| 「あ〜あ、退屈ぅ。何か面白いことないかなー」 にゃーこ博士は、ここへ来て９３回目になる同じ言葉を繰り返した。 さしてお腹もすいていないが、コタツの上のみかんに手を伸ばす。 「これ、ジョーに持たせて、目の前でフランちゃんとハインリヒにイイコトさせたら、みかんジュースにしてくれるかしら・・・」 両手でみかんを揉みながら、３人の顔を思い浮かべる・・・。 「・・・・・・・・・・・・『イイコト』って、なんだっけ？あ゛―――っ！！もう！こんな雪と山しかない陸の孤島みたいなところにいたんじゃ、誰だって枯れちゃうわよっ！！」 にゃーこ博士は腹立ちまぎれに手にしたみかんをコタツの上に放り投げると、仰向けにごろりと寝転がって、畳の上に投げ捨てられている小さなカードを、つまらなさそうに摘み上げた。
なんだってこんなカードに騙されたのだろう。 彼女が行方知れずになったのはもう３年近く前。突然、その編集長から日本語と英語と怪しげなフランス語の入り混じった招待状が届いた。 いつもいつも研究所に入り浸っていた頃はうるさくてウザい人だと思っていたが、いないとなると拍子抜けする。頼る人もいない巴里の空の下、ひとりでどうしているのだろうと心配していた。そのカードで生きていたのがわかってホッとして、ついふらふらとやってきてしまった。 ほんとのところは、教卓温泉の由来をこの目で確かめたかっただけだったのかもしれないけれど。 小さな書斎のついた２間続きの広い和室。プライベートタイムを邪魔しない心配りか、別にベッドルームまで用意されている。雪深い山奥の旅館には似つかわしくないモダンな家具が、築１００年の家屋と妙にマッチしている。外国人客に人気があるという話にも頷けた。 想像以上のラグジュアリーな宿に、２人の博士は浮かれていた。 仲居が”それ”を届けに来るまでは。 それ―――。 うず高く積まれた原稿用紙と万年筆。そして水彩セットにお絵描きソフト。 「お帰りの際に原稿をお預かりするようにと、ぷーちゃ様から申しつかっております。それ迄はご滞在いただくようにとのことで・・・」 あの日からすでに２週間。原稿用紙にはうっすらと埃がかぶっている。 「だいたい、観光地もなければ、私たち以外泊り客もいないような秘境で妄想を書けって言うほうがおかしいのよっ！」 にゃーこ博士が大きく溜息をついた、その時。 「博士―――――――――――！！！！」 格子戸を壊しそうな勢いで、お風呂上りの杉本博士が駆け込んできた。 ＊ 「フランソワーズ、疲れたんじゃないか？」 「ううん、車で少し眠ったから平気よ。見て！ジョー！とってもステキな眺めだわ」 僕の心配をよそに、フランソワーズは窓辺に近づくと、大きく窓を開けた。 一面の雪景色。２階からの眺めは車中からのそれとは、また違った趣だ。 そばを流れる川のせせらぎが聞こえる、 でも僕が見とれていたのは景色ではない。少し離れた僕の位置から見える彼女は、純白のキャンバスに描かれた美しい絵のようだった。 『まあ、本当にお綺麗な奥様ですね・・・』 彼女を見つめて絶句していた仲居さんの感嘆の言葉は、決してお世辞ではないだろう。 「お部屋もこんなにステキだし、何もかもぷーちゃさんのおかげね」 ちらちらと降り続く雪を見上げながら君はそう言うけれど・・・けれど・・・。 どうしてもひっかかる。 確かにここへ来たのは、突然のぷーちゃの招待があったからだ。 フランソワーズへのバースデープレゼントらしい。 でもぷーちゃのすることには、いつも何か裏がある。 僕の戦士としての勘がそう告げている。 だいたい、３年近くも音信不通で、何をしていたんだろう？ フランソワーズは、それこそ夜も眠れないほど心配していた。お兄さんに連絡をとって、セーヌ川で溺れていないか、わざわざ確かめてもらったほどだ。 なのに、突然、こんな招待状を送りつけて来るなんて。 やっと治りかけたフランソワーズの風邪がまた酷くなっては、という表向きの理由で、僕は強く反対した。 博士たちに相談しようにも、２人はどこかへふらりと旅行に出たきり、音沙汰無しだったし・・・。 まったく、あの２人ときたら、いつも肝心なときにいないんだ。 結局は、どうしても行きたいという君の熱意に負けてしまったのだけれど、僕が折れたのには別の理由もあった。 君の風邪をこじらせたのは、僕のせいだから、あまり強くも反対できなかったんだ。 そう・・・あの日。大みそかの夜。 僕たちはリビングのソファで、１２時を知らせる時計の音を数えながら、去年最後の、そして今年最初になるキスを交わしていた。 潤んだ蒼い瞳と、胸に伝わってくる君の柔らかなぬくもりに、僕はつい我を忘れた。 あのとき、僕を包んだ君の蕩けるような熱さは、すべて高熱のせいだったのに。 そんなこととはつゆ知らず、何度も僕は・・・。 「くしゅん！」 「ほら、また風邪がぶり返したら大変だよ」 慌てて窓辺に駆け寄り、肩を抱くと、フランソワーズの身体はすっかり冷えていた。 「ね、ジョー。あとでお風呂にいきましょ」 僕の腕の中でニッコリと微笑む。 「そうだね」 窓を閉めると、どこかで屋根の雪がどすんどすんと落ちる音がした。 ＊ 「イッタ〜〜〜イ！」 「しぃっ！・・・大丈夫？にゃーこ博士！」 「な、なんとか大丈夫らしいわ。杉本博士こそ・・・」 腰をさすりながら体勢を立て直すにゃーこ博士。 「私も雪がクッションになってくれたから、大丈夫。・・・それより、ね、ほんとに２人だったでしょ？廊下で見かけたのは、やっぱり見間違いじゃなかったんだわ！！」 顔についた雪を払いながら、杉本博士は興奮を必死に抑えるように小声で言った。 「それにしても、くしゃみまで可愛かった♪フランちゃん」 「『あとでお風呂にいきましょ♪』なんて、まるで海に行くみたいな口ぶりでね」 「”果報”って、これだったのねえ。待ち時間、長かったなあ・・・」 「へくしっ！」 「私たちまで風邪引いちゃうわ！さあ、早くお風呂でスタンバっとかないと」 次の瞬間、ふっと２人の姿は消えた。 それは加速装置か、テレポーテーションだったに違いない。 「ねえねえ、これ持って帰っちゃおうか？」 うっとりと杉本博士は、その小さな布を抱きしめた。 「さすがにマズイんじゃないかしら？ああっ！！こんなことなら、フランちゃんのダミー下着持って来るんだったわ！そしたら差し替えられたのに。２年以上前からちゃんと用意してたのよ」 「じゃあ、このヒモのところ、切っておく？」 「『じゃあ』の意味がわかんないわよ、杉本博士！ところで、フランちゃん、またスタイル良くなってなかった？いい脱ぎっぷりだったわねえ〜♪」 「ねえええ〜♪博士もそう思った？具合悪かったせいか少しやせたような・・・でも相変わらず出るトコロはバッチリ出て、きゅっと締まるトコロは締まって・・・」 「ねえ、これ何カップかしら？ほら、嗅いでみて！いい匂いがするわ！」 ついさっきまでかぶっていた脱衣籠を放り出し、やりたい放題の博士たち。 「ねえ、博士」 杉本博士はブラを受け取ると、急に声をひそめた。 「もしかして、いや、もしかしなくても、あのナイスバディ、当然彼は全部見ちゃったんでしょう？」 「え？彼って？」 「彼って、彼に決まってるじゃない！隅から隅までぜええんぶ見て、直したんでしょう？」 「あ・・・彼ね。・・・うん」 「まさか、それで我慢したってことはないわよね？ありえないわよね、そんなのっ！！、まともな男ならっ！！！」 「あ・・・博士、そんなに握り締めたらカップが歪んじゃうわ！」 「どうなの？ほんとのところ」 「さ、さあ・・・ど、どうかしら？呪いがねえ。どう影響するか、微妙なところなのよ。・・・さ、次はジョーのほうに行かなくちゃ！時間がないわ」 「あら、もうこんな時間！」 ２人は名残惜しそうに薄いピンクの花びらのようなランジェリーを、元のとおり丁寧にたたんで籠に戻した。 「脱衣所と入り口は男女別だけど、お風呂は混浴で中でつながってるから都合いいわね」 「やっぱりまた匍匐前進？」 「そうよ！私たち、脱衣籠なんだから。籠に足があったらおかしいでしょ！」 裏返しの脱衣籠２つは、じりじりと殿方の脱衣所へと進んでいった。 ＊ 外気の温度が低すぎるためか。それともしんしんと雪が降っているからか。 露天風呂は広さもわからないほど湯気で煙っていた。 フランソワーズはもう入っただろうか？お湯をかける音が聞こえたのは君？ 彼女以外の先客があるかもしれないことを考えると、むやみに声もかけられない。 熱めのお湯が気持ち良いが、すぐにのぼせてしまいそうだ。 夕食に出た日本酒のせいか、まぶたが異様に重い。そんなに呑んでいないのにおかしいな。 頭を振って酔いを覚まそうとしたが逆効果だった。頭がくらくらする。 そうだ、脳波通信！そんなことも思いつかないなんて、もしかしてお酒に何か盛られたのか？ ぷーちゃの息のかかった旅館なら、あり得ないことじゃない。 フランソワーズは大丈夫だろうか？ 急に胸騒ぎがした。 ”フランソワーズ、どこにいるの？” ”ここよ、もうお湯に入ってるわ。とっても気持ちいいわね・・・ジョーはどこ？” ”僕は・・・君のチカラならすぐわかるだろ？” ”フフ、そうね。だからジョーが私を見つけて” チャパ・・・と背後で誰かが立ち上がるような湯音がした。 ”・・・ああ・・・熱くなってきちゃったわ・・・のぼせそう” ”わかったよ、フランソワーズ・・・僕も熱くて目がまわりそうだ” と、湯気の向こうに、豊かな亜麻色の髪を結い上げたうなじがうっすらと見えてきた。 見つけた！ ほんのりと上気した、君の白いうなじ。 そのほっそりとした首から肩にかけてのラインを見つめていると、僕はぞくぞくしてしまう。 今はお湯に隠れてしまっているけれど、その下は・・・ああ、もうそばに誰がいても構わない。 今すぐにでも・・・・・ん？ フランソワーズ、少し太ったかい？ ほっそり・・・と・・・した・・・うなじ？・・・あれ？ 彼女が僕を振り返るのと、風がすべるように湯けむりをさらうのが、同時だった。 ＊ 「ジョーのは、１枚だけだからつまんないわねー」 「まあ、あんまり期待はしてなかったけど。私、『しまむらじょー」って名前が書いてあると思ってたんだけどなあ。それすらも無し？味気ないわねえ」 ２人のトーンは、さっきとは打って変わってがた落ちだった。 「ちっ、しかもグンゼだし〜」 にゃーこ博士は、無造作に白いブリーフを脱衣籠に投げ込んだ。 「じゃ、そろそろ、潜入しよっか！」 「そうね、いきなり入って２人を驚かせよっ！」 両博士が、目を爛々と輝かせた、その時。 「ジョー？！！！しっかりして、ジョー！！」 突然、フランソワーズの悲鳴のような叫び声が露天風呂に響きわたった。 |