| 吹きッさらしの冷たい北風が、頬に突き刺さる。 ぴゅうぴゅうと唸り声をあげ、水平線の向こうから風が吹く。 ぷーちゃは、しばらく白い波頭をたてる真っ青な海を眺めていたが、やがてゆっくりと項垂れた。 雑草一つ生えていない断崖に立っていると、荒涼とした気持ちになる。 にゃーこ博士は、ここにもいなかった。 博士は、きっとここだと思ったのに・・・一体どこへ？ フランちゃん・・・あなたもこの景色を悲しい想いで見つめていたのね・・・。 すっかり悲しいヒロインになりきっている。ホントにおめでたいヤツだ。 ぷーちゃは、かがんで四つん這いになると、恐る恐る崖下を覗きこんだ。 「うひゃあああ！！こんな高い所から落っこちちゃったんだぁ・・・ううっ！かわいそうにっ！！」 ふっと目眩を起こしそうになり慌てて後ずさりした。 崖際から離れて立つと、あの少年を見つけた時のフランちゃんになったつもりで振り返ってみる。 「ああああん！！ドキドキするぅ〜！それにしても、皮肉なものよねぇ・・・。この同じ場所でジョーってばフランちゃんとオリオンの話をした時のことを思い出しちゃったりしてるんだから・・・。」 ちょっとおセンチになって、ぷーちゃは近くの岩に腰掛けた。 「なんだろう？」 デコボコして、なんとも座り心地の悪い岩である。腰をあげ、顔を近づけてよーく見ると・・・。 『ごめんね フランちゃん。 ジョーのバカ。 にゃーこより 愛をこめて』 何か固い物で彫られたような跡である。 「あっ！！これ、フランちゃんが叩きつけられた岩じゃない！！にゃーこ博士、ここに来てたんだ！！さっすが私！！やっぱり敏腕編集者だわ！」 ぷーちゃは、両手をあげて小躍りした。 それがいつ彫られたものなのかもわからないのに。 ・・・相変わらずの編集長だった。 一方、にゃーこ博士の失踪から数日経った研究所は、次第に平穏を取り戻しつつあった。 「にゃーこ博士なら大丈夫よ〜。どっかで適当にやってるわよ。」 杉本博士の一言で、なんだか本当に大丈夫な気になってしまうのが不思議である。 心配性のフランソワーズも、「杉本博士がそうおっしゃるなら・・・」と、いつもの笑顔を見せるようになった。 そして２週間ほどたったある日――。 「ジョー、今日お買い物に付き合ってくれる？」 リビングで新聞を読んでいたジョーに、フランソワーズがキッチンから声をかける。 「うん。いいよ。それじゃあ、午後から出掛けようか。」 ジョーはじっとフランソワーズを見つめた。 なんて綺麗なんだろう。ジョーは思わず感嘆のため息をつきそうになる。 「・・・もう２週間になるわね。」 ふっとその美しい顔が曇った。 また博士のこと、思い出してたのか。 ――と、彼女が急に顔をあげた。 「どうかした？フランソワーズ？」 ジョーの問いにも答えず、懸命に何かを聞き取ろうとしている。 「・・・博士の声だわっ！」 ２人は玄関から飛び出し、研究所から続く緩いカーブの先をじっと見つめた。 鼻唄まじりでやって来るその姿は――。 「は・・・博士！！」 「ねがわくはぁ〜はなのしたにてぇはるしなん〜♪ああ、泣けるっ！ぐすっ・・・あらっ！２人ともわざわざお出迎え？」 「博士！よかった！元気そうで・・・。」 博士に抱きついたフランソワーズの言葉は、最後は涙まじりで声にならない。 「ああん！泣かないでフランちゃん！ごめんね。心配かけちゃって・・・。」 よかった・・・。 とりあえず博士がこうして無事に戻ってきてくれたのなら何も言うことはない。 そうだ。杉本博士とギルモア博士にも報告しておかなきゃいけないな。 ジョーは、ひとり満足そうに微笑んでいた。 翌日――幸せな研究所に１通のエアメールが届いた。
「そうだ・・・すっかりぷーちゃさんのこと忘れてたよ。」 ジョーは、頭をかきながら、そのわけのわからない手紙をフランソワーズへ手渡した。 「ええ・・・ホントに。ぷーちゃさんは、にゃーこ博士が帰られたこと知らないのね？気の毒だわ。どうやって連絡取れば良いかしら？」 困った顔をしてジョーを見上げるフランソワーズ。 その愁いを帯びた瞳がたまらない。 「大丈夫だよ。ぷーちゃさんなら。放っておいたってそのうち帰ってくるから。ね、そんなに心配しないで。」 ジョーはそっと細い肩を抱き寄せた。 「それより、５月１６日って、何かあったっけ？」 「え？い、いいえ。・・・ぷーちゃさんの言うことだもの・・・！気にしないで。」 慌てて視線を逸らすフランソワーズを、ジョーは不思議そうに見つめた。 ＊＊＊ んんまあああ！ヌードおおおおお？ ちょっとジョーってば、そんなに絵が上手かったっけ？！ でも、フランちゃんはもっとスタイルいいでしょ！！ それに、アンタ！一体いつの間に『碧洋のハート』なんてフランちゃんにプレゼントしたのよお！ ああん！でも、こんな寒い海の上で裸になったら風邪ひいちゃうわよおおお！！ もう、ふたりともこの頃から車の中で・・・・・・のが好きだったのねえええええ！ たくさんの人が投げ出された海が、ザアザアと音を立てて荒れている。 ああっ！！その手を離しちゃダメよおおおお！！ そんな逆さまになった舳先から落っこちちゃったら・・・たら・・・たら・・・あああああああっ！！！ フランちゃんがああああああああっ！！！！！ フランちゃああああああああああああんんっ！！！ 「あ・・・」 博士は口元にべったりついたよだれを慌ててぬぐった。 点けっぱなしのテレビ画面は砂嵐。 リモコンに手を伸ばし、ザアザアという耳障りな音を消す。 どうやらいつのまにか眠りこんでしまったらしい。 完全に壁にぶち当たっていたが、ゆっくりと桜鑑賞をしてきたので膠着状態にあった研究も進みそうな気配。 で、さらに妄想を駆り立てようと、杉本博士から借りたビデオを観ていたら、朝になっていたのだ。 「しかし・・ジャックとローズを見ている時に・・・あんな声が聞こえてきちゃうと・・・ふううううう！！」 編集長が心配していたように、どうやらジョーが妄想病にかかっていることは、間違いがない。だって・・・その・・・何が・・・あまりに・・・・で、さすがの博士も赤面するくらいなのだから。まあ、２人の仲がいいのにこしたことはないのだけど。 でも実際、目のやり場にも耳のやり場にも困っちゃうのよね、とにゃーこ博士はため息をついた。 仕事の合間に、冷蔵庫をあさろうとキッチンに入って行ったら！！ エプロン姿のフランちゃんをジョーが後ろから抱きしめて・・・・・★＆％＄＃”☆！！ 覗きの趣味はないとはいえ・・・あんな美男美女のカップルがすぐそこで・・・・・・ ピ――――――――！ 杉本博士の笛が聞こえたような気がした。 「いかん、いかん！！」 にゃーこ博士は妄想を振り払うように、激しく頭を振った。 「でもさああ、吉野山に逃げた理由の１つもそうなのよ。ここじゃあ仕事になんないのよおお！！だってだって、アレって・・・これからが辛いのにさあ、間近であんなにラブラブされちゃったら、書く気分じゃなくなっちゃうのよねっ！」 なんて博士は、遅筆な自分を正当化するようなことを口に出してみたりした。 「博士！コーヒーが入りましたよ。」 ジョーの声。朝ご飯だわ！ 「今朝は、フランちゃんのパンケーキに違いないわ、きっと！」 お腹がぺこぺこの博士は、あわてて書斎を飛び出し、階下へ降りていった。 「ああ・・・ホントにフランちゃんのパンケーキって最高よね〜♪」 明るい陽射しいっぱいのダイニング。 焼きたてのケーキの香ばしい匂いとコーヒーの豊かな香り。 研究所の朝の幸せな風景。 目を閉じて、おいしいため息をつく博士は、すっかりご満悦。 ふわっと甘くて柔らかい。その上にとろりととろけそうな蜂蜜がかかって、ううん！最高♪ 「最高なのは、パンケーキだけじゃないですよ」 ブブッ！！！ にゃーこ博士は、コーヒーを噴出しそうになるのを必死にこらえた。 とろけそうな顔で見つめるジョーに、フランソワーズは真っ赤になって俯いている。 「え？えーと・・・ああ、そう、そうね。そうよね。そうに違いないわ。」 博士は、どぎまぎして、ジョーをマジマジと見つめる。 今のって・・・今のって・・・やっぱり「料理」のことを言ったのかしら・・・？ それとも・・・。 あらっ！！フランちゃんたら！真っ赤になっちゃったりしてええ！あれって絶対、私と同じこと考えてるわ！ でも、あのジョーがそんなことを言うなんて考えられないなぁ。 いや、でも今のジョーだったら言うかも・・・。 恐るべし！モーソー病♪ でも・・・あんな最強のサイボーグまで感染しちゃうなんて！ほんと、怖いわよねえ。 ジョーでさえあれなんだから、編集長、大丈夫かしら？ あの人もかなりの重症だからなあ・・・。 フォークを咥えたまま、巴里の空の下、あてもなくさまようぷーちゃに思いをはせるにゃーこ博士だった。 |