |