Mon Amour １

　青い空に大きな入道雲が浮かぶ眩しい夏の午後だった。
　私はようやく少し陰のできたテラスに出て、銀を散らしたように輝く海と、それに沿って真っ直ぐ向こうまで続いている白い道をぼんやりと眺めていた。
　研究所の庭の向日葵は、かすかに吹く風に体を揺らしながら笑っている。蝉は命をふりしぼるように声を張り上げていた。けれど他の生き物は、強い陽射しの中で息をひそめ、日が傾くのをじっと待っているようだった。
　窓を開け放したリビングでは、張大人とグレートがもう何時間もテレビの前に座りこんでいる。
　そろそろミルクの時間かしら？と、私は部屋の中を振り返り、チェストの上の時計に目をやった。

「最近の日本のテレビは、大好きとか愛してるとか大声で叫んでいりゃいいと思ってるな。あああ…」
　 だらしなく寝そべったまま、グレートはつまらなさ気にリモコンのスイッチを切った。
「アンタはんのように、一日中何もせずにテレビばかり見ていると、飽きてしまうのも当然ネ。でも、確かに……『愛してる』って連発してる割には、ドキドキしないというか……どれも全くロマンチックじゃないアルね」
「張々湖が“ロマンチック”って言っても、説得力ねえなあ」
「何を言うアル！ワテが究極のロマンチストなのを、知らないアルか？」
　張大人はグレートにしかめっ面をしてみせると、よっこらしょと丸い体を起こしキッチンへ向かった。私も部屋に戻り、その後に続いた。

「ジョーは何時頃帰ってくるアルかね、フランソワーズ？」
冷蔵庫から麦茶を出し、グラス一杯ぐっと飲み干すと、大人は私に尋ねた。
「少し前に空港を出るって電話があったの。博士たちの乗った飛行機の出発が遅れたんですって。ちょうど今頃、この上あたりを飛んでるんじゃないかしら」
「そうアルか。んじゃ、そろそろ夕飯の仕込みを始めるアル。それにしてもギルモア先生は元気アルね。ドンパチ終わったばかりだってのに、もうニューヨーク旅行とは。今回は何の学会アル？」
「確か……ＥＭＢＣとかおっしゃってたけど、詳しくはわからないわ。でも前々からの約束だったから、間に合ってよかったって」
ケトルを火にかけた私に、大人はホイと目の前のミルク缶を渡してくれた。
「好奇心と探求心は若さの秘訣アルからね。ジェットとジェロニモも一緒だから心配ないし……。ところでフランソワーズ、足の具合はどうアル？」
「かすり傷だったから、全然大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
「それはよかったアル。グレート！ぼんやりしてないで手伝うべしヨ！」
「今夜から人数は半分なんだから、まだ十分間に合うだろうが。年取ると、ホントせっかちになるな」
「食事は文明のバロメータね。手抜きは駄目アル！」
ミルクの甘い匂いが立ち込めるキッチンで、私たちは夕食の支度にとりかかった。

「う～ん、確かにロマンチックじゃないなあ」
　鍋を振りながら、グレートは突然思い出したように、ひとり呟いた。
「何がアル？」
「どれもこれも似たり寄ったりのストーリー展開でさ。『愛してる』に行くまでのプロセスがさっぱりだし……。碌に愛の言葉も交わさないで、それが突然“大好き！愛してる！”じゃ、お粗末で泣けてくるよ」
　大人の目にもとまらぬ包丁さばき。瞬く間に野菜のみじん切りの山が築かれていく。
「またその話アルか？アンタはん、いつからテレビ評論家になったアルか？玉ねぎが焦げてるヨ！性根を入れて仕事するアルヨロシ！」
　面倒臭そうに鍋をかき回しながら、グレートは私に尋ねた。
「なあ、フランソワーズは物足りないと思わないのかい？」
「物足りないって、何が？」
　ボウルをとろうと棚に伸ばした手を、私は思わず止めて振り返った。
「普通、恋人同士なら、『可愛いうさぎちゃん』とか『ちっちゃなキャベツの先っぽちゃん！』とか……愛の国フランスでは、そんなやりとりが当たり前じゃないか。なのにジョーときたら、君のことを『フランソワーズ』としか呼ばないだろう？『００３』は別としてさ。だいたい日本語にそういうロマンチックな表現がなさすぎるんだよな。無粋な言語だねえ」
「急に何の話？」
　話の飛躍に私が目を丸くすると、グレートは声音を変え、極上の役者声で、セリフを語るように恭しく言った。
「魂を込めた甘い言葉を交わし合い、押しては引き、逃げては追う……そんな情熱的な駆け引きこそ、我がヨーロッパの誇る大人の恋の醍醐味。拙者なら、愛する女神に毎日自作の詩を捧げるぞ。あのひとは松明に輝き方を教えているかのようだ。まるで夜の頬にかかる宝石さながら―――」
　跪いて中華鍋を両手で掲げ、ロミオになりきっているグレートの姿に、私は噴き出した。
「うふふ、グレートの恋人は羨ましいわね。でも習慣…っていうか文化の違いでしょ。今そんなこと言われたら、逆にびっくりしちゃうわ」
「ジョーは『男は黙って……』の昭和の日本男児アルからね。呼び方なんていちいち気にしてないアルよ。それに―――」
目にもとまらぬ速さで包丁を動かしながら、大人は澄まして言った。
「フランソワーズはどんな名前で呼ばれても、甘く香るような美しさアル。綺麗なものは綺麗。薔薇と同じネ」
　究極のロマンチストモードに入っているらしい張々湖の言葉に、私はとびきりの笑顔で応えた。
「ありがと、張大人。久しぶりにそんなこと言われると、やっぱり嬉しいわ」
「ちぇ、お前にしちゃ洒落たこと言うじゃねえか。シェイクスピアをよくご存じね」
「アンタはんとの付き合いも長いアルからね」
「ま、呼び方はともかく、いくら無骨な日本男児でも二人きりでいるときは、今流行りの『愛してる』くらい言うんだろう？」
「え？」
「一番最近言われたのは、いつアル？今朝かネ？」
「そんなこと、急に聞かれても……」
　あまりに唐突に、そして真剣に、包丁とお玉を手にした二人に両側から詰め寄られ、つい私も真面目に記憶を手繰ろうとした。
　一瞬考えこんだ私の様子に、グレートは両手を大袈裟に広げ、天を仰いだ。
「……マジ？」
「それは……たいそうロマンチックじゃないアルね」
　なぜだか、とてもがっかりしている二人に、私は笑って肩をすくめた。
「だって……ずっとそんな状況じゃなかったでしょう？」
「何てえこった、麗しの薔薇よ！ジュリエット、そなたらフランス人の体の半分は、『愛してる』で出来てるんじゃないのか」
「なあにそれ？」
「ジュリエットはイタリア人ヨ！」
「ったく、こんなに地球上に『愛してる！』病が氾濫してるって時代に、愛の戦士サイボーグ００９がそれでいいのか？それで世界を守れるのか？」
私は、延々と続くグレートの芝居がかったセリフを聞き流しながら、こっそりと溜息をついた。


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