| よく晴れた、冬の午後だった。 フランソワーズはバルコニーに立ち、瑠璃色に輝く海を見つめていた。 （まだ、しばらく時間がかかるのかしら？） 他の仲間達は、階下のリビングに集まって「秘密」の相談をしている。 けれど―――開け放した窓から、聞こえてくるジェットの大声。ちっとも秘密になってない。 （お祝いしてくれるのは、嬉しいけど……） その議論の白熱ぶりに、フランソワーズは思わず苦笑を洩らした。 毎年、１月の中旬を過ぎると、研究所は一気に活気づく。 故郷で生活する時間が長くなった仲間達が、その日のためだけにわざわざ戻ってくるのだった。 昨日の夜、アルベルトが到着し、今年も全員が顔を揃えた。 「いつも私の誕生日だけなんて、気が引けちゃうわ。他のみんなの時は、特別なこと、何もしないのに」 そう恐縮する彼女に、ジェットは笑って言った。 「１年に１０回も祝ってたんじゃ、キリがないだろ？キミの誕生日にまとめてってことでさ」 「それなら、これからは毎年順番に誰かのお誕生日をお祝いしましょうよ。今年はイワン、来年はジェット、ってね」 「そんなのいちいち覚えるの、面倒くせえじゃないか！いいんだよ。俺達は好きでやってんだから。それに……その必要がなくなったらその時また考えるさ。それまではな」 意味深なウインクを１つ送ると、ジェットはフランソワーズを２階へ追い立てた。 「今から内緒の相談するから、主役は早く行った行った！」 慎重に閉められたドアの向こう。以来２時間近く、男８人は篭城を続けている。 今日は風もなく、波も穏やかだ。 （こうしてのんびりしてると、眠ってしまいそう） 組んだ両手を、ゆっくりと天に向かって伸ばした。 とてもいい気持ち。胸いっぱい息を吸う。 太陽が眩しい。 目を細めて見上げた青空に、銀翼がキラリと光った。 あれはどこへ飛んでいくのだろう？ 真っ白な機体に紺のロゴ。尾翼のストライプは、一番馴染み深い国のもの。 これからパリへ帰るのね？ 「Ｂｏｎ ｖｏｙａｇｅ！」 そう呟いてから、はっと気づいた。 眼を使うのは久しぶりだ。 しばらく、ドルフィン号にも乗っていない。 血なまぐさい戦闘とは無縁の日々が続いている。 まるで夢のよう。 みんなが、闘い以外の目的で帰って来て、こんなにも穏やかな時間を、一緒に過ごせるなんて。 けれど―――この時間は、いったいいつまで続くのだろう？ そして、また唐突に終わりを告げるのだろうか、これまでと同じように。 幸せな時間が長くなればなるほど、怖くなる。今を失うことが。 （ずっとこのままだと、私は……いつか……闘うことができないほど……） それが、不安でたまらない。 でも必ずあの日は来る。今度こそ、本当に。奇跡は２度は起こらない。 重いため息をつきながら、フランソワーズはそっと手すりに体を預けた。 紺碧の海だった。 それが地図上のどこだったのか、今もはっきりとはわからない。 わかったとしても知りたくなかった。もう、あれからかなりの時間がたっていたけれど。 あの海を現実にあった場所として記憶に刻むのは、まだ辛 い。 あの時―――００１が放った冷徹な言葉。 『……平和をこの手ににぎるためには犠牲がともなうんだ』 今、思い出しても身体が激しく震える。 『おそい……もうまにあわない』 いつか来ると知っていた終焉。けれど……その時はせめて……。 なのにこんな形で終わるなら、何もかも壊れてしまえばいい―――この粉々になった心と一緒に。 泣きじゃくる彼女を、アルベルトは優しく抱きしめた。 「もういい。終わったんだ。もう……・我慢しなくていい」 泣きたいだけ泣いて……愛していたと言えばいい、と。 けれど―――本当は、２人ともわかっていた。 決して、終わりはしない―――違う。終わらせてはならないのだ。 彼を失っても。彼を失ったからこそ。 彼は、自分達の大切な仲間。 だから。 この涙が乾いたら、また闘い続ける。 それが仲間として出来る、唯一のことだから。 だけど……。 「フランソワーズ」 突然、耳元で声がした。その柔らかな響きに、ハッと我に返る。 手すりに肘をつき、両手で顔を覆っていた自分を、吐息がかかるほどの距離から茶色の瞳がじっと見つめている。 「……ジョー？いつの間に？」 「どうしたんだい？何度も呼んだのに、ちっとも気がつかないから……」 ごめんなさい、とフランソワーズは慌てて微笑を浮かべた。 「……もう終わったの？」 「うん。みんなが呼んでる。リビングに来てくれる？」 そう言いながら、ジョーは彼女と並んでバルコニーの手すりにもたれると、じっと蒼い瞳を覗き込んだ。 「何か……あったの？」 ううん、とフランソワーズは首を振った。 「何もないわ。今日はとっても海が綺麗でしょ？だから……見とれていたの」 「……さっきから何度も一人でため息をついてたから、どうしたのかと思って」 心配したよ、と彼は静かに言った。 「だって……あなた達の話、いつまでたっても終わらないんですもの。待ちくたびれちゃったわ」 フランソワーズが少し大げさに、呆れたように肩をすくめると、ジョーは腕時計を見て声を上げた。 「え！？もうこんな時間だったのか。ごめん。すごく待たせちゃったね。みんな、いろいろ凝ろうとするから……話がなかなかまとまらなくて」 「凝る？……いったいどんなことするつもりなの？」 きょとんとする彼女に、僕が今ばらしたらジェットが怒るから、とジョーは笑った。 「でも……やっぱり気がねしちゃうわ。みんな、本当にそのためだけに帰ってきたのかしら？」 「大丈夫。とても楽しみにしてるんだよ。キミの誕生日に、みんなでこうやって集まることをね」 （そうね。感謝しなくちゃ。こうして、みんながお祝いしてくれること。でも……） 優しい眼差しに頷きながら、フランソワーズは小さなため息をついた。 （もし、今考えてることを全部口にしたら、あなたはどう思うかしら？） 君がそんなわがまま言うとは思わなかった、って困惑した顔をする？ それとも、呆れた目で黙ったまま私を見つめる？ 「どうしたの？」 階段を下りながら、ジョーは彼女の視線に気づいて首をかしげた。 「ううん、何でもないわ。見てただけ」 「何を？」 「……あなたを」 呟くように言って、フランソワーズは目を伏せた。 予断を許さなかったあの数週間。 苦しげに眠るあなたのそばで、ただ祈り続けた。 私が何かを捧げることで、その祈りがかなえられるなら。 それであなたの命が助けられるなら、私は喜んでそうする。 あなたが生きてくれているだけでいいから。 何も伝わらなくても。何も伝えられなくても。 だから……生きていて！ あの時は、それだけを願ったのに。 なのに、今の私はどんどん欲張りになってる。 みんながいるから、私たちは一緒にいられるのよ。 なのに、こんなつまらないわがまま、馬鹿げてるわ。 私たちは……普通の恋人同士にはなれない。 そんなこと、初めからわかっていたのに。 違うわ！私、矛盾してる。 全然次元の違うことを、一緒にして…… 「フランソワーズ？」 俯いて肩を落としたフランソワーズを、ジョーは心配そうに見つめた。 ＊ あんまり大げさなことしないでね、といったフランソワーズの言葉など、ジェットの頭には全く入ってない。 どうせやるなら、どんと派手にやらなければ。 買い物リストから、本番のスケジュールまで、みっちり計画済みだ。 こういうイベントに関しては、彼は驚くほどの緻密さを発揮した。 平和な時でも、少なくとも年に１度は、こうやってここに帰ってくるべきだと思う。 フランソワーズの誕生日が１月。ちょうどいい。それを口実にみんなで集まろう。 ―――本当のところ、どちらが口実なのかということは、とっくに皆にはバレていたけれど。 でも、どうせなら、美しき紅一点フランソワーズを主役に、みんなでわいわい騒いでプレゼントを渡して、あの優しい笑顔が華やぐところを見たいじゃないか。 もちろん、それで彼女の気を引こうとなどというつもりはない。引こうと思ったところで、もう手遅れだし。 しかし、とアルベルト相手にバーボンのグラスを傾けながら、ジェットはぼやいた。 「アイツ、いつになったらその気になるんだ？」 「その気？……どういう意味だ？」 アルベルトは視線をグラスの中の氷に向けたまま、低く呟いた。 「普通、恋人同士だったら誕生日は２人きりで過ごしたい、とか思うだろ？嫌じゃないのかね？毎年毎年、俺達と一緒に馬鹿騒ぎしてさ」 呆れ果てた表情で、ジェットは首を大きく振った。 「嫌だと思ったって、アイツが自分から嫌だなんて言うわけないだろ」 「そりゃ、そうだけど……。でもあの２人、少しは進展したのか？どう見ても、何かありそうには思えねえんだけどな。ひょっとして……まだ恋人同士って自覚もなかったりする？」 「さあな……」 アルベルトは唇を歪めかすかに首を振った。 ったく今日だって、とジェットは肩をすくめる。 本当にこのスケジュールでいいんだな、としつこく念を押すジェットに、ジョーは素直に頷いた。 『うん・・・僕は構わない』 構うだろうが！！ 朝から準備して、どうせ夜っぴいて呑むんだ。２人だけの時間なんてないんだぞ、このスケジュールじゃ！ 鼻息を荒げるジェットに、アルベルトは苦笑した。 「そう思うなら、もうちょっとましな計画を立ててやれよ、ジェット。あれじゃあ、邪魔してるとしか思えないが」 「邪魔なんかしてねえぜ！でも、アイツに１度言わせてみたいと思わないか？『今年は２人きりで過ごしたいから、邪魔しないでくれ』って、みんなの前で。そしたら俺も、こんなちょっかい出すのやめるぜ。フランソワーズだってきっとそう言って欲しいはずさ。それが最高のバースデープレゼントになるって思うんだけどな」 ジェットはグイとグラスをあおった。 「……ま、無理だろうな」 カリン、と澄んだ音を立てて、氷が砕ける。 「せっかく成層圏まで助けに行ってやったのに。九死に一生を得たんだから、もうちょっと……」 『だめよ！そんなことだめよ！』 迸るような激しい慟哭。 『いやよっ いやよ！』 そう、俺なら出来る。俺にしか出来ない。 このまま仲間の死を黙ってみていられない。 彼女の涙を見た途端、宙へ向かって飛び出していた。 けれど、一度はあきらめた。 「どこにおちたい？」 せめて、みんなのいる場所の近くへ…… そう思った。 でも、こうして生き延びたんだぞ。なのに――― 「ああいう性格は、１度死にかけたぐらいじゃ直らないのさ」 グラスにたっぷりと琥珀色の液体を注ぐと、アルベルトはそれを一気に呑み干した。 ＊ 夕食の後、メンバー達はさっさと自室へ姿を消した。 いつもなら、コーヒーやアルコールを片手に、夜が更けるまでリビングは賑わっているのに。 後片付けをする張々湖とフランソワーズだけがキッチンに残っていた。 「とっても美味しかったアルよ、フランソワーズ！また腕が上がったアルね！」 「ありがと。プロに褒めてもらえると、励みになるわ」 大人の言葉に、フランソワーズは頬を染めた。 「明日はワテがバンバンご馳走するアル！さて、そろそろ仕込みにかかるアルから、ここはまかしてチョウライ！」 じゃあお願いするわ、とフランソワーズはキッチンを後にした。 今、研究所の全てが、彼女の誕生パーティーを中心に回っている。 明日もきっと朝から大騒ぎするのだろう。 結局、あれこれと雑用を言いつけられるのは、ジョーだと思うけど。 （みんな、どうしてそんなに気合が入っているのかしら？） みんなの気遣いはとても嬉しい。 でも、どうしても気持ちは晴れなかった。つい溜息ばかり出てしまう。 そう、あのことを思い出してから。 いつかは、また――― ベッドにうつぶせになり、枕に顔を押し当てた。 ううん、それだけじゃない。私がこんなにくよくよしてるのは……。 どちらにしても、こんな暗い顔してたら、みんなを心配させるだけなのに。 はあっ、と声に出してため息をついた時、ノックの音がした。 「……はい？」 「フランソワーズ、ちょっといい？」 ジョーだ。 ちょと待って！と小さく叫び、慌てて鏡を覗いた。 冴えない表情。こんな顔、見られたくない。 でもぐずぐずしていたら、何かあったと彼は思うだろう。 さっきだって、きっとジョーは気づいていた。心配そうな目で自分を見つめていた。 だめだわ、こんなことしてちゃダメ、とフランソワーズは勢いよく立ち上がり、急いでドアを開けた。 「ごめん、こんな時間に」 いつもの、少し恥ずかしそうな微笑を浮かべて、彼は言った。 「ううん。大丈夫よ、まだ起きてたわ。……なあに？」 「あの……しばらく付き合ってくれる？ちょっと出かけたいんだ」 一体どういう風の吹き回しだろう？こんな夜遅くに出かけるなんて。 訝しく思いながらも、フランソワーズは笑顔で頷いた。 「ええ、もちろんよ」 じゃあ、ガレージで待ってる、とジョーは急いで階段を下りていった。 手早く身支度を整えて、フランソワーズもあとを追った。 「ねえ、どこに行くの？」 車に乗り込むと、フランソワーズは尋ねた。 「うん……」 ジョーは言葉を濁し、どこまでいけるかな、と笑った。 「え？どういうこと？行き先、決まってないの？」 彼はニコッと笑ってそれには答えず、しばらく車の中は沈黙が続いた。 海沿いの道を行く。 ここなら、何度か通ったことがある。海の上に突き出た展望台へ続く道。 次第に人家の灯りもまばらになり、急な坂道を登りきった時、ジョーはようやく車を停めた。 ちら、と時計に眼をやってから、フランソワーズをじっと見つめ、ジョーは静かに言った。 「ちょっと寒いかもしれないけど……外に出ようか。コート、持ってきてないんだね？」 フランソワーズは首を振った。 「大丈夫よ。そんなに寒くはないわ」 しかし２人の吐く息は白い。昼間とはうってかわって厳しい冷え込みだった。 けれど、頭上にはそんな寒さを忘れさせるほど美しい星空が広がっている。 「綺麗！……すごいわ！」 天空いっぱいに、蒼い光が瞬く。冬の大三角形が、数え切れないほどの星々を随えて輝いている。 ジョーはそっと彼女の肩を抱いた。 「……ジョー？」 細い体が小さく震えた。 「寒くない？」 ううん、と首を振ったフランソワーズに、ジョーは笑った。 「ダメだよ、フランソワーズ。キミが寒いって言ってくれなきゃ……」 「……？」 「こんなふうにできないだろう？」 耳元で囁いたジョーの腕の中で、フランソワーズはそっと目を閉じた。 「フランソワーズ、あててみせようか？」 長く甘い沈黙の末、ようやくジョーが口を開いた。 何を？と小さく傾げた彼女の細い両腕を優しく取ると、ジョーは低く呟いた。 「キミが、ずっと考えていたこと」 「え？」 「いつものキミらしくなかったから」 「ごめんなさい……。たいしたことじゃないの。思い出しても仕方のないことを考えてただけなのよ」 慌ててフランソワーズは首を振った。 ジョーはふっと目を細めて彼女を見つめ、ゆっくりと空に視線を移した。 「今夜は、ホントに星が降ってるみたいだね。ほら！」 東の空を指さす。 一筋の流れ星が大きく尾を引き、そして突然視界から消えた。 宇宙の塵が、また１つ燃え尽きた瞬間。 しばらくして、今度は東から西へ光が流れた。 「あんなふうに見えたのかな……」 ぽつりと彼は呟いた。 「……ジョー？」 彼が何を言おうとしているか、わかってしまった。 ずっと話せなかったこと。 聞けないでいたこと。 それを今――― フランソワーズは、また小さく体を震わせた。 ―――本気で思っていた。 この命と引き換えに、平和が守れるなら。 今ここで、その１つの細胞と心中しても悔いはない。 死ぬ覚悟は、とっくに出来ていた。 でもジェットを道連れにするのが辛い。これでは無駄死だ。 それでいて、自分は幸せ者だと思った。 「死ぬときはいっしょに」 彼はそう言った。 「きみはどこへおちたい？」 どこへ？ 僕は、何処へ帰ろう？ 何処へ帰りたいのだろう？ その時、見えたんだ。 体が燃え出して、意識を失う寸前。 海が。 キミたちのいた、あの海。 キミが泣いているのが見えた。 初めて思った。 自分は本当に死ぬのだ、と。 キミをあんなに悲しませたまま、僕は宇宙の塵となって燃え尽きる。 死んだら……もう……。 フランソワーズ…… 僕は意識を失いながら、キミの名前を呼んだ。 「ジョー……私……」 フランソワーズは震える声で呟いた。 ジョーは静かに言った。 「突然、どこからか声が聞こえた」 お前は死んではいけない。 まだ生きて、為さねばらないことがある。 生きる？ でも…… 「体はすでに溶け始めていた。意識を失ったはずなのに、熱くて……苦しくて……」 そんな時、冷たい雫が落ちてきた。 ポタ、ポタ……と、それはまるで静かな雨のように、優しく頬を打った。 そして聞こえた。 さっきとは別の声。 ―――ジョー……お願い。生きて。 懐かしい、キミの声。 ジョーの指が、白い頬を流れる涙をそっとぬぐった。 「何度も聞こえたよ。キミが僕を呼ぶ声が」 フランソワーズは、いやいやをするように、彼の胸に顔を埋めた。 「でも、もう心配しないで、フランソワーズ」 北風になびく亜麻色の髪にそっと口づけすると、ジョーは小さく、でもきっぱりと言った。 「僕は死んだりしない」 「ジョー？」 涙に濡れて、キラキラ光る瞳。深い深い蒼が彼を見上げる。 ―――僕の帰る海は、此処だ。 「大丈夫。もう決して、君をおいていったりしないから」 いつも一緒にいる。 だから、心配しないで、とジョーは微笑んだ。 たとえ体は離れ離れになっても。 僕たちはずっと一緒だ。一緒にいる。 「そう信じて」 フランソワーズは小さく頷き、囁くように言った。 「ええ。そうね」 ―――信じてるわ。もう、大丈夫。 精一杯の微笑を返す。 その細い体を静かに引き寄せると、ジョーはそっと唇を重ねた。 「フランソワーズ、誕生日おめでとう」 息が詰まるようなキスの後、ジョーは耳元で囁いた。 「え？」 一番乗り、と彼はいたずらっぽく笑った。 腕の時計は、ちょうど１２時をさしていた。 「あ……ホントだわ。もう、今日なのね？」 顔を見合わせて笑う。 どうしても―――誰よりも先に言いたかったから。 「そして……会ったらこうして……」 きっと最初にキスをする。 ―――それが僕の贈り物。 他の誰にもできないプレゼント。 「ジョー……ありがとう……」 柔らかな唇が微かに動いた。 甘い吐息が、夜のしじまに優しく響く。 ２人の姿は闇に溶けた。 １つ、２つ、３つ……。流れ星が、次々と流れていく。 「キミにも、僕の作戦は読めなかった？」 「ええ。完璧なジョーの作戦勝ちだわ」 また２人は小さく声を立てて笑った。 「今日はとても忙しくなりそうだし。色々仕事をおおせつかってる。ジェットの至上命令には逆らえないからね」 それに、と肩をすくめた。 「みんなはみんなで、きっと朝から君に纏わりついてるだろうし……。でも、どうしても２人きりの時に、おめでとうって言いたかったんだ」 誰よりも早く。 君の新しい年の一番最初に出会う人間でありたかったから。 そんなわがまま言ったらバチがあたるかな、とジョーは照れたように言った。 キミをこうして独り占めしているのに。 「ううん、ホントは私も……同じこと考えてたの。でも、そんなこと言ったら、きっとあなたに呆れられてしまうって思ってた」 甘えるように肩に頭をもたせて、クスッとフランソワーズは笑った。 「でも……今の時間なら、誰も気づかないわね」 ２人きりで、こうしていること。今日という日の始まりの時間に。 「あ、そうだ。忘れてた」 これ、とジョーはポケットから小さな包みを差し出した。 「これは……オマケ」 「オマケ？」 かすかな星の光を受けて、小さく輝く赤い宝石。 フランソワーズは両手でそっと空にかざした。 「ありがとう！！とっても綺麗だわ。……ね、今、つけてもいい？」 「もちろん。あ……じゃあ……」 耳を出して、とジョーは囁いた。 「え？」 フランソワーズの手からピアスを取り上げると、ジョーは亜麻色の髪をそっとうしろにかき上げた。 小さな耳朶が、誘うようにかすかに震えている。 １月の誕生石。 ガーネットをつけたら、きっとその肌の白さが引き立つ。 迷わず選んだ。 でも―――なんて綺麗なんだろう。 ほっそりした白いうなじ。そして……。 もしかしたら、何もつけないほうが綺麗かもしれない、とジョーは思わず見とれた。 「あ……？」 ひんやりした金属のかわりに触れたのは、熱い唇。 不意打ちを食らったフランソワーズは、頬を真っ赤に染めた。 ＊ 「では、本日のプログラム１番。プレゼントの進呈、といくか！！」 美しく飾り付けられたリビングで、タキシードを着込んだジェットが声を張り上げた。 もう陽は沈んだ。西の空低く、オレンジ色の残照がかすかに輝く。 パーティーの幕開け。 薄いピンクのドレスに身を包んだフランソワーズは、いつにもまして美しかった。 決死のくじ引きの末に決まった順番どおり、００ナンバーたちは次々と工夫を凝らした包みを渡し始める。 まずは、博士から。 シンプルなデザインの銀製の写真立て。飾り気は無いが、滑らかな曲線がとても美しい。 「博士、ありがとうございます！大事にします！」 「中の写真は、気に入ったのを自分で選んでな」 フランソワーズは頷いて、ギルモアの頬にそっとキスをした。 お次は大人から。 『和食の極意』と題された１冊の本。 「ありがとう！極意までは当分到達できないけど、頑張って勉強するわ」 フランソワーズは本を抱きしめてにっこりした。 「和食かあ。余り口にあわねえな」と、ジェットがつまらなさそうに呟く。 グレートからはアンティークな写真集。 セピア色に変色したモノクロの写真。可憐なバレリーナの姿は、まるでドガの絵のようだった。 「ちょっと姫に似てるだろ？」」 「ああ！これ、とっくに絶版になってるのよ！手に入らないって思ってた。ありがとう、グレート！！」 「ちぇ、古本かよ」 けち臭いぜ、とジェットは嘯く。 ピュンマからは『世界の神話〜女神の美〜』。 ずしりと重い、全５巻のカラー豪華本だ。 「フランソワーズそっくりの女神が載ってるんだ」 「うふっ、ありがとう！ゆっくり読ませてもらうわね！」 なんだよ、とジェットが舌打ちした。 「博士はなかなか良い線行ってると思ったのに、あとの３人はみんな本か？らしいといえばらしいが、芸がないぜ、まったく……」 フランソワーズは首を振った。 「そんなことないわ、とっても嬉しい。みんなホントにありがとう！！」 「じゃあ、次はジェロニモだ！」 こいつの路線はモロに読めちまうんだよな、とジェットはこぼした。 「どうせ……木彫りの……」 ちら、とジェットに不愉快げな視線を送りつつ、ジェロニモは無言でワインボックスのような木箱を彼女に渡した。 「お洒落な箱ね！」 中には、春植えの球根がいくつかと、可愛らしい赤い移植ごて。おそろいの熊手。緑のブリキのじょうろ。ジェロニモが選んだガーデニングセットだった。 素敵！とフランソワーズは声をあげた。 「ありがとう。早速使うわ！それに、いつもありがとうね、ジェロニモ。あなたが花壇を掘り起こしてくれるから、ホントに助かるの」 「ふん、ジェロニモにしちゃあ、やるじゃんか。てっきり、怪しげな人形かトーテムポールだと思ってたんだが」 さて、次は俺だ！とジェットは、いったん廊下に飛び出ると、すぐに１メートルを越える大きな包みを抱えて入って来た。 「なんだよ？そんな大きいもの！邪魔だな！」 グレートが目を剥いた。 「フン……だいたい想像はつくアルね。あの大きさだと、クマあるか？平凡アルね！」 ジェットの悪態に、気を悪くしていた大人とピュンマは頷き合う。 「そうだよ。縫いぐるみなんて、自分だって結局超ありきたりのもの贈ってるじゃないか」 ところが、カラフルな包装紙の中から姿を現したのは、大きな茶色のウマのぬいぐるみだった。 「まあ！可愛い！ウマのぬいぐるみなんて珍しいわね！」 柔らかな毛並み。透き通ったガラスの茶色の瞳。前髪が目にかかるほど長い。 額に白い星の斑点。 少し淋しげで、でも、とてもハンサムな顔立ちのサラブレッドだ。 「とっても可愛いわ！ありがとう、ジェット！」 フランソワーズは床にしゃがみこみ、ウマのたてがみを優しく撫でた。 「早く翔ける、といえばウマだろ？加速装置はついてないけどよ。だがな、これはそんじょそこらにある、ただの縫いぐるみなんかないんだぜ！」 わざとらしいウィンクを１つ。 「な、フランソワーズ。ぎゅっと抱きついてみろよ」 「え？」 言われるまま、ふわふわした頭に頬を寄せて抱きしめる。 その途端、ウマが叫んだ。 『愛してるぜ、フランソワーズ！！愛してるっ！愛してるっ！！愛してるっ！！愛してる！！！』 「あ……？」 呆然とするフランソワーズを尻目に、ウマはひたすら、愛してる、と叫びつづけた。 しかも、その声はだんだん大きくなっていく。 「何アルね？これ！！」 「ふざけんなよ、ジェット！！」 「うるさ過ぎるよ。この音、止まらないのかい？」 まあまあ、とジェットは興奮する皆をなだめた。 「これはあくまでもデモ用さ。腹ん中のテープに吹き込めば、いつでもフランソワーズのお好みの声と入れ替えられるんだ」 な、とジェットは意味ありげにジョーを見た。 皆が呆れる中、ウマは３分ほど叫びつづけたあと、ようやくおとなしくなった。 「さて、次はいよいよアルベルトだ！」 ジェットは悪びれる様子もなく、部屋の隅で腕組みをして立っていた男に明るく声をかけた。 ＣＤか？それとも……絵か？ こいつは相当気合を入れてかかってくるはずだ、とジェットは黒いタートルを見つめた。 一歩、二歩、と静かに歩みを進めると、アルベルトは小さな包みをフランソワーズにさりげなく渡した。 ロイヤルブルーの包装紙。丁寧に結ばれた金のリボン。 ラッピングそのものがプレゼントだといってもいいほど、美しかった。 「綺麗ね！開けてしまうのがもったいないわ」 丁寧に解いていくフランソワーズの手元を、皆が固唾を飲んで見守っている。 中から出てきたのは―――― 「ああ、可愛い！！」 ふわふわのモヘアの手袋。とろけそうに甘いピンク色だ。 フランソワーズのイメージにぴったり。 さっそく彼女は両手にはめて、皆に見えるように前に差し出した。 「とってもあったかいわ。ありとう、アルベルト！こんなミトン、欲しいと思ってたの！」 ふわふわのモヘア、ね、とグレートがうめくように言った。 「確かに……フランソワーズにはピッタリだが」 「こ、こいつのどこから、そんなのが浮かぶんだ……？」 まさか？ 若い女の子がいっぱいの洋品小物売り場。 そこに迷い込んできた、怪しい黒手袋の男。 ピンクのふわふわちゃんを手にとって、『これ、プレゼントにして下さい。リボンもつけて』 なんて店員に頼んで、お色はどういたしましょう？と聞かれたら、いそいそと『蒼か金でお願いします』とか答えたってか？コイツが？！！―――どう考えたって、想像できないぞっ！！ 唖然としつつ、吹き出しそうになっている仲間達の反応に、アルベルトはムッとした。 だが。 「ああ、どうしてわかったのかしら？色も形も、まるで私がオーダーしたみたい！ほんとにありがとう、アルベルト！」 彼女のはしゃぐ声。 途端に鋭い眼光が和らぐ。満足げな笑みが唇の端にちらりと浮かんだ。 ―――さて。 ジェットは大きな仕草でジョーを振り返った。 「次はお前だ！いい籤、引きやがって！ラストで、ばっちり決めろよ！」 籤を作ったのはジェットだ。どうせジョーは、遠慮して一番最後に引くだろう。 そう思って、８番のついた籤は、別にとっておいたのだった。 （せっかく、お膳立てしてやったんだからよ！しっかりやれよ！） ところが――― 何だか、複雑な気持ちだった。 あのミトンの色。 目に焼きついて離れない。とても彼女に似合っている。ぴったり似合い過ぎなくらいだ。 彼女のことをよくわかっていないと、あんな選び方は出来ない。 それって、まさか……？ 「え？」 ようやくジョーは我に返る。 気がつくと、皆の視線が自分に集まっていた。 ったく何ぼさっとしてんだよ！と、ジェットはイラついた声を上げた。 「あ……」 「ほら！早く渡せよ！お前の番だ！」 「そ、そうなんだけど……」 「なんだよ、今さら」 「えっと……無いんだ」 無いだとおおおお！！！ 皆がどよめいた。 フランソワーズはクスッと笑った。 「何も用意してないのかよ！！信じられねえ！！」 「いくら天然だって……そこまでとは思ってなかったよ」 「そ、そうじゃないんだ。あの……」 ―――もう、渡した。 「え？」 仲間の視線が、瞬間に凍る。 「俺の、聞き間違いか？まさか……もう渡した、だと？嘘だろ？！」 ジェットは声を荒げた。 「あ……うん……ごめん」 「なんだなんだおい！！抜け駆けってのはあまりにも卑怯じゃねえのか？？！！」 「い、いや……そんなつもりは無かったんだけど」 「でも結果的にはそうなったんだろ！！ずるいぜっ！！内緒にする気か？」 「そうだ！！お前のも見せろっ！！」 詰め寄るジェットとグレートに、ジョーはしどろもどろになって答えた。 「えっと……見せるって言っても……ここじゃ……」 「わけわからんこと言うな！！」 「そうだ！！誤魔化すなよっ！！」 じっとジョーを見つめていた、アルベルトが低く呟く。 「ここじゃ？ってことは……・ここじゃ、みんなに見せられないようなものなのか？たとえば、形じゃないとか」 「おい！！どうなんだ？白状しろっ！！」 ジェットに羽交い絞めにされ、たまらずにジョーは叫んだ。 「い、いや……その……かっ……形あるものだってプレゼントしたよっ！！！」 目ざといグレートが、フランソワーズを振り返り、おおっ！と叫んた。 「もしかして姫！！その可愛い耳を飾ってるものだったりして〜〜〜」 「ピアス！！こいつ〜〜〜！！！洒落たことしやがって！！」 いつ渡したんだ？と、その場が騒然となる中、鋭い声が飛んだ。 「……ちょっと待て」 ？と振り返る全員。 アルベルトは、ジョーを見据えた。 「形あるもの『だって』、だと……？」 ジョーとフランソワーズはハッと顔を見合わせ、真っ赤になって俯いた。 「？」 沈黙がその場を支配した。 意味ありげに視線が交わされる。 「じゃあ……」 「それってまさか……？」 「はああん〜♪どういうことかな？」 ジェットはにやりと笑うと、ジョーの顎をぐいとつかんだ。 「『形あるもの』はピアス。それはわかったぜ。で、『ない』方は？？」 「あ、あの……」 「おい！！往生際が悪いぜ、島村ジョー！！！」 フランソワーズが気遣わしげにジョーを見た。 「まさか、キ……」 と、その時。 ２人の姿がふっと消えた。 「ああっ！！！」 「やられたアル！！」 「加速装置を使ったのか？！」 「何でだ？珍しく、卑怯じゃねえか、ジョーの奴！！！」 「いったい何処行ったんだ？これからパーティーだってのに」 ざわめく仲間達の目の前に、ふよふよと揺りかごが浮かんだ。 ”モウ、ソレクライデイイダロ？” 「イワンっ！！まさか、お前が？」 ふわああっとアクビをすると、少し横柄にイワンは言った。 ”余リヤリ過ギルト、ふらんそわーずニ嫌ワレルヨ” 「しっかしなあ、せっかくいいところだったのに！！ぶち壊しじゃねえか！！」 ”フンッ！ヨク言ウヨ！！ボクノ順番、決メテクレナカッタダロ？飛バスナンテヒドイヨ” 「だってお前は、ぐっすり寝てたじゃないか！！」 ”最初カラ、籤ヲ８ツシカ作ッテナカッタクセニ！！ドウセ、僕ノコト、忘レテタンダロ！！” ちぇっ、とジェットは舌打ちをした。 まったく忌々しい赤ん坊だ。 ”ダカラ９番目ハ僕ノ番ッテコトデ、ぷれぜんとシタンダヨ” 「プレゼント……ね」 あ〜あ、いっつもコイツにやられるんだよな、とジェットはぐったりと床に座り込んだ。 せっかく練りに練った計画がおじゃんだ。 しかも、完璧な確信犯だし。 「で、２人はどこ行ったアル？」 ”チョウド今頃、朝カナ、アッチハ” 「あっち？」 「朝？？！！」 まさかっ！！！ ”アッチニハ、モウ一人、彼女ノ誕生日ヲ祝イタイト思ッテル人ガイルシ……” おいおいおい！と叫ぶと、ジェットはぐったりと床に座り込んだ。 ”今カラナラ、丸々１日、誕生日ヲ楽シメルダロ？ナカナカイイあいであダト思ワナイカイ？” 「ったく、勘弁してくれよな。どうすんだよ、パーティー！！」 「なんてことアル！！ご馳走、せっかく作ったアルのに〜〜〜！！！」 「で、一体、いつこっちへ戻す気だ！！」 大騒動の仲間達を尻目に、また１つ大きなあくびをすると、イワンはとろんとした眼で皆を眺めた。 「おいっ！！まさかっ！！イワン！！」 ”マタ……眠クナッテキチャッタ” 「ちょっと待て！！お前が寝たら、アイツら帰って来られないじゃないか！起きろっ！！」 ”ダッテ能力ヲ使ウト疲レルンダモン。ジャア……オヤスミ……” すとん、と揺りかごが床に下りた。 ７人は、呆然とイワンの寝顔を見つめた。 ―――パリは、雪。 今、ようやく夜が明ける。 |