サイボーグ００９　投稿小説「True　Love」

	-１- 夢うつつに、足音が聞こえた気がした。そして、強くドアをノックする音、返事をする間もなく開けられたドア。 ―――まだ半分眠ったままで、身体を起こした。「ジョー、夜中にすまんが……」寝巻きの上にガウンをはおった姿で、ギルモア博士が部屋の入り口に立っている。「今、パリから国際電話で……」 ―――パリ？　一気に目が覚めた。「フランソワーズが行方不明だと……」＊「うん、そうなんだ。まだよく状況がわからないんだけど…。とにかく、僕たちはこれからドルフィン号でフランスに向かうから、もし都合がつくなら……君も来てくれると助かるんだけど」ギルモア博士のもとに、パリでフランソワーズが住むアパルトマンの管理人から電話があった朝、ジョーはまだ暗いうちに、ドイツのアルベルトに電話を入れた。幸いすぐに彼はつかまり、黙ってジョーの話を聞いていたが、「ドルフィン号？　そんなに急を要するのか？」「それもあるけど…イワンが……」イワン？アルベルトはジョーの言葉を待った。「イワンが…ついさっき起きて、すぐにフランソワーズにコンタクトを取ろうとしたんだけど…」ジョーの声がかすれた。平静を保とうとしているが、わずかな震えが受話器を通して伝わってくる。「分からないそうだ…どこにいるのか、どういう状況にあるのか」「……分からない？　イワンでもか？」「うん…。意識が感じられないとサーチできないって…。それでも、だいぶ頑張って呼びかけてたみたいなんだけど」今イワンはゆりかごの中で沈黙を続けている。それはさきほどの強力なテレパシーで消耗した体を休めているようにも、何かをじっと考えているようにも見えた。＊「呼びかけに応じない？」そう聞き返したジョーに、一呼吸分だけ間をおいて、いつもの冷静な声で言ったイワン。「ソウ。考ラレルコトハ３ツアル。１ツハ単ニ眠りガ深イダケ。…ぱりハ遠イ。僕ノ声ガ届カナイノカモ」でもそれは、イワンの能力を考えたら可能性は低いだろう。第一、どこで眠っているというのか？「２ツメハ、何カ僕ノてれぱしーヲ遮断スル、ソウイウ場所ニ彼女ガイルコト」「………」「３ツメハ、彼女が意識ガナイ状態ニアルコト。最悪ノ場合…」「もういい！！」ジョーがたまらずイワンの言葉を遮った。「……じょー、僕二言エル事ハ、今現在彼女ノ思考ヲ感ジラレナイ、トイウコトダケダ。ソレ以外ハマダ何モワカラナイ。落チ着イテ」「………」＊「…そういう訳で、とにかく何があってもすぐに対応が取れるように、イワンやギルモア博士も一緒に、ドルフィン号で行く」何があっても？　怪我をしていても。それとも……。アルベルトはどうしようもなく胸のあたりがざわつくのをこらえ、低く答えた。「分かった。すぐに出発する。上陸ポイントを教えてくれ。車で迎えに行く」久しぶりに聞くアルベルトの声には、いつもどおりの落ち着きが感じられて、ジョーはほんの少し心強さを覚えた。「ありがとう。これからロンドンのグレートにも連絡しておくけど…大袈裟すぎるかな……だけど……」受話器を握り締めて、うつむいてるジョーの顔が目に浮ぶ。アルベルトは彼に不似合いな陽気な声を出した。「ま、笑い話で済めばそれはそれでいいじゃないか。そんときゃ心配させた侘びに美味いフレンチでも奢らせようぜ」ふっとゆるんだ気配がして、ジョーが「そうだね…」と相槌をうった。「じゃあ、後でな。切るぞ」受話器を置いた手が離れない。アルベルトはしばらくそのまま受話器を見つめていたが、ふいに我に返ると、慌しく出発の準備を始めた。＊ 7日前。フランソワーズは久しぶりに、故郷の地を踏んだ。懐かしいパリの、自分と兄が暮らしていたアパルトマン。最愛の兄は今、フランス空軍のパイロットとして南フランスのどこかにいるはずだった。彼が、本来ならばとっくに引き払っていいパリの古い部屋を６年前と変わらず借り続けているのはいつ帰るともしれないたった一人の妹のためだった。 ………君が何をしなければいけないのか、何を守ろうとしているのか…僕には分からない。だけど…どこにいても、何をしていても。君は僕の大切な、たった一人の妹だ。それだけは、忘れないで。そして…もしも、君が、戻りたいと思ったなら。いつでも戻っておいで。僕は何も聞かない。ただ、昔と同じに、抱きしめてあげるよ……。この部屋を訪れるたびに、フランソワーズはそう言った兄の言葉を思い出す。もう自ら会おうとは思わない、会ってはいけないと言い聞かせている、兄の言葉。けれどそれは、主のいない冷え切った部屋でも、いつも彼女を暖かく包んでくれた。「さあ、そろそろ出かけなきゃ」声に出してつぶやくと、もう一度鏡をのぞいてから、初冬のパリの街へ出た。これから彼女の高校時代の友人の結婚式に出席するのだ。その後は簡単なパーティと、さらには久しぶりに会う同級生たちとのクラス会。６年前にブラックゴーストに突然連れ去られて以来、これだけ多くの友人に会うのは初めてだった。『何かの事件にまきこまれ、その後見ず知らずの人間に偶然助けられたが、その間の記憶がまったくない』これが、彼女が初めて故郷へ戻ることになった時に、イワンが用意した周囲への説明だった。「コレデウルサク君ノコトヲ詮索スルヤツハ、少ナクトモ君ノ家族ヤ友人ノ中ニハイナイダロウ。モシソレデモ何カヲ問イツメヨウトスル者ガイタラ、ソレハ付キ合ウ価値ノナイ人間ダヨ」確かにその通りだった。兄は黙って自分を抱きしめて涙を流してくれただけで、それ以上は何も聞かなかった。ただひと言、帰ってきてくれたことが、夢のようだと。街で会った友達もバレエ団のみんなも、過去の忌まわしい事件のことは胸の奥にしまいこんで、ただ彼女の無事を喜んでくれた。だが、フランソワーズはどうしてもそんな彼らに、大きな隠し事をしている引け目を感じずにはいられない。そのことが、戦いのない今となっても彼女を日本に引き止める理由の一つとなっていた。だから、日本で偶然に会った旧友から今日のことを聞き、「クラスのみんなもアナタにとても会いたがってたわよ」と言われたときも、はじめは行くつもりは無かった。せめてお祝いでも贈ろうと。しかし、博士やジョーも「久しぶりなんだし…たまには帰ってみんなを安心させておいで」と優しく言ってくれた。そう言われると彼女自身も、大好きな秋から冬にかけてのパリの街を歩いてみたくなって。そして……やはり故郷は彼女に優しかった。パリの街は彼女を暖かく包みこむ。石畳に降る落ち葉、くすんだ壁の色、焼き栗の匂い…。口の端に微笑を浮かべたまま、フランソワーズは懐かしい友人達のもとへ急いだ。　 -２- 裏通りにあるさびれたホテルの一室。「ええ…そうです…そう…体内に注入しつづけるだけで……ロボット？…ふふ」「外科的措置は必要ありません……薬……痛みもまったく……」「いわれるがままに……用途はいろいろと……ええ、それなりの報酬は……」頭が重い。彼らは一体何を言ってるのか。商談というには、よどんだこの空気はなんだ。僕の… 「おい！　バルマン！　ぼんやりしてないで礼を言わんか。お前の開発した薬品がようやく日の目をみることになったんだぞ！」 ……偶然です、コレが抽出されたのは。それに僕はこんなことのためにこの薬を作ったわけでは……。「あ…すみません…。ええと…あの…ありがとうございました……」は～っと大げさにため息をついて、上司のラモンが相手に握手を求める。「商談成立ですな。今後ともよろしく…」相手の男は、真っ黒なスーツにサングラス、どうころんでも製薬会社の社員には見えない。一体何の目的でこんな薬を買い取るんだ。後ろ暗いことに使用するのは分かりきったことだというのに…破格の報酬に相好を崩しているラモン。吐き気がする……。だけど、僕にはもう、どうでもいいことだ……。もう、僕には……。ようやく外に出る。もう夜も更けて冷え込みが厳しい。冷たい空気を吸って肺と心臓が悲鳴を上げた。思わず胸を押さえたが、ラモンは振り返りもせずどんどん先を急いでいる。表通りに出た。ああ、今日は土曜の夜なんだ。人通りが多いな…。みんなほろ酔い加減で楽しそうだ。友人？家族？　大声で笑いあいながらすれ違っていく人々…。前から来る華やいだ一団。あれは… 「あれ？　ジェラールじゃないか？」ああ、やっぱり…。「なんだ、オマエ、こっちにいたのか。今日のことは知らなかったのか？」「いや、連絡したはずだぜ。確か、仕事だからって断られたんだよ」「へっ、さすが優秀な研究者さまだな。昔の友達とは会う時間もないってわけか」ニヤニヤと、侮蔑の眼差しで僕を見るかつてのクラスメイトたち。そうか、今日だったのか、誰かの結婚式と、クラス会。僕も…行きたかったけど。「ねえねえ、ジェラール！」男達の後ろから茶色の髪の女の子が顔を覗かせる。誰だっけ、名前は思い出せないな…確かクラスリーダーの… 「今日は珍しい人が来てるのよ！　誰だと思う…？」いたずらっぽく笑って、後ろを振り返る。そのとたん。僕の心臓は確かに一瞬その弱々しい鼓動を止めた。波打つ柔らかそうな亜麻色の髪。すっと伸びた首筋。抜けるような白い肌。そして、穏やかな光をたたえた大きな蒼い瞳が驚いたように見開かれて。「ジェラール……？」鮮やかによみがえる高校時代。 “…ありがとう…でも……私、今は誰とも、その…お付き合いとか…考えたことなくて……” 意地の悪い連中に無理やり彼女の前に引っ張って行かれ、胸に秘めていた想いをあんな形で暴かれた僕。死ぬほど恥ずかしかった。いつもみんなにバカにされてるさえない僕が、よりによって人気者の君のことを好きだと知られてしまうなんて…。なのに、君は笑ったりしないで、とても真剣に答えてくれた。頬を染めて。 “…笑わ…ないの？” “どうして？” 心底びっくりしたという顔をして “…そんな…うれしいわ。だけど…ごめんなさい、本当に……” “いっ、いや！　あの…僕……” 周りではやし立てる声。君はそれをキッとにらんで僕の腕をとった。 “行きましょう、ジェラール！” そしてそのまま、まわりのからかうような視線には目もくれず、君はまっすぐ前をみつめて歩き出した。君と腕を組んで歩いた、夢のような、あのひととき…。どっと周りから笑いが起こって、僕は我に返った。「やだ！　ジェラールったら固まっちゃってるわよ！」「なんて顔だよ、おい」「うるわしのマドンナと感激の再会だもんな。感想は？」真っ赤になりながらも僕は彼女から目をそらすことが出来ない。あまつさえ涙まで浮んできて… 「……フラン…ソワーズ？…本当に……？」またどっと笑いが起こる。だけど君は、以前とちっとも変わらない優しい笑みを浮べ、僕をまっすぐ見つめていた。「ええ……久しぶりね、ジェラール。いろいろ心配かけてごめんなさい。アナタは？　元気？」何か言わなきゃ、何か… 「コイツは出世したんだぜ！　理工大学出て今は薬品メーカーの研究部門でフラスコ振ってるとさ」「しかも！　アレだけフランにべた惚れだったってのに、なんと去年結婚したんだよな、教授の娘だっけ？」「まぁ！」君はちょっとびっくりしたように口元に手をあて、でもすぐににっこり笑って「知らなかったわ…おめでとう、ジェラール」くすくすと嘲笑が起こる。みんな知ってるんだ、僕があのわがままな女を押し付けられたこと。「まったくな～、情けないヤツ。姫！私は姫一筋ですぞ～～～！」酔っぱらった一人がフランソワーズに芝居がかった一礼をする。「アランったら。マリーに言いつけるわよ！」「うわ、それはカンベン…」「あっ！じゃあ、オレオレっ！　まだフリーだぞっ！！」「まったく男ドモときたら…！　フラン、気をつけたほうがいいわよ！」「なんだよ、そりゃ…」賑やかに笑う彼らは、若さと自信で光り輝いている。それに比べて僕は…… 「バルマン！！　何してる！！　さっさと来い！！」ラモンが向こうでイライラと足踏みしている。僕はあわてて「じゃ…」とだけ言うと駆け出した。またみんなが嘲笑っている。フランソワーズのほんの少し気遣わしげな瞳が、僕を見たように思ったのは気のせいか。「まったく世話ばかりかけさせやがって……」けれど、僕をののしるラモンの声など、ちっとも耳に入っていなかった。ぶざまに喘ぐ心臓の音を聞きながら、僕はただ、フランソワーズのことだけを、考えていた…。　 -３- 「で、フランソワーズから最後に連絡があったのはいつなんだ？」パリへ向かう車の中。ドイツからぶっとおしで運転してきたアルベルトにかわってハンドルを握るジョーにグレートが尋ねた。「…４日前」 “久しぶりで懐かしくって…。友達ともゆっくり会いたいし、もう少しこっちにいてもいいかしら？” 遠慮がちに電話をかけてきたフランソワーズ。ふと胸にわいた想いを悟られないように、ジョーは明るい声で言った。「うん、だいじょうぶだよ。イワンもまだ起きそうにないし…楽しんでくるといいよ」「ありがとう」 ―――声が弾んでいる。あれだけ不安がってたのに、やっぱり故郷は君にとって一番心落ち着く所なのかな。ここよりも……僕といるよりも。何も言わず君はここにとどまっているけど、それが当たり前のように思っていたけど…。イツモ　ソバニ　イテホシイ。口には出せないけれど、知られたくないけれど、そう思っていた。ほんの数日、いないだけなのに……自分に苦笑して、ジョーは電話を切ったのだが。「電話をくれたアパルトマンの管理人の話では、フランソワーズはどうも３日前から戻っていないらしい」黙ってしまったジョーに代わり、ギルモア博士が説明した。「それが、昨日になって…一緒に出かける約束をしていたという友達がやって来て…」連絡もなしに彼女が約束をすっぽかすなんておかしい、とわざわざ部屋を訪ねてきたという。首を傾げた管理人と友達が彼女の部屋を合鍵で開けてみると、部屋はきちんと整頓され、これといって不審な点は見当たらなかった。だが、彼女が日本から持ってきた荷物はそのままだったし、テーブルの上には前日にその友人と行くはずだったコンサートのチケットが乗っていた。無かったのはフランソワーズのコートとバッグ。ということは、フランソワーズはどこかそう遠くない場所に自らの意思で出かけ、その後行方が知れなくなったと考えられる。以前のこともあり…一気に不安になった、彼女を子供の頃から知るその管理人は、すぐにギルモアに連絡を入れたのだという。「でもなんでギルモア博士に…？　オレたちのこと、知ってるのかい？その人」グレートがもっともなことを聞いた。「……あの子がそう頼んでたそうだ。もしも、自分に何かあったら…大きな怪我とか、病気とか…あるいは今度のように、何か訳のわからない事件が起こって、それに自分が巻き込まれたような時は…病院や警察でも、兄さんでもなく…一番にワシのところに連絡してくれと…」語尾が小さく揺れた。フランソワーズはギルモアのことを、あの誘拐事件の時に私を助けてくれた、とても信頼のおける、父親のような人―――と言っていたという。肩を落とすギルモアにアルベルトがいたわるような視線を向け、でもきっぱりと言った。「ま、そうでなきゃな。極力オレたちの正体がバレないにこしたことはない。彼女は特にそう思っていただろうし」沈黙が車内を覆う。イワンは眠っていた。フランス西海岸にひそかに上陸してすぐ、もういちどフランソワーズの行方をサーチしようとしたのだが、それが徒労に終わり、疲れきって眠りに落ちた。《コンナトキニ…デモ、スグニ、オキル…カ…ラ……》突然襲ってきた睡魔に悔しそうにそうつぶやくともう、ピクリとも動かず軽い寝息を立てていた。イワンも動揺してるんだ……大事なママがいなくなって。彼女の思考をキャッチできない。それが意味するところを考えると……。ジョーはもう何度も突き落とされた真っ暗な闇から無理に自分を引き上げて言った。「…ネオ・ブラックゴースト…だろうか」「いや。それなら、オレたちへの何らかのアピールがあっていい筈だ。他の仲間達にも何かあったという話は聞いていないし」「じゃあ、なんだろね。全然関係のない事件に巻き込まれたってのかい？」「…おそらくは。とにかく、パリに着いたら手分けして手がかりを探そう。それしかない」「……そうだね。グレートもアルベルトも、今のうちに寝ておいたほうがいいよ。疲れてるだろ？博士も……」そう言ったジョーの顔を横目で見て、アルベルトは（オマエこそだいじょうぶか？　ひどい顔してるぜ…）そう思ったが口には出さず、「ああ、そうさせてもらうよ」と言うと、これからの困難が予想される探索に備えて目をつぶった。＊ジョーたちがフランスに着く２日前。フランス東部の国道を１台の白いワゴン車が走っていた。途中検問にあったが、ためらうことなく止まって窓を開ける。「すみませんね、ちょっと中を拝見します」軽く帽子に手をやって、警官が中を覗き込む。荷台にはおびただしい荷物。後部座席には…… 「失礼ですが、こちらの女性は？」毛布をかけて横たわっていた金色の髪の若い女性がうっすらと目を開けた。目の覚めるようなきれいな蒼い瞳。「妻です。身体が弱くて…今も薬で眠っていたんですが。私の休暇が取れたのでこれから空気のいいところでしばらく療養させようと思って」痩せた冴えない風貌のその男は、それでも美しい妻が自慢なのだろう、微笑んで後ろの席を振り返る。「…そうですか。ああ、免許証を拝見します」手渡された免許証に不審な点は見られない。荷台の荷物をチェックしていた同僚も「食料や家財道具です」とＯＫサインを出した。「いや、手間をとらせました。お気をつけて…」もう一度帽子に手をかけた警官ににこやかにうなずくと、ワゴン車は静かに走り去った。＊　パリの下町にある古いアパルトマンに着いたギルモアたち一行を迎えたのは、品のいい老姉妹と、茶色の髪に薄い水色の瞳の若い女性。彼女達は、赤ん坊を抱いた老人と国籍の違うらしい３人の男たちという取り合わせに警戒する顔つきになったが、「あなたは……」若い女性がジョーに気づいてほっとした表情になった。知ってるのか？とグレートがジョーを突っつく。確か、成田でフランソワーズと一緒の時に会った、彼女の友達…旅行社に勤めてるとか言っていた…今度のことをフランソワーズに薦めた、高校のクラスメイト。「ええと、確か…」「ミレーヌです。ミレーヌ・ヴァロワ」利発そうな瞳でハキハキと名乗る。「こちらは、ここの管理人さん。フランソワーズのことは古くから知ってます……彼女が、こんな、連絡もなしに何日も家を空けるはずがないことも」 …６年前の、あのとき以外は。「お願いします…あの子、とてもいい子なんですよ…。ほんとに、どうしてあの子ばかり……」涙ぐむ二人の夫人に、まだ何かあったと決まったわけではないのだから、と声をかけて、ミレーヌは彼らを振り返った。「お願いします…。私も出来る限りのことをしますから、どうか……。じゃないと、私…」まるでフランソワーズが行方不明になったのは自分が誘ったからとでも言うように、うつむいて唇を噛んだミレーヌに、ジョーは静かに言った。「……だいじょうぶ。彼女は…きっとどこかで僕達を待っている…だから、協力して下さい。僕達を信じて」はっと顔を上げたミレーヌに、４人の男達がうなずいた。そして、彼女も。「…わかりました。じゃあ、分かっていることをお話します」＊ゴトゴトゴト…… けだるい振動をフランソワーズは感じていた。やわらかなゼリー状のモノに身体全体を包まれているような、そんな感じがする。腕も足も頭も動かず、また動かそうという気にもならない。すべては遠く、わずかに頭の中に浮かび上がる切れ切れの思考も、ほとんど意味をなしていない。さっき誰かが私を…覗いて……風が…夢……？自分が何をしているのか、起きているのか眠っているのか、それすら分からない。どうでもいい……。揺れが止まった。呼ばれたような気がして、薄く目を開ける。「もう少しだからね…もうあと少しで……」左腕から何かがゆっくり身体の中に注がれている感覚。さらに深くなる…落ちていく…… 「僕の…フランソワーズ……」心地よい声。額に唇の感触。 ……チガ…ウ……ジョー…ジャ…ナ…イ…… それきり、フランソワーズは、自分を失った―――。　 -４- 捜索ははかばかしく進まなかった。ジョーたちがパリに来てから３日が過ぎようとしている。ということは、フランソワーズが姿を消してからすでに１週間。その間、無論彼女から一度も連絡はない。「他のメンバーも集めようか？」グレートが言ったが、何の手がかりもつかめない状況ではみんなを集めたところでどうしようもない。ジョーはあせっていた。冷静にならなければと頭では分かっているのだが、どうしようもない不安と苛立ちに時々叫びだしたくなる。（フランソワーズ…！　一体君はどこに…？　せめて……せめて無事でいてくれ！）食事もろくに取らず、夜更けて宿に戻ると、机の上で組んだ両手に額をあて、じっとうつむいている。そんなジョーをグレートが力づけようとするが、初めはかすかに微笑んでうなずいていた彼も、今は暗い目で首を振るだけ。アルベルトにしたところで、いつもは皮肉屋で冷静な彼もかなり参っているようで普段の余裕がまったく感じられない。眉間に深くシワをきざんで地図を見つめている。すでにフランソワーズが立ち寄りそうなところはすべて調べつくしたというのに。ギルモア博士は沈黙を続けるイワンを抱いたまま、一まわり小さくなったように見える。そのイワン。彼は一度目覚めて、フランソワーズの部屋、パリの雑踏、そこここで精神を集中させ彼女の気配を探ったが……やはり何も感じなかった。ただ、《ふらんそわーずノコトヲ、何人モノ人ガ心配シテイルノヲ感ジタ…彼女ノ友人タチガ…》フランソワーズの行方を追って、ジョーたちはミレーヌと一緒にフランソワーズの友人達に手がかりを求めた。結局彼女と最後に会ったのはあのクラス会のメンバーで、その２日後に失踪するまで、彼女が誰と会ったのか、誰に会いに出かけたのか、知ることは出来なかったが。しかし友人たちは一様に彼女のことを心配し、協力を申し出た。「幸せなヤツだな…」アルベルトがポツリと呟いて。みんなが彼女を探している。イワンはあまりミルクを飲まなくなった。ジョーは…… （…ジョーの顔…見てらんないよ。フランソワーズ、君がいないとオレたち……）グレートが、めったに見せないその年齢にふさわしい素の表情で、心の中に呟いた。（無事でいてくれ、頼むから……じゃないと、オレたちは…ジョーは……）＊一筋の光は、その友人のひとりがもたらした。パリについて５日目の早朝、ジョーたちの宿泊先に、ミレーヌが一人の若い男とともに慌しく訪ねてきた。「彼は、アラン。クラスメートの一人で、今は雑誌社に勤めてるの。それで…」勢い込んで言うミレーヌを手で軽く制して、アランと呼ばれた男が後を続ける。「実は昨日、セーヌに死体が上がったんです」さっと凍りついた室内に、アランはあわてて大きく手を振った。「あ、いや、フランじゃありません！　男です、中年の……」ほっと肩を下ろし、アルベルトがイライラと噛み付いた。「そいつがなんだっていうんだ！　さっさと要点を言え！」初対面の冷たい目をした男に怒鳴られたアランは思わず後ずさりしたが、コホン、と一つ咳払いをすると話し出した。「その取材に行ったんです。彼は殺されてました。身元はすぐに分かって…○○社という、薬品メーカーの研究部長なんですが、その下で、僕らのクラスメイトの一人が働いてて……」「ジェラールっていうんです！　ジェラール・バルマン！！」ミレーヌが割り込んだ。「そう、そのジェラールなんですが…彼が会社を無断欠勤してるんです。　フランがいなくなったのと同じ日から…！」＊問題の薬品会社と警察には、グレートが潜入して情報を集めてきた「ジェラールってのは、真面目で頭がいいだけが取りえの、気の小さい野郎だったみたいだぜ」ミレーヌの入れてくれたコーヒーを飲みながら、早口で報告する。「それがどうも殺された部長と一緒になんだかヤバイ薬を作って売っぱらったらしいんだ」「ヤバイ薬？」「ああ、会社のやつらも詳しいことは分からないらしいが、精神状態を左右する、そんなモンらしい」「それを、誰に…？　ラモンとかいう中年男を殺ったのはその薬を買ったヤツ……とか？」「スルドイね～、アルベルト。いや、まだ証拠はないが、ラモンが得体の知れない黒服の男と何度か会ってるのを会社の連中に目撃されてる。そして、おとといの夜、何か大きなモノを無造作にセーヌに捨てている黒服の男を、近くにいた浮浪者が見ているんだ」その男は夜中だというのに真っ黒なサングラスをかけ、浮浪者に見られたことを何とも思っていないようだったという。ニヤリと笑った顔の不気味さに、その目撃者は震え上がった。捨てられたものが気にはなったが、そのことは強いて忘れようとつとめ、昨日の事件を知ってやっと捜査員に重い口を開いたのである。「何者だ？そいつ…」首をかしげたアルベルトをジョーがさえぎった。「そのことと関係があるんだな！　グレート、ジェラールは今どこに……？フランソワーズは？どこにいるんだ？！」「…落ち着けよ、ジョー」グレートがわざとのんびりした口調で言った。「ジェラール・バルマンだが……もちろん家にもいない。だが、書置きがあったよ。確かに彼の筆跡だそうだ。捜さないでくれって彼の妻あてにね。部屋はきちんと片付けられてて車が１台なくなってる。まあ、覚悟の家出、ってとこだろうな。彼の奥さんってのが…なんていうか、まったく自分の亭主には関心がないらしくて家出したならもう、あの人とは何の関係もありません！せいせいしたわ！　なんてな…まぁ、あれじゃあ逃げ出したくなるのも無理はないかも…」「ジェラールは…」ミレーヌがポツンと呟いた。「ホントに気が弱くて…学生時代にお世話になった教授の娘を無理に押し付けられたらしいの。わがままで派手好きで…男の人とも、何度も噂があった人だとか…」「ふん…！」アルベルトが同情のかけらも見せずに肩をすくめた。「情けないヤツだな。自分でケリをつけられずに家からも仕事からも逃げ出したってわけか」ジョーはじっとアルベルトの顔をみつめ「もし彼がフランソワーズと一緒だとして……目的はなんだ？　黒服と関わりがあるのか？なぜ彼女が巻き添えを食わなきゃいけないんだ？！…イワンの呼びかけにも答えないなんて……」うつむいたジョーに、それまで少しあっけに取られて彼らの話を聞いていたミレーヌが、たまりかねたように叫んだ。「でも…でも、ジェラールは、とっても気の小さい人なのよ！昔っから……。そんな、何だかよく分からないけどだいそれたこと、するはずないわ！　だいいち…」おい、ミレーヌ…と袖をひっぱるアランを振り払って「それに……ジェラールは、とってもフランのことを大事に想ってたの！　この間会った時だってそりゃ嬉しそうに……。みんなからかってたけど、彼、本当にフランのことが……！」アルベルトとグレートが顔を見合わせた。《じょー》ギルモア博士とともにじっと沈黙を守っていたイワンが静かに言った。《ジェラールノ行方ヲ捜ソウ。ふらんそわーずハオソラク彼ト一緒ニイル。ドンナ状況ダロウト……彼女ヲ見ツケテヤラナキャ》ジョーは黙ってイワンを見つめた。やがて、その茶色の瞳に徐々に決意の色が浮かび上がり、ゆっくりと彼はうなずいた。 -５- ドイツとの国境に近いその山間の村は、うっすらと雪に覆われている。村の中心から５キロほど離れたところにある山小屋風の別荘に最近越して来た、風変わりな夫婦のことが、村人たちに格好の話題を提供していた。「なにもこんな季節に越してこなくてもねえ…」「いや、奥さんが心の病気だっていうからね、ダンナの方は仕事を辞めて来たっていうじゃないか」「心の病気って……頭がおかしいってことか？」「まあ、そうだろな。ダンナのほうだってありゃ病気もちだぜ。あんな青白い顔して…」「都会のヤツはみんなああじゃないの？　でも奥さんはきれいな人だったよ…」「え？オマエ会ったのか？」「ああ、注文された日用品やら配達した時にな。なんつーかこう、でかいお人形さんみたいな感じで…おとなしいもんだよ。ダンナがそりゃよくしてやってた」「ふ～ん……」＊ギルモア博士とミレーヌ、アランをパリに残し、ジョーたちは車でジェラールを追っていた。彼の行方は、イワンがその力をフルに発揮して探っている。分かっていたのは乗っていったと思われる車の車種とナンバーだけだったが、イワンは警察や交通局のコンピュータに侵入して、その膨大なデータの中から彼がとったルートを探り出した。車はハイウェイを東に進む。 “フランソワーズ･……？　ああ、そこにいたのか…探したんだよ…　” “ジョー…こっちよ……。私はここ…早く来て……” “今行くよ……すぐに……ああ、でも………” 足が思うように進まない。駆け出したはずなのに、どんどん君は遠ざかって……。 “ジョー……ジョー……どうして…？” “泣かないで…すぐ…すぐ行くから…だから……” 「……っ…？！」車は相変わらず東に向かって走り続けている。外気温が下がってきたのか、窓が白い。ジョーは大きく息をつき前髪をかき上げながら言った。「……ごめん。寝てた…？」「いや…ほんの５分くらいだ」前を向いたままで、ハンドルを握るアルベルトが答える。「………そう……」ジョーはもう一度ふうっと息を吐き出すと、ゆっくりと、手の甲で曇った窓ガラスをぬぐった。（可哀想にな…）後部座席でイワンを抱いたグレートが、そんなジョーを見てそっとため息をついた。つい今しがた、ジョーの口からせつなげに零れ落ちた「…ランソワーズ…っ…」というつぶやき。平静を保とうと必死で努力しているジョーが、眠りに落ちたとき初めて吐露した彼女への想い。アルベルトにも無論聞こえたはずだが、彼もまた何も言わない。車内を包む重い沈黙にグレートはまた一つため息をついて、腕の中の赤ん坊を見つめた。（イワンよぉ…。オマエだけが頼りだぜ……）その思いが通じたかのように、突然イワンの体がピクンと動いた。「イワン？どうした？」驚いたグレートが尋ねた。《……イル》「えっ？！」《じぇらーるノ意識ヲ捉エタ。次ノいんたーヲ降リテ》「フランソワーズはっ？！　彼女は無事なのか？」《……彼ノ意識カラ探ル分ニハ…恐ラク》「そうか……！」車内に何ともいえないため息がもれる。「おっ、おいイワン？！　寝るなっ！…おいっ！！」すうっと力が抜けていくイワンに驚いたグレートがあわてて彼を揺さぶる。《ゴメ…ン…彼…ハ……５０キロ程…先ノ…村…ニ……》そのまま呼んでも揺すっても目を開けない。「アルベルト、替わって！！」ジョーは有無を言わさずハンドルを奪い取ると、グッとアクセルを踏み込んだ。 ―――イワンにはみんなに言っていないことがあった。フランソワーズの気配を懸命に探っていたイワンが捉えたのは、彼女自身の思考ではなく、彼女のことを異様なまでの深さで想っている、ジェラールの意識だった。そのすさまじいまでの情念はイワンを圧倒した。そして、相変わらずフランソワーズの意識は感じ取ることが出来ない。彼女は、まさか………？不安を仲間に悟られないよう気を配りながら、イワンはいやおうなく襲ってきた眠りに落ちていった…。＊落ち着いた色彩で統一された、シンプルな居間。暖炉の火がほのかに室内を照らしている。ジェラールは満たされた笑みを浮べ、揺りいすに座る彼の最愛の女性の足元に腰を下ろすとその膝に頭をもたせかけた。「……フランソワーズ…また雪が降ってきたよ…」「………」「寒くないかい？　今夜はもっと冷えそうだよ。ああ、ショールをかけてあげよう」「………」「これでいい。…ふふ、そうかい？　暖かい？」「………」「ああ、僕はだいじょうぶ。君とこうしていると…とても暖かいよ……」「………」「フランソワーズ……愛してる……」「………」　 -６- 「こっちかな？」村の雑貨屋で聞いた。１週間ほど前に、パリから越してきた若い夫婦がいると。村はずれの空き別荘に入り、殆ど外には出ていないようだ。一度だけ、痩せて顔色の悪い夫のほうが日用品の注文に店を訪れたが、それきり村には現れない。乗ってきた車は白のワゴン。それだ！！ジョーたちは店の主人に聞いた別荘への道を急いだ。「……あれ、か？」アルベルトが指差した先には、木を組んで作られた小さな家。さっきから降り出した雪にぼんやりと浮かび上がっている。「……よし、行こう！」ジョーはスーパーガンをジャケットのポケットの中で握りしめて車を降りた。アルベルトとグレートもそれに続く。イワンは眠ったままだったが、グレートが自分のコートに包んで連れ出した。あたりに気を配りつつ、その家に近づく。あった。例の車だ。ジョーたちは互いに目配せしあい、念のため銃を構え外壁に身を寄せる。明かりがもれているので、人は中にいるのだろう。無駄とは知りつつも通信で呼びかけてみる。《フランソワーズ！　フランソワーズ！！　聞こえるか？》やはり返事はない。ジョーはぎゅっと唇を噛み締めると中に踏み込もうとした。「待て！」アルベルトがとっさに止める。「中の様子を探ってからの方がいい。状況も分からずに行く奴があるか！」「でも……！」「アルベルトの言うとおりだ。オレが先に行ってくるよ」こいつを頼む、とイワンをジョーに渡すとグレートが小さなコウモリに変身した。「じゃ、行ってくらあ」「グレート！」それでも後を追おうとするジョーの腕をつかみ、アルベルトがしっかりと彼の目を見て言った。「あせるな、ジョー。ここまで来たんだ。落ち着いて……きっと彼女を無事に連れ戻すんだ！」ジョーは黙ってアルベルトの瞳を見つめ返し……うなずいた。＊（あれ…誰もいないのか？）暖炉に続く煙突から苦労して入り込んだグレートは、いきなり居間と思われる部屋に出てあせったが、あわてて見回した室内には人影がない。けれど、つい先ほどまで確かに人がいた気配がある。（よ～し、それでは…）コウモリが、あっという間に今度は一匹の羽虫に変わる。（ちょっと不安だけどな、こんなちっこいのに変身するのは……）うっかりつぶされでもしたら大変である。《グレート！　どうだ？　彼女は？》待ちきれないジョーからの通信。《ちょっと待ってくれよ……向こうで音が…》小さな羽音を立ててグレートはドアの隙間をくぐりぬけていく。（……バスルーム…？）水音と低い男の声。わずかに開いた扉から中に入る。（うっ……?！）淡い光にぼんやりと浮び上がる浴室。シャボンの泡の浮かぶ浴槽の中に、フランソワーズがその白い裸身をゆったりと沈ませている。胸から上はあらわになっていて、その前に服を着たままの男が一人、跪いて、ゆっくりと彼女の細い腕を洗っていた。まるで愛撫するかのように優しくその肌に手をすべらせながら、男はうっとりとつぶやき続けている。「…きれいだ……本当に君は…なんてきれいなんだろう………」《グレート？　どうした？》ジョーの声に、グレートが呆然とこたえる。《いた…フランソワーズだ……》《本当か？！　他には誰が…？　おい！グレート！！》アルベルトの声にハッとして、《あっ、ああ、いや…彼女と男が一人だけだ…コイツがジェラール・バルマンだろう》《フランソワーズは………生きてるの？》ようやく搾り出されたような、低く震える声。アルベルトは思わずジョーの顔を見た。蒼く凍りついた横顔。一体どれほどの決意でこの言葉を口にしたのか。アルベルトは気づいていた。覚悟を決めることで理性を保っている自分と、信じることで己を支えてきたジョー。それが崩れ落ちる時がきたというのか？《……グレート？》グレートは躊躇していた。何と答えてやればいいのだろう？確かに彼女の目は開いていた。時折ゆっくりとまばたきをする。しかしその瞳にあの生き生きとした光は失く、今そこにあるのはなんの感情も映さないガラス玉のそれだった。そしてその流れるようなラインを描く身体も、ジェラールの動きに何の反応も見せない。背筋が凍りつくような感覚に身震いしたグレートの耳に、ジョーの震える声が届く。《……グレー…ト…？》聞き取れないほどの、かすかなつぶやき。《あ！…スマン！！　あの…生きてる…と、思うんだが……》《？！》《グレート！！　どういうことだ？！　はっきり言え！！》（そう言われても……）彼女の状態を何と言っていいのか。グレートは逡巡する。と、《……今から行く！！　フランソワーズは何処？！》思いつめたジョーの叫び。《おっ、おい…！　ちょっと待て！！》この状況をジョーに見せるのは…いくら何でもマズい。《だめだ…彼女は今ジェラールと一緒にいて…その……とにかく、今無理に入るのは危険だ！》《でも…！！》《オレが侵入口を用意しとくから、もう少し様子を見て後から一緒に…な！そうしてくれ。アルベルト！ジョーに無茶させるなよ！》アルベルトもグレートの様子に釈然としないものを感じたが、確かに今のジョーをこのまま行かせてはどんなことになるか分からない。それほど彼は動揺し、いつもの慎重さはまったく失われていた。さりげなくジョーの腕をつかんで言う。「…グレートに任せよう。オレにもよく分からんが……とにかく彼女は無事らしいじゃないか。ここで取り返しのつかないことになったら、何にもならん。分かるな？」「………」強張った体からふっと力が抜けて振り返ったジョーの、泣き出しそうな顔に彼は胸を突かれた。だがすぐにジョーは髪で表情を隠すようにしてうつむくと、静かに「分かった……」とつぶやいて、腕の中のイワンを抱き直した。「……ごめん、イワン。寒かっただろう…？」グレートのコートでくるんでいたのがすっかり落ちてしまっていて、さほど厚着でもない服の上に雪が降りかかっている。それをそっとはらって、ジョーはイワンを抱きしめる。（イワン、早く目をさましてくれ…！　彼女に何があったとしても、君がいれば………。そう思わなきゃ、僕は……）　 -７- 「こっちだ」グレートは戻ってから何も言わない。そして、何となく彼らから目をそらして、さっき鍵を外しておいた裏口へと導いた。そっと中に滑り込む３人。そこはすぐにキッチンに続いていた。しかし、しばらく使われていないのか部屋は冷え切っていて、調理器具も食器類も棚にしまわれたままだ。ジョーは少し迷ったが、隅の木箱の上にイワンを寝かせた。コートでくるまれた上にさらに自分のジャケットを脱いでかけてやる。そうしておいて、彼らは足音を立てずにキッチンを出ると、気配をうかがいながら居間へと向かった。グレートの話では、フランソワーズとジェラールは今そこにいるらしい。外はとうとう吹雪いてきたのか、どこかで窓がカタカタと鳴っている。居間は独立した部屋ではなく、エントランスから続く廊下とダイニングにはさまれた開放的な造りをしていた。ジョーたちは逸る気を抑え、居間とダイニングの仕切りを兼ねた家具の陰にまわりこむ。だがそこからではまだフランソワーズとジェラールの姿は見えない。その時、グレートがようやく通信で二人の様子を話し始めた。《……ジェラールってヤツは…もう普通じゃない》ジョーとアルベルトが同時にグレートの顔を見る。《なんつーか…イっちまってるって感じだな……》《それで…フランソワーズは？！　…何をされたんだ？！》ジョーがグレートの腕を掴まんばかりに詰め寄る。《……おい！　音を立てるな！》アルベルトは冷静にジョーを抑えた。グレートは辛そうに顔をゆがめ、《それが……見ただけでは良くわからんのだが……多分、例の薬を使ったんじゃないかと》例の薬。ジェラールと殺された彼の上司が作り、ひそかに怪しい男に売ったという「精神（こころ）を壊す」薬。《そんな……》ジョーとアルベルトが呆然とグレートの顔を見つめる。《あ、いやしかし、フランソワーズが生きてるのは確かだ！　ジェラ－ルも彼女のことは大切に扱ってるみたいだし》その言い方が気に障ったアルベルトが忌々しげにグレートを見て吐き出した。《…何考えてやがる…そいつ！！　》《……行くよ！》ジョーがゆっくりと、足音をたてずに居間を見渡せる位置に移動していく。その表情は髪に隠れて後の二人には見えない。＊照明を少し落とした室内で、暖炉の火がより赤く揺らめいて見える。そのそばに置かれた揺りいすに、彼女は座っていた。白いシルクのガウンを身にまとい、半分ほど開かれた瞳にはやはり何も映っていない。後ろに、黒っぽいセーターを着た痩せて小柄な男が立って、彼女のまだ濡れている髪をゆっくりと丁寧に梳いてやっている。頬のこけた青白い顔には幸せそうな笑みが浮かび、時折、持ち上げた金色の髪にそっと口付ける。「……！！」思わず飛び出そうとしたジョーを、グレートが慌てて引き止めた。《おい！…見ろ！》ふっと瞳を閉じてグラリと傾きかけたフランソワーズ。その彼女を椅子の背にもたれさせ、ジェラールはわずかに眉をひそめてサイドボードの引き出しを開けた。そこから一本の細い注射器を取り出して透明な液体を注入する。そしてフランソワーズの傍に歩み寄ると、その左袖をまくり、ゆっくりと針を刺そうとした。「やめろっ！！」こらえきれずジョーが飛び出した。「彼女を……彼女を離せっ！！」獰猛な叫び。怒りに燃える瞳。体全体から火を吹かんばかりにジェラールを見据え銃を構える。アルベルトとグレートはそんな彼に気圧されるかのように、一歩遅れて後に続いた。カシャン…… 軽い音を立てて注射器がジェラールの手から落ちる。「……だ、誰だ？　…君たちは…一体どこから……」それでもフランソワーズを庇うかのように彼女に覆いかぶさると、真っ青な顔だけをジョーたちに向けた。「……友人だよ、フランソワーズの。彼女を返してもらおう」アルベルトが出来るだけ穏やかな声でジェラールに語りかける。マシンガンでもぶっぱなしてやりたい心境だったが、今刺激するのはマズい。何しろフランソワーズがぐったりしたまま彼の腕の中にいる。「……何を言ってるんだ……？　これは…僕の妻だ……返すなんて……」瞳を閉じたままのフランソワーズを抱きしめ、呆然とジェラールは呟く。その顔は殆ど土気色となっていたが、くぼんだ瞳に狂気は見られない。そればかりか、怯えの色は徐々に消え、変わりに大切なものを守ろうとする断固とした決意が現れた。「出て行け……！　彼女は…彼女は、僕のものだ！！」「貴様っ…！！」ジョーの指が引き金を引くのと、アルベルトが叫ぶのと、同時だった。「止めろ！ジョー！！」バンッッ…！！　 -８- 「うわっ…！！」右手を押さえてうずくまったのはジョーの方だった。はじけたスーパーガンが宙を飛び床に落ちる。「………」アルベルトとグレートは訳がわからず一瞬立ちすくんだが、突然彼らの前に姿を現した赤ん坊にさらに驚いた。《……じょー、ヤメルンダ……》「……イワン？」呆然と、浮んでいるイワンを見上げるジョー。ジェラールは目の前の信じられない光景に、声も出せずガタガタと震えている。その腕にはしっかりとフランソワーズを抱いて。「なぜだ？！　コイツは…コイツは、フランソワーズを…！！」《ソウ…デモ…》「イワン？」この赤ん坊には珍しく逡巡している様子に、アルベルトもグレートもいぶかしげな視線を向ける。《ボクニハ……》 ―――分かるんだ。この男がフランソワーズに捧げる思い。ボクの心に奔流となって流れ込んでくる、その強烈な至高の愛。その深さに、ボクも呑み込まれてしまいそうな… 《…彼ハ…彼女ヲトテモ深ク愛シテイル…誰ヨリモ、何ヨリモ……崇拝シテルトイッテモイイ》「くっ……！！」「ジョー！！」一瞬のちにジョーはジェラールに飛びかかり、フランソワーズから力任せに引き剥がした。「フランソワーズ！！　フランソワーズっ…！！」抱き寄せて叫んでも、その蒼白な顔は何も答えない。垂れた腕がむき出しになり、無残にどす黒く腫れた注射の跡があらわになった。「ひでぇ…」思わず顔をそむけるグレート。アルベルトはゆっくりと、壁際に吹っ飛ばされて気を失ったようなジェラールに歩み寄ると、その胸倉をつかみ乱暴に引き起こした。「……これが…愛だというのか？！」そのまま壁際に押し付け、「好きな女をこんな風に…抜け殻みたいにしちまって…それが愛だと？！」襟元をつかむ手に力を込め、そして突き放す。「ふざけるな！！」「………」ジェラールが薄く目を開けた。焦点の定まらない瞳がゆらゆらと辺りをさまよい、そして一点で止まる。「……フランソワーズ……」震える腕を彼女の方に伸ばす。「ああ…フラン……フラン……」土気色の顔にゆがんだ笑みを浮べ、彼の『命』に向かって這い寄ろうとする。その幽鬼のような姿に、アルべルトとグレートは息をのんだ。「………」彼女の名を呼び続けていたジョーが、フランソワーズを抱いたままゆらりと立ち上がった。そして、彼の足元に這ってきたジェラールを無表情に見下ろす。「……ジョー？」それは、今まで見たことのないジョーの顔だった。仮面をつけたようなその顔に、少しずつ何かが浮かび上がり、そして。《ソコマデダ！！じょー！！》イワンのテレパシーに、その場のみんなはハッと身体をこわばらせた。ジョーは、いつも彼が見せる少し戸惑ったような表情で呆然とその場に立ちすくんでいる。（な、なんだ…？　今のジョーは……）（まさか……殺気だけでアイツをやっちまうトコだったのか？）アルベルトは、まだ震えている自分の体を自覚した。《…君ガ手ヲ下サナクテモ、彼ノ命ハモウ残リ少ナイ》「！！」《ソレヨリ、ふらんそわーずガ……》「そうだ、イワン！！　フランソワーズはどうなってるんだ？！　さっきから全然動かないが…」グレートが思い出したように叫ぶ。３人の目が彼女に集まる。「フランソワーズ！！」ぐったりとしたまま、彼女はジョーの腕の中でピクリとも動かない。《死ンデハイナイ。ダケド…》イワンが、言葉に詰まった。《彼女ハ…彼女ノ心ハ、空ッポダ。何ニモ残ッテイナイ…。ソレニ、体モ、モウ》「馬鹿いうな！！」アルベルトがこの男らしくなく動揺してイワンをさえぎる。「息はしてるんだろ？！　心臓も動いてる！！　何か方法があるはずだ！！」「そっ、そうだ！　おい、オマエ！　なんかないのか？　ほら、解毒剤とか…」グレートがジェラールに詰め寄ったが、彼はうつろな瞳でフランソワーズに語りかけるだけだった。「…僕の……僕の……フラン……」「ダメだ、コイツは！　とにかく早く博士の所へ…」アルベルトが、ぼんやりとフランソワーズを見つめているジョーを怒鳴りつける。「ジョー！！　しっかりしろ！！　オマエがそんなんでどうする！！」その声に、ジョーは泣き出しそうな顔で振り返る。「………アルベルト」「いいか！　フランソワーズはまだ生きてるんだ！！　あきらめるな！！」ゆっくりと、茶色の瞳に力が戻ってくる。「そうさ！　まずは博士のもとへ連れて行こう！　イワン！！」グレートが慌しくイワンを呼ぶ。「なんでもいいからフランソワーズを早くドルフィン号に…！」《……ワカッタ。ふらんそわーずヲどるふぃん号ニてれぽーとスル》「イワン！」ジョーが叫ぶ。「僕も…僕も一緒に連れてってくれ！！」フランソワーズをその腕に抱き、必死の表情で訴える。《……トリアエズミンナデ車二戻ルンダ。車ゴトてれぽーとサセル》「ＯＫ！…ジョー、これを」アルベルトが自分のコートを放り投げる。「…うん」ジョーはそっとコートでフランソワーズの身体を包む。「……行こう！」「……ま、待って…フラン……」振り返ると、必死ににじり寄ろうとするジェラールの姿。目がくぼみ、血の気の失せた顔はもはや正常な人のものではない。しかし、その瞳はひたとフランソワーズにそそがれ、最後の力を振り絞って彼女のもとへ近づこうとしている。「………」声もなくそれを見つめるジョーたちに、イワンが言った。《彼ノコトハ放ッテオクンダ。サア、イソゴウ》「フラン…フラン…僕の……フラ………」地獄から響くような呟きから逃げるように、彼らは吹雪の中を車へと戻った。《サア、行クヨ。頭ノ中ヲ空ッポ二シテ…無理ナラ、どるふぃん号ノ甲板ヲいめーじシテ！》次の瞬間、車はタイヤの後だけを残して消えた。まもなくそれも降りしきる雪に覆われていく。愛する人を呼ぶ男の声も、いつか風の音に紛れ、そして二度と聞こえなくなった……。 -９- ２ヵ月後。風は少し冷たいが日差しが暖かく照りつける崖の上に、男が一人、ボストンバッグに頭を乗せ、片膝を立てて寝転んでいた。この季節にしては穏やかに光をはじく海からの風が、彼の銀色の髪をわずかになびかせている。《あるべると》「よう、イワン。久しぶりだな…って、まだそんなに経ってねえか。……だいぶ活躍したらしいな」《マアネ》赤ん坊はふわふわとゆりかごを彼の隣の草の上に下ろす。「……みんな集まってるのか？」《ウン。君ガ最後ダヨ。じぇっとガ文句言ッテル》「言わせとけ。まだ目は覚めないんだろう？」《ソウダネ…デモ、モウソロソロカナ》そのまま二人はしばらく黙って海を眺めた。《あるべると》イワンが、ポツリと呟いた。《僕ハ君ノコトモ心配ダッタンダヨ。コッチデ手一杯デ何モ出来ナカッタケド》アルベルトが驚いたように傍らの赤ん坊を見た。「オレ？　オレの何が？」《アノ事件以来、君ガドウシヨウモナク心ニ抱エテイルモノ》「………」《彼ト自分ハドコカデ繋ガッテルト思ッテルンダロウ？》「勝手に人の心を覗くな。…まぁ、オマエには自然とわかっちまうのかもしれないが…あんまりはっきり言うなよ。自分でも認めたくないのに……堪えるだろ」さして堪えた風でもなく、アルベルトは目を逸らして海を見つめる。あの時、オレはヤツを殺せなかった。激しい怒りを覚えてはいたが、なぜか―――。ジョーはためらわなかった。あのジョーが、怒りと憎しみの感情をそのままに、イワンが止めなければ確実に２度は殺していた。まっすぐな、濁りのないアイツの「愛」。そして―――ジェラール。イワンがあの時言った。 ―――ジェラールは、フランソワーズを崇拝していた。愛というよりも…それは畏敬に近い。彼の中では、フランソワーズは女神そのものだったんだ……… あの男がずっと心の中に封じ込めていた、彼女への燃えるような、暗い情熱。それが、自分の命があとわずかだと知って、一気に狂気の愛へと変貌したのか。けして手に入らなかったそれを得るため、自分をも彼女をも壊して、それでもなお、彼女の中に「神」を見ていた男。女神―――。オレにとっての彼女は、女神なんかじゃない。強さも脆さも、愛情も憎しみも、すべての感情をあふれんばかりにその身に持った、一人の女。いつからかオレの心の中でその存在は大きくなって……だがそれに気づいたときにはもう分かっていた。どんなに愛しても、けして報われることはないと。どんなに求めても、けして満たされることはないと。この想いはどこへいく？ ―――このまま墓場まで持っていければいい。だが、いつか、耐え切れなくなる日がくるのだとしたら。いつか、もしも………。《あるべると》ふいに、イワンの声が彼の頭に響いた。《君ハじぇらーるジャナイ》ハッと顔を上げると、イワンがじっと見下ろしている。《ダイジョウブダヨ》蒼く光る海を背に、ふわりと浮かんでいる赤ん坊。もういちど、はっきりと《ダイジョウブ》アルベルトは眩しげに目を細めた。「……人の心ン中、勝手に覗くなって言っただろ！」さて、と立ち上がるとボストンバッグをつかむ。「オマエの起こした奇跡とやらを見にいこうじゃないか」そして海に背を向けると、ふわふわと彼のまわりをただよう赤ん坊と一緒に、ようやく目覚めるはずの大切な仲間のもとへと歩き出した。＊《じょー、コッチヘ》イワンがドルフィン号のメディカルルームへとジョーを促した。「………」コクピットに集まった仲間たちの顔を見渡し、みんなの視線に励まされたように一つうなづくとジョーはドアの外に出た。２ヶ月ぶりのメディカルルーム。あの日、フランソワーズを連れ戻してこの部屋に入った時の記憶がフラッシュバックする。＊彼女の血液を調べ脳波をチェックしたギルモアの顔がみるみる蒼ざめていく。グレートが持ってきた薬物を慌しく試験機にかけ、コンピュータを操作し、イワンと矢継ぎ早に言葉をかわすギルモアは、もはやジョーの目には入っていなかった。彼はじっと、彼のたった一人の、大切な女性の姿を見つめていた。ほんの２週間前には彼を暖かく見つめていた蒼い瞳は閉じられ、その名を呼んだ唇は血の気が失せ、これも固く結ばれている。痩せた青白い顔はしかし、かわらない美しさでジョーの胸を打った。 ……コレハ　ユメダ……キミガ　ボクノ　マエカラ　キエテ　シマウナンテ　ソンナノハ　ウソダ… ボクハキミニ　ナニモ　ツタエテナイノニ……ハヤク　サメロ…ハヤク………。「ジョー！！」ギルモアの厳しい声がジョーを我に返す。「しっかりせんか！！　血がいるんじゃ。血液を全部新しいものと交換する！　何とかしてすぐに集めるんじゃ！　それから…」それから、自分が何をどうしたのかあまり良く覚えていない。夢中だった。フランソワーズの血液型はその昔の彼のそれと一緒だった。が、彼女に自分の血を分けてやれないことに胸を痛める暇もなく、ジョーは走り回った。このときもフランソワーズを助けたのは、彼女の友人たちだった。詳しいことは知らされないままに、アランが金で口をつぐむモグリの医者を探し出し、ミレーヌはパリのフランソワーズの友人・知人たちに片っ端から協力を頼んで、驚くほど短期間に必要分が集まった。そして、長い外科手術と、その後に続いた彼女の心を取り戻すための「治療」。これはイワンが、彼の持てるすべての力を注いで行った。失われた心を取り戻すのは容易ではない。だがイワンは、この２ヶ月というものずっと、意識のないフランソワーズにつききりで、彼女の精神への働きかけを続けてきた。そばにいたいというジョーの懇願を「集中できなくなる」とはねつけ、ギルモアを除いた一切の外部との接触を拒み「夜」の時間になってもなお、自分の脳と彼女の脳をつなぐラインによって、可能な限りの記憶と感情を彼女に与え続けた。彼女の意識下で、イワンの与えた記憶によって彼女自身の記憶が呼び覚まされる。一つの刺激がもう一つの刺激を呼び、さらに広がって、ゆっくりと彼女の心を形作っていく。それはイワンにとっても、フランソワーズにとっても、そしてジョーたちにとっても、気の遠くなるような作業だった。その間、ジョーは呼び寄せた仲間たちと一緒に、あの薬物を買い取った怪しい男の行方を探った。しかし結局何者かは知ることができず、彼らに新たな戦いへの予感を感じさせたのだが……。仲間たちがその予感だけを胸に故郷へ戻って１ヶ月が過ぎた頃、ついに奇跡は起きた。イワンが久しぶりにジョーの前に姿を現して言ったのだ。《モウ殆ンド…元ニ戻ッタ思ウ。２日後ニ覚醒サセル》そして再び仲間達が集まった。＊「ジョー」ギルモア博士の声に、ハッとしてジョーは顔を上げた。少しやつれた顔が、やや心配そうに微笑んでジョーを見つめていた。「こっちへ……やっと、会えるな」カーテンで仕切られた治療用ベッドの方へ足を向ける。そこには、片時も頭を離れることのなかった、懐かしいあの顔。《今カラ起コスケド……マダ、ボンヤリシテイルト思ウ。過去ノコトモ、シバラクノ間ハチグハグナコトヲ言ウカモシレナイ。ソレカラ…》イワンが、フランソワーズの寝顔を凝視するジョーに語りかける。《じぇらーるトノコトハ、何モ伝エテイナイ。彼ト何ガアッタノカ……ソレヲ知ッタトキノ彼女ヲ受ケ止メルノハ、君ダ》ジョーがイワンの顔を見た。《彼女ガ知ラナイウチニ起コッタコトダケド、ダカラコソ、ウヤムヤニセズニ彼女二伝エテヤラナキャ。キット深ク傷ツクト思ウ。ダケド、知ラズニイルコトヲ、彼女ハ望マナイト思ウヨ》「……」《チャント受ケ止メテアゲテ。ソシテ、じょー、君モ、自分ノ感情ヲ、彼女ニシッカリト伝エルンダ》僕の感情？フランソワーズが行方不明だった時の胸をしめつけられるような不安。彼女へのジェラールの激しい愛を知った時に感じた強烈な嫉妬。怒りと嫉妬がない交ぜになっての憎悪と殺意。彼女の心にはもう、僕のことすら残っていないという現実に対する絶望。それらをすべて…？《ソウダヨ、じょー。ソレト、今コレカラ目覚メル、ふらんそわーずニ感ジタコトモ》イワンが静かに言う。《ユックリデイインダ。少シズツ、自分ノ気持チヲ彼女ニ伝エテ。ソウスルコトデ、彼女モ、君モ、癒サレテイクンダカラ……》そっと彼女の頬に触れてみる。あいかわらず透き通るような肌をしているが今はもう病的な青白さは消えて、ほのかに暖かい。「フランソワーズ…」かすかに、瞼が動く。「フランソワーズ……」少しずつ、蒼い瞳がひらかれていく。何度かまばたきして、ようやくジョーの瞳と出会った。「…ジョー……」かすれた声でささやき、微笑んで、彼の手にゆっくりと彼女の手が重ねられた。「……フランソワーズ……」その手に一つ、涙がこぼれた。 …きっと伝えるよ。君のことを大切に思っている友達のこと、仲間のこと、ジェラールのこと… そして、僕の気持ち。だけど、今は、もう少し、こうして君のぬくもりを感じて、君の声を聴いていたい。もう少しだけ……。「ジョー…？」あふれる涙をぬぐおうともせず彼女を見つめるジョーを、いぶかしげに見つめるフランソワーズ。そして、仲間達がそっとやってくる気配がする。
	～fin～
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