窓の外に広がる、ぼんやりかすんだ柔らかい空。
陽射しは、眩しいくらいの明るさ。
この季節がやってくると、そわそわと落ち着かなくなる人物が、研究所には３人いる。
１人は、花粉症に悩まされているギルモア博士。
あれだけの科学者なのに、アレルギーの問題は専門外じゃから、とぶつぶつ言って、目をしょぼつかせている姿は、見ていて気の毒なほどだ。

２人目は、言わずと知れたジェット。
彼の頭には、春＝花見＝宴の図式がしっかりとインプットされているためか、桜の開花予想が発表される頃になると、しばらく口数が少なくなる。
顎に手をあてて考え込みながら、１日中、ところかまわずうろうろ歩き回り、宴の企画に余念がない。

そして、もう１人。
「岬の斜面に、もうたくさん水仙が咲いてるわ。」
「ほら、公園の隣にある、赤い屋根の家に、梅の木があるでしょう？今、ちょうど満開なのよ。」
イワンの乳母車を押しながらの散歩の時間は、日に日に長くなっていく。
「今日はね、とっても綺麗なピンク色の花を見つけたの。あ、ここに写真が載ってるわ。姫コブシ、っていうのね。あなたにも見せてあげたかった・・・。」
毎日、そんな花の便りを、目を輝かせてジョーに伝えるフランソワーズ。
４月に入ると、彼女のそわそわは頂点に達する。
「桜が咲いている間は、私の心は体から遊離しちゃうの。夢遊病みたいになるのよ。花が散ったら・・・ちゃんと戻ってくるはずなんだけど。それまでは落ち着かないの。」
そう言って、彼女は笑う。
「お天気もすごく気になるの。この間なんて、せっかく咲きかけた花が、嵐で全部散ってしまう夢を見て、ショックだったわ。」
「夢でまで、心配してんの？どうして姫はそんなに桜の花が好きなんだ？まるでおセンチな日本人だね。ヘンなフランス人！」
あきれたようにグレートが言っても、彼女は全く意に介さない。
「だって・・・好きなんだもの。綺麗でしょう？・・・理由なんかないわ。」
「桜といえば・・・『もののあはれ』の代表じゃからの。ずっと日本にいるフランソワーズには、それがわかるんだろうて。」
ギルモアが、くしゃみを連発しながら、目を細めて彼女を見つめた。
「・・・花より団子さ。ぱあっと騒げるんだったら、梅でも桜でもなんでもいい。さて、計画も大詰めだ。ピュンマも、来週戻ってくるし・・・。」
「フン・・・。どこの世界に、ＴＶニュースのトップで、呑気に花が咲きました、なんて報道してる国がある？」
冷ややかなハインリヒの言葉に、リビングの空気は、しんと静まり返った。
「この国は完全な平和ボケだ。パレスチナ、ユーゴ。・・・どこも一触即発なんだぞ。いつ、・・・。」
確かにそうだ。日本のテレビも新聞も、この時期には一斉に桜の話題を取り上げる。
他にどんな重大なニュースがあっても、「各地の花便り」のようなコーナは、まずカットされない。
「だいたい・・・はしゃぎすぎなんだ。花ってのは、時季が来れば、勝手に咲くことになってるんだよ。それを・・・何でいちいち大騒ぎする必要がある？」
フランソワーズは、一瞬ハインリヒの顔を見つめ、何か言おうとして口をつぐんだ。
ジェットは不愉快そうに、ちらりとハインリヒを見やる。
居心地悪い沈黙。
と、彼女の穏やかな声がそれを破った。
「そうね、桜は春の訪れを忘れたりしないんだから・・・心配しないで、静かに待っていればいいわね。」
黙って皆のやり取りを聞いていたジョーは、柔らかな微笑の浮かぶ白い横顔を、じっと見つめた。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊


「さて、と。ピュンマは明日の午前中に着くから・・・夜には早速決行するぞ！ちょうど満開で見頃だからな。それぞれの分担は・・・。」
リビングに集まっている皆に、宴会司令官のジェットがあれこれ指示を出す。
「料理は、大人とフランソワーズに任せて、飲み物調達はジョーとジェロニモ。場所取りは、グレートだ。立ち入り禁止の柵にでも化けて、しっかり一番いい場所、キープしろよ！俺？俺サマは総指揮だ。余興の準備をするよ。」
そこへ、静かにハインリヒが入ってきた。
「お！ハインリヒ、お前には・・・何をしてもらおう？飲み物係かな。それとも・・・。」
この間のこともある。
あんまりはしゃぐと、ハインリヒの機嫌が悪くなるか、と、ジェットも遠慮がちに声をかけた。
ハインリヒは、手にしていた本を、暖炉の脇のチェストに置くと、つまらなさそうな顔をしてソファに腰をおろし、ぽつりと言う。
「明日は・・・雨になるかもしれないな。」
「えっ？ほんと？」
キッチンから、フランソワーズが顔を覗かせ、すぐに窓辺に駆け寄った。
空は雲に覆われ、星は全く見えない。
「週間予報では、ずっと晴れるって書いてあったのに・・・。せっかく、あと少しで満開なのよ。」
いかにも残念そうに、ため息をつく。
「いつもそうね。もうちょっと、というところで、必ず雨が降って散らしちゃうのよ。意地悪だわ・・・。」
――僕に、お天気をどうにかする力があったら・・・何とかしてあげたいけど。
唇を尖らせて憤慨している様子に、ジョーは思わず微笑んだ。


「さて、これでよし。あとは・・・空模様だけだな、心配なのは。照る照る坊主でも作るか。」
「グレート！アンタはんが、ベランダにぶら下がってればいいアルよ。」
綿密な打ち合わせを終えると、皆は軽口を叩きながら、自室に戻っていく。
ジェット主導の宴会とはいえ、年に一度のこのイベントを、仲間たちは心から楽しみにしていた。
そんなことにかまけていられる幸せ。誰もがそれをかみしめている。
「フランソワーズ・・・。」
部屋に戻ろうとする彼女の背中に向かって、ハインリヒがためらいがちに声をかけた。
「なあに？」
どうしたの？とフランソワーズは、屈託ない笑顔で振り返る。
ハインリヒは、一瞬まぶしげな目をすると、チェストの上の本に手を伸ばし、彼女の方に向き直った。
「この間は・・・すまなかった。」
「え？何のこと？」
「よかったら、読んでみてくれ。君と同じような・・・桜フリークは・・・昔からいたんだな。」
「桜フリーク？あ、ニッポンの昔の詩集ね？・・・ありがとう。じゃあ・・・しばらく借りるわ。」
親しげな笑みを浮かべると、彼女は軽やかな足取りで、部屋を出て行く。
またソファに座り込んだハインリヒは、ふうっとため息をついた。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊


　結局、雨は、宵の口にぱらぱらとしただけで、朝には真っ青な空が広がっていた。
午前中から場所取りに専念したグレートの活躍で、川原の土手で一番大きくて立派な木の下が、今年の彼らの宴会場となった。
　まだ日も沈んでいないというのに、たいそうな人出だ。
会社の歓送迎会だろうか。カラオケセットを持ち込んで、大騒ぎをしている集団がいくつもあって、普段は静かな土手は、ごった返している。
「ったく・・・この中の何人が・・・花を見てるんだ。ただ集まって、酒を飲んで、騒いでるだけじゃないか。静かに花見をしたくても・・・ぶち壊しだ。」
また皮肉か、とでも言いたげに、ジェットがちらっとハインリヒを見た。
フランソワーズが、くすっと笑う。
「そうよね。これだけ綺麗だから・・・人が集まってくるのはしかたないけど。でも、それって桜の美しさゆえの罪、なのよね。」
はっとハインリヒが彼女を見つめると、意味ありげな微笑を浮かべて彼女は言葉を続けた。
「・・・あたら桜の　とがにはありける・・・ね。」
「美しさゆえの罪！！！！いいねえ〜！姫だってそうじゃん！なあ、ジョー！」
すっかり出来上がってるグレートが、ジョーに絡む。
酔っ払いを適当にあしらいながら、ジョーは複雑な思いにとらわれていた。
彼女は・・・いや、彼女たちは、いったい何の話をしてるんだろう？


花冷え、の言葉どおり、夜になると、しんしんと寒さが増して来る。
少しずつ強くなってきた風に誘われるように、はらはらと花びらが月夜に舞う。
薄いセーターを着ているだけのフランソワーズが、小さなくしゃみをした。
「あ・・・ありがとう。」
着ていたジャケットをそっと羽織らせたジョーを、蒼い瞳がじっと見上げる。
きらきら輝く海から溢れる柔らかな光が、自分だけを見つめている。
さっきまでの妙な物思いが、一度に吹き飛んだ。
我ながら単純だ、と思わず苦笑する。
そんな心の動揺を押し隠すように、ジョーはさりげなく言った。
「みんな・・・ほんとに元気だね。もう夜中に近いのに。まだまだ、ここで頑張るつもりかな。」
あたりを見回しながら、フランソワーズも頷く。
「明日は、お休みの日じゃないのにね。でも・・・みんな幸せそうね。」
ふっとまた目が合う。同時にくすっと笑った。
「え？」
耳元で何か囁いたジョーを、彼女は驚いたように見つめた。
そんな二人の様子を目ざとく見咎めて、ジェットが声をあげる。
「おい！ジョー！何だよ、ふたりでこそこそと。フランソワーズ！！こっちへ来てくれよ！」
首をすくめて微笑い、じゃあ、しばらくしたら、あそこで待ってて、と彼女は囁いた。
「あそこ？」
怪訝な顔をするジョーに、そうよ、といたずらっぽい微笑を向ける。
「私が・・・本当に桜を好きになった・・・理由が・・・ある場所、よ。」
彼女は、ジョーの肩にそっとつかまるようにして立ち上がった。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊


　いつのまにか、ジョーが姿を消したことには、誰も気づかなかった。
近くの女子大生グループと意気投合し、彼女たちが合流してからは、宴のムードは最高潮。
（よかった・・・。こんなにタイミングよく・・・抜けられるなんて。）
そっと闇にまぎれて、フランソワーズは駆け出した。


ずっと待っててくれてる？
あなたは、ちゃんとそこにいてくれてる？
この、ぶかぶかのジャケットからは、あなたの匂い。
それが私を包んでいる。
胸がどきどきするのはそのせい？
こんなに一生懸命走っているから？
それとも・・・。

あの場所に、あなたと行きたかったの。
おととしみたいに、２人きりで。
あなたが見に連れて行ってくれた、夜の桜。
あの桜だけは、あなたと２人で見たいの。今年こそ。
２年ぶり――。
どうか、綺麗に咲いていますように。



「君に・・・どうしても見せたいものがあるんだ。」
ジョーは、はにかむようにそう言った。
「こんな遅い時間なんだけど・・・いいかな？」
嬉しかった。
あなたが、とても心配してくれてることはわかってた。
でも・・・辛い戦いが続いた後だったから、私、前向きになれなかったの。
どうして人は死ぬの？何のために生きるの？どうせ死んでしまうのに。
あんな悲惨な場面ばかり見ていたら、静かな平和な生活が、全部嘘に思えた。
本当は・・・。
――今度こそ、私たちの番。
それが恐ろしくてたまらなかった。

何処へ行くの？と聞いた私に、『そこ』につくまで内緒、と彼は笑った。
『そこ』に近づいたとき、彼は私を振り返って言った。
「いい？目をつぶって。もちろん『眼』を使っちゃダメだよ。」
あなたには・・・わかってしまった？
私が震えてること。
戦場以外で、あなたが私の手を取るなんて、初めてだったから。



もし・・・もし来てなかったらどうしよう。
もっとちゃんと、「あの山桜のところに来て」って言えばよかった。
でも、あなたが・・・覚えてくれてるかどうか、確かめたかったの。
もうすぐ『そこ』だわ。
「眼」も「耳」も使わない。
ちゃんと・・・自分の目であなたの姿を探したい。

月の光を受けて、ぼんやりと輝く白い幻想。
今年も美しく咲いていた。
山裾にひっそりと佇む野生の桜。
儚げで透明で、優しい真珠色。
でも――。
急に色褪せて見えた。
光沢のある樹皮にそっと触れる。
そうよ。あんな言い方じゃ、わからないわね。
真下から見上げた白い花が、暗闇ににじんだ。

その時、優しい手が、背後から両目を覆った。
ドキッと胸が高鳴る。そっと手を重ねてはずす。
「だめよ・・・。私に目隠ししても無駄なこと、よく知ってるのに・・・。」
そうだね、と茶色の瞳が笑う。
はらはらと風に舞う花びらが、またにじんで見えた。
「こうやって・・・春が来たら、ちゃんと花が咲くのね。誰も気づかないような場所で・・・でも、こんなに一生懸命咲くから、散る姿は・・・もっともっと美しくて・・・。」
ジョーは、長い睫に留まるしずくを、ゆっくりと指でぬぐった。
「君は・・・あの時も同じこと、言ってたね。」
「そんなことまで、覚えてたの？」
恥ずかしそうに俯く細い肩を、優しく抱き寄せると、柔らかな花びらに、ジョーはそっと唇を重ねた。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊


「そうなの。何百年も前に、私と全く同じこと言ってた人がいるなんて。でも・・・桜の好きな人は、みんな同じように思うのね、きっと。時代も・・・国も・・・関係なく、ね。」
フランソワーズは新幹線の車中で、例の本を開いた。
「ほら、ここにあるでしょう？『花見にと　群れつつ人の　来るのみぞ　あたら桜の　とがにはありける』って。」
そういうことだったのか。
「それにね、これ、見て！『あくがるる　心はさても　やまざくら　散りなんのちや　身にかへるべき』って、まるで私のこと言ってるみたいでしょ？」
無邪気に笑う。
「・・・次のページに、すごく素敵な歌があるの。私が一番好きな歌。」
どれ？という顔をして、ページをめくろうとしたジョーの手を、はっと押さえて、彼女は首を振った。
「あ、見ちゃダメ！向こうに行ってから、教えてあげる。今はまだ・・・内緒よ。」
本を静かに閉じると、微笑んでジョーを見つめた。
「でも・・・ハインリヒは、こんな本も読んでるのね。びっくりしたわ。」
「そうだね。僕だって・・・読んだことないのに。」
「ほんとね。私がジョーに教えてあげるなんて・・・ちょっとおかしいわね。」
くすっと笑うと、大切そうにその本をバッグの中にしまう。
君は、全然気づいていないのだろうか？そのこと・・・に。
「・・・ジョー、どうしたの？」
そんなに心配そうな顔をしてくれるのに、僕は何を考えているんだろう。
「いや、何でもない。でも・・・やっとわかったよ。どうして君が、急にそこへ行きたいって言い出したのか」
「昔から、日本で一番、桜で有名なところなんでしょう？前から一度見たかったの。山全体が桜だなんて、きっと素敵でしょうね。」
視線が柔らかくぶつかる。
「あなたが・・・一緒に来てくれて・・・よかった。」
フランソワーズは、頬をそっとジョーの肩に寄せた。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊


「残念だったね。いつもより１週間も花が遅いなんて・・・。」
「でも、麓のほうはほとんど満開だったし・・・。とても綺麗だったわ」
夢見るような表情。
おそらく昼間の景色を思い浮かべているのだろう。
「それに・・・あの１本を見られただけで、十分幸せよ。」
フランソワーズは満足げな吐息を漏らした。
「・・・あと２・３日で、どのくらいつぼみがふくらむかしら？お天気さえ良ければ・・・もう少し咲いているところが見られるかもしれないわね。」
ジョーは、内心の動揺を悟られないように、窓辺に向かう。
「月が・・・出てる。ちょっと・・・かすんでるけど」
「そうなの？」
寄り添うように立ち、彼女も窓の外を見上げた。



奥千本周辺の桜は、まだ冷たい風から身を守ろうと、じっと息を潜めているようだった。
固いつぼみだけの枝越しに、太陽の光が素通しで見える。
かつて、古い庵のあった場所を、彼女は興味深げに眺めていた。
「ジョーは・・・この人のこと、知ってる？」
「いや・・・全然、知らないんだ」
「じゃあ、また私が・・・先生してあげるわね。」
庵のそばの案内板に近づくと、微笑みながら振り返る。
「この人は、はじめ戦士だったの。都の、偉いサムライね。でも、はたちを少し過ぎたばかりの時に、突然、恵まれた生活を全部捨てて、出家したそうよ。」
１つだけ、ほころんだつぼみがついている枝に、そっと手を差し伸べると、彼女は言葉を続けた。
「それから・・・あちこちに庵を結んで、ここにもしばらく住んでたんですって。」
傍らに立ったジョーの顔をじっと見上げて、呟く。
「こんな奥まったところに、一人ぼっちでいて、淋しくなかったのかしら？」
でも、と、ひとり納得したように頷いた。
「桜の木がこれだけあるんですものね。春が来るのを楽しみに・・・きっといつでも・・・彼の目には、満開の桜や、花吹雪が見えたんだわ。」

すっかり春めいた山道を、ゆっくりと歩く。
どこかで鶯が鳴いている。
「あ・・・」
突然、彼女が声をあげた。
窪地にひっそりと佇む桜の老木。
陽の光をたっぷりと浴びて、純白のベールを輝かせている。
「見て！」
フランソワーズは小走りに駆け寄ると、幹に寄り添うように立ち、じっと真上を見上げた。
柔らかな風が吹く。
雪のような花びらが、ふんわりと空に舞う。
「正真正銘の、吉野の山桜ね。西行の・・・桜。」
散っていく一片ひとひらを、愛しげに見つめるフランソワーズ。
ジョーは、亜麻色の髪にとまった花びらをそっと取り上げ、彼女の手のひらにのせた。



「博士は・・・何て言ってたの？」
彼女の声に、ジョーははっと我に返る。
「いや・・・大したことじゃないよ。僕がちゃんとしたスケジュールを言ってなかったから・・・確かめたかっただけだと思う。」
しばらく黙り込んだあと、フランソワーズは甘えるように、ジョーの手を取った。
「ねえ、昼間行ったところに、もう一度行きたいの。あの木があったところに。」
「え？今から、かい？」
でも・・・もう真っ暗だし、と言いかけて、自分を見つめている瞳の色の深さに、ジョーは思わず言葉を呑みこんだ。

外の空気は、身を切るように冷たい。
街灯もほとんどなく、ただぼんやりとした月明かりだけが、夜道を照らす。
山裾のところどころに、白く浮かび上がっているのは、桜だろう。
だが、山の頂は、完全に闇に溶け込んでいた。
「昼間とは、ずいぶん雰囲気が違うわね。全然、誰もいないし・・・」
当たり前よね、他の人たちには何も見えないものね、とクスリと笑う。
「寒くない？」
ううん、と小さく首を振る彼女の肩をすっぽりと包み込むように、引き寄せる。
そのまま体を寄せ合って歩いた。
ふっと、彼女の歩みが止まる。
その視線の向こうには、朧月にぼんやりと映し出された白い影。
この木には、太陽の光よりも、月光が似つかわしい。
ここは、昼間、彼女があの歌を教えてくれた場所。
「フランソワーズ？」
どうしてもっと近くへ行かないの？
顔を覗き込んだジョーに、優しい笑みを向けると、彼女はその場でゆっくりと目を閉じた。

満開の桜が頭上につくるアーチ。
折からの優しい風に、舞う花びら。
君の瞳には、それが映っているんだね。
僕にも見えるよ。
霞のような桜のベールに包まれて、微笑んでる君が。

つうっと、涙が一筋、目尻からこぼれた。
たまらずに、ジョーは細い体を抱き寄せる。
彼の胸にそっと頬を押し当てると、かすかな声で彼女は呟いた。
「大丈夫よ、ジョー。わかってるわ。」
「フランソワーズ！」

大丈夫。
そこがどんな場所でも、もう逃げたりしない。
あの時、あなたは教えてくれた。
限りある命の中にこそ、永遠があるって。
みんなと一緒だもの。
そして――あなたがいてくれるから。
でも、もし・・・もしかなうのならば・・・。
ううん、桜の下で、なんて望んでいない。
どんな場所でもいい。
その時、は、あなたと一緒に。

抱きしめる腕に、ぐっと力をこめてジョーは囁いた。
「また・・・来よう。」
じっと見つめ合う。
お互いのぬくもりが２人を包む。
「きっと、またここに来よう。今度は、満開のときに。」
「ジョー！」
そう、あなたがいるから。
だから、優しく、強くなれる。
どんなに傷ついても、乗り越えていける。
「ここで・・・つぼみが満開になって・・・・そして散っていくのを、ずっと２人で見てよう。」
フランソワーズは小さく頷き、柔らかな微笑を返した。

信じてる。
いつか・・・必ず、その時が来るとしても。
決して怖れない。
今、この瞬間こそが、２人にとっての永遠だから。


　　　　願はくは花のしたにて春死なむ　そのきさらぎの望月の頃
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　西行
　
『　山家集　』　→

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