| ４ ――幾つもの太陽が西の空から昇って燦然と輝く東に沈み、幾つもの月はいつもと反対側から欠ける……ありとあらゆるものは死へ……すべては始まりの前の時に還っていく――― さんざん待たされた、とグレートたちが愚痴っていた例のあの夜は、何か良くないことが起こりそうな幾つもの兆しがあった。 謎の男女が落としていった精巧な人工の腕と、不思議なメダル―――またＢＧだったら……？ なのにジョーは、君は心配性だなと笑って、不安がる私を抱き寄せた。 『フランソワーズ……』 『グレートと大人が待ってるわ』 私はそっと彼の体を押し返そうとした。 『かまやしないよ』 ジョーが私の髪に顔を埋め、耳朶に熱い唇が触れ、そして彼の肩越しに星が瞬くのを見えた時、私はもうそれ以上考えるのをやめた。 汗ばんだ彼の胸元でペンダントが激しく揺れる。やがて目の前に虹がはじけ飛び、最後は何もかもわからなくなった。 気がついた時、私はベッドの上に無防備に身体を投げ出していた。 乱れた私の髪を優しく梳くようにかき上げ、唇におやすみのキスをして、ジョーはようやく部屋を出ていった。 待ちくたびれていたはずの二人は、何も尋ねなかった。 そのくらいジョーは平然とした顔で、お待たせ、とだけ言って車に乗り込んでいったから。 私たちの前に現れた謎の人々―――彼らは、２００年後の世界からやって来た未来人だと言った。 タイムマシンの開発によって時を飛び越え、この“現在”に秘密裡に移住しようとしていたという。 第三次世界大戦、放射能の脅威、人類の破滅。 彼らの言っていることが「もし」本当だとしたら―――未来は、絶望が支配しているの？ これからのどんな努力も、それを防ぐことはもう出来ないの？ こうして私たちが戦っているのは、未来をそんな世界にしたくないからなのに。 でも、これはすでに起こってしまったことだと彼らは言った。 「もし」ではない。もう変えるわけにはいかない。 別の未来が生まれると自分たちは消えてしまう、と。 だとしたら、私たちはもう未来に希望を持つことはできないの？ 私たち自身の未来はともかく、人間の未来に希望を持てないのなら、これからは何のために戦えばいいの？ そんな疑問を全部置き去りにしたまま、結局彼らは、もっと遠く遠く時を遡り、百万年も前の“過去”に移住することになった。 別れ際に、私は“彼”に尋ねた。 『どうして、ここに私をわざわざ呼んだの？』 ジョーを“今”から消してしまったら、彼は存在しなくなる。だから彼は人質を交換しようとした。 でもなぜ私を立会人にする必要があったの？ 彼は何も言わず、しばらく私を見つめていた。 ジョーと同じ栗色の髪。サングラスで瞳は見えない。でも―――やっぱりどこか似ているかしら？ ようやく彼が口を開きかけた時、向こうでリナと話していたジョーが私を呼んだ。振り返って頷いた私とジョーを見つめ、ほんの一瞬、彼が表情をゆるませた。 その時、私は彼がなぜここに私を呼んだのか、ようやくその理由がわかったような気がした。 塔がゆっくりと回転し、次第に速度を上げ、光り始めた。 そしてとうとう姿を消した。 彼らは太古の昔へとんで行った。 未来が過去となり、その過去が現在へと続く。そして現在は……どこへ繋っていくのだろう？ 彼らが過去に行ったことで、彼らの未来はどう変わったのかしら？ 私たちの“今”も、もうすでに変わってしまったのかしら？ ―――優しい吐息、囁き……そんなかすかな、かすかな、間近で見なければ気づかないような変化かもしれない。 でも誰にそれがわかる？ 誰がそれを知っているとはっきり言えるだろう。 ……こうして時の中を無遠慮に彷徨うことが、歴史にどれほど大きな轟をもたらすのか、それとも木の葉の囁きほどで終わるのか――― 「ねえ、ジョー……」 私はうつぶせになったまま、顔だけを背中の彼に向けて尋ねた。 「ん？」 「あの人たち、ちゃんと着いたかしら？」 「あの人たちって……誰のことだい？」 ジョーは半身を起こしながら私の体の向きを変え、汗ばんだ胸に抱き寄せた。 「彼ら、のことよ。ちゃんと”昔”にたどり着けたのかしら？」 彼ら？とジョーは訝しげな顔をした。 「どうしたんだい、今頃急に？」 「何となく……思い出したの。みんな無事に、過去に行けたのかしら？」 「だと思うよ。きっと彼らなら何とかするさ。あんな凄いタイムマシンを発明するぐらいだからね」 彼の瞳は、また君の心配症が始まった、と笑っていた。 「あの人……淋しくなければいいけど」 「……リナのこと？」 リナ？……そうね、リナも淋しいでしょうね。 腕をなくしたせいで、お兄さんを目の前で仲間に殺された可哀想なリナ。 ひとりぼっちになった彼女にとって、過去への移民計画は、以前ほど大きな意味を持たなくなってしまっただろう。 もしかしたら彼女は”過去”に行くよりも、あのまま”現在”にいたいと思っていたんじゃないかしら。 だって……。 私は両手をついてゆっくりと体を起こし、柔らかなリネンを胸に引き寄せると、ジョーの顔をまっすぐに見つめた。 「違うわ。リナじゃなくて”彼”よ」 未来人たちの司令官。 ジョーと私は彼の遠い先祖だと、彼は言った。 でも私たちは彼の名前を知らない。 「”彼”？……彼は大丈夫だよ。信念を持ってるもの。ちょっと思い込みが強いところがあるようだけど、きっとやり遂げるさ。みんなも信じてついていくよ」 そうね、大丈夫よね、と私は納得したふりをした。 誰かさんに似ているものね。でも――― 今頃、彼は……。 「フランソワーズ…」 またぼんやり考えこんでいた私を、ジョーは少し乱暴に抱き寄せ、そのまま仰向けにベッドに横たえた。 彼の動きには、少しも躊躇いがない。グレートたちが言うように、私も時々ジョーの大胆さにはびっくりさせられる。 「ずっと先の未来のことまで心配してるのかい？」 君らしいけど、と彼は優しい目をした。 「未来なのか、過去なのか、よくわからないわ」 「それよりも、今、目の前のぼくを心配してほしいな」 柔らかな前髪が、頬を、耳を、そして首筋をくすぐる。 「あ……」 ９人の中で本当は一番のやんちゃな甘えん坊は、こうなったらもう手がつけられなくなる。 でも戦場での冷静な００９は、こうして私の胸でジョーに戻っていく。 少しずつ、少しずつ……。 陽は完全に沈み、窓の外の世界は紫がかった夕闇に覆われ始めていた。 私は甘い吐息の洪水の中で溺れ、強引に流されては何度も引き戻され、大きな光の渦の中に少しずつ沈んでいった。 |