「ね、お願い。少しだけでいいから」
「・・・フランソワーズ、頼むよ。それだけは嫌だ」
「・・ジョーのいじわる」
　・・・そういう問題じゃないと思うんだけど・・・。
　僕は頭を抱えたくなってしまった。

　事の発端は、カトリーヌがフランソワーズを映画に誘った事。最近評判になっているという恋愛映画を見に行ってきたと、はしゃいで帰ってきた。そして、その夜の事・・・。
「ねぇ、私たちのキスって、淡白なのかしら？」
　急にそんな事を言い出したフランソワーズに、僕は思わず飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになってしまった。
「な・・何、淡白って・・」
「あのね、映画でね主人公がヒロインにおやすみのキスをするシーンがあったんだけど」
　そのまま頬を真っ赤に染める。僕は反対に真っ青になった。
（一体、どんな映画を見てきたんだよ・・頼むよ・・・！ちょっと待て）
　僕の頭に瞬間、恐ろしい想像が駆け巡る。このまま夜を迎えてしまったら・・・。
「ぼ、僕、眠いから今日はもう寝るよ」
　その時は幸いにも、いつものおやすみのキスで済んだ。
　しかし、翌日・・・。

　久し振りに二人デートをする約束は、前々からしてあったので、一緒に海を見に行く事になった。
　シーサイドに立つカフェに入って・・・
「こういう大きいグラスにトロピカルジュースを入れて、二本のストローで二人一緒に飲むの。見つめ合ったりして・・・ね、映画のワンシーンみたいでしょ。お願い。ね、一緒に飲みましょ」
「そんな恥ずかしい事、出来ないよ」
　テーブルにグラスが運ばれた時点で、僕達は店中の注目の的だった。そんな視線の中で、そんな恥ずかしい事をするなんて、フランソワーズには悪いけど、やっぱり出来ない。
「ジョーのいじわる」
「・・わかったよ。誰も見てない所でならいいから。今日は我慢して」
　フランソワーズは拗ねたように、渋々頷き、僕達は店を後にして、波打ち際を歩いていた。
「だけど・・私達って、あんまり恋人同士らしい事してないわよね」
　フランソワーズの言葉に、僕は少しドキッとした。
　そもそも、僕は自分達が「恋人同士」という事は特に意識した事はなかった。
　・・・いや違う。意識しないようにしてたと言った方が正しい。
　僕には女心なんて言うのは中々理解出来ないけど、フランソワーズの言う事も少しは解るような気がした。
「・・・一体どういう事が、恋人同士らしいんだい？」
「・・・並木道の下を手を繋いで歩くとか」
「並木道じゃないけど、今、手は繋いで歩いてるよ」
「こんな夕陽を見ながら愛を語り合うとか」
「何を語り合うんだよ」
「何でもいいのよ。ただ、一言だけでいいの。好きだ・・・って言ってくれるだけで・・・」
　僕はハッとした。そして、少しだけ後悔した。
　もっと早く気付いてあげればよかった。
　フランソワーズが当たり前の恋人同士に憧れていた事に。平凡なやりとりを求めていたという事に。

　そんな事を思いながら、僕は目の前のフランソワーズをじっと見つめた。
　僕の視線に気付いたフランソワーズがフト、顔を上げる。
　少し頬を染めて、潤んだような瞳。その青い瞳に僕の姿が映る。
（今なら・・出来るかも）
　僕は左手でフランソワーズの頭を抱き寄せた。驚いたような表情をみせる唇に、躊躇わず自分の唇を重ねる。ただ、思いのままに、強く、深く。
　特別な事じゃない。当たり前の恋人同士のように。

　気の遠くなるような時間を過ごした後、フランソワーズは呼吸を必死で整えながら、笑顔を見せて呟いた。
「けっこう・・大変なのね・・・これって」
「・・・ごめん」
「ううん。いいの・・嬉しかった。だけど・・・」
「？」
「特別な時だけでいいわ。いつもは普通のキスをして・・」
（普通のキスって・・どういうのだよ）
　フランソワーズは、時々とても大胆になる。