「もう・・・ジョーのバカ・・・」
トイレから博士たちの部屋へ向かう廊下の途中で、ぷーちゃははっと立ち止まった。
フランちゃんの声・・・。彼女の部屋の扉が少し開いている。
今の言葉・・・まさか、アレを見られたんぢゃあ？！
そっと部屋の中を覗いてみる。
（うっわああああああ！）
フランちゃんとジョーは、あつ〜いキスの真っ最中だった。
（お〜お〜！お盛んなこと・・・。でも・・・）
とりあえずほっと胸をなでおろす。アレとは関係なさそうだ。

　アレが送られてきた時には、さすがの私も驚いた。
以前いた編集部で駆け出しだった頃も、カミソリやなんかが、編集部あてに送られてきたりすることはあったけど、あんなものが送られてきたのは初めてだった。
――アレ。・・・そう。イボイボのついた超合金のバット。
どう見ても素人の手による入魂の作。おそらく１イボ１イボに思いをこめたのだろう。
そしてその部分には微かに血痕も。
さらに「ジョーのバカッ！！」と書かれたメモが一枚ついていた。
普通、そういうものは作者宛てに届いたりするのだが、アレはなぜかジョーにあてて送られてきたのだ。
　今、アレは、誰の目にも触れないよう私の部屋の金庫にしまってある。
ジョーはいいとしても、フランちゃんに知れたら・・・彼女心配症だから。
『ジョーのバカ』って、偶然かしら？それとも流行ってんのかしら？
ぷーちゃは首をかしげた。
（それにしても、長いキスだわね。アフガニスタンから戻ってから、あの二人今まで以上だわ。人の苦労も知らないで・・・。）
ぷーちゃがあれこれ考えている間中、ふたりはずっと・・・抱き合ったままだ。
こっちが恥ずかしくなっちゃうわ。まあ、美男美女のラブシーンだから見てる方も、うっとりするけどさ。
おっと、こんなことしてる場合じゃなかった。早くにゃーこ博士と杉本博士の様子を、見に行かなくちゃ。
　にゃーこ博士は、この間久しぶりの休暇で羽を伸ばしたし、うなぎも食べたからいいけど・・・あ、そうか。お土産のうなぎでキスも長いのね・・・杉本博士は最近バテ気味だから心配なのよねぇ。
でも、杉本博士も、もうすぐ始まるバカンスから帰ったら、バリバリにやってくれるはずだわ！！
なんてったって開放的な南国ですもの♪
だから、今は研究そっちのけでスーツケースと向き合ってても目をつむることにしよう。
　スケジュール管理は大変だけど、こうして定期的に休暇を入れないと危険なのよね。
ホントにふたりともちょっと目を離すとすぐどっか行っちゃうんだから。
特に、にゃーこ博士の放浪は前科ありだし・・・。もうあんなのはカンベンしてほしいわ。
まだ、杉本博士がここに移ってくる前のことだけど・・・。
そうだ。そのことも忘れないうちに書いておかなきゃね。
　一人でぶつぶつ呟きながら、ノートパソコンを抱えたぷーちゃは博士達の部屋へ向かった。


「ぷーちゃさんも、毎日大変ですね」
「ええ・・・博士たち、最近原稿遅くって・・・。待たされてばかりだわ。インド時間だとか大陸時間だとか…枯れちゃったとかあめが欲しいとか。もう言い訳ばっかりよ！あ・・・内緒ね、フランちゃん」
思わず愚痴ったぷーちゃを、フランソワーズは優しく見つめた。
「ええ、もちろん。お二人とも何だかあっちこっちに手出しをして、八方ふさがりだ、って嘆いてたけど・・・やっぱりそうなのね。」
フランソワーズは、少し心配そうにぷーちゃの顔を覗き込む。
「そうそう、お茶にしましょう。今日はとっても寒いから、ココアでもいいかしら？それともホットミルクにしましょうか？」
「そうねえ・・・フランちゃんに入れてもらうなら、やっぱりミルクが良いかな。ジョーに怒られるかしら？」
「え？どうして？」
「いやいや・・・。あ、フランちゃんに一度聞きたかったんだけど・・・ウィルド君て優しかった？」
「え？・・・誰のこと？」
「あ・・・しまった。内緒だったわ。い、いいのよ。こっちの話よ」
　２人が暖炉のまえで楽しそうに話していると、突然、勢いよくドアが開いた。
「あ、フランソワーズ！ここにいたのか・・・。よかった・・・。心配したよ」
飛び込んできたジョーは人目もはばからず、フランソワーズを抱きしめた。
　最近ジョーは、根拠のない不安にしばしば襲われる。
自分がちょっと目を離したすきに、彼女がいなくなってしまうのではないか。
手の届かないところで、彼女がとてつもないことに巻き込まれてしまうような気がしてならない。
そんなはず、絶対にない、と思う。
なのに、フランソワーズの姿が見えないとつい半狂乱になって彼女を探している自分がいた。
「ちょ、ちょっと待って・・・。どうしたのよ、ジョーったら・・・ぷーちゃさんが…」
フランソワーズは真っ赤になって、そっとジョーの体を離した。
「あ・・・ぷーさん、こんばんわ」
「いつも・・・お二人とも仲いいですね・・・なのになのに・・・ううっ…どおして…あんな…」
急に泣き出したぷーちゃに、二人はびっくりして顔を見合わせた。
「どうなさったの？」
「何か・・・心配なことでも？」
フランソワーズとジョーは懸命にぷーちゃに尋ねる。
ずっと俯いていたぷーちゃは、はっと顔を上げると、またプロフェッショナルの顔に戻り、首を横に振った。
「いえ・・・何でも・・・。秘密は守らなくては。でも・・・やっぱり・・・博士は・・・ひどい・・・」
ぷーちゃの瞳は涙で一杯だった。
「いい？ジョー！今のうちだけでも・・・しっかりフランちゃんを抱きしめておくのよ！」
ぷーちゃがドンっとフランソワーズの背中を押して、ジョーに抱きつかせたので、また２人は真っ赤になった。
「な、なんですか・・・いきなり・・・」
ジョーが照れくさそうに睨む。
「いい？博士のたくらみに負けちゃだめよ！通信機は…頭を打った時に壊れてたんだから！」
「え？たくらみって？……通信機？」
「フランちゃん・・・負けないでね！絶対にジョーを信じてるのよ！」
ぷーちゃがあまりに真剣に手を握りしめたので、フランソワーズは訳もわからず、ええ、と頷いた。
「じゃあ・・・私・・・帰ります。ホントにホントに・・・ジョー、フランちゃんを大事にするのよ！独りでドルフィン号の外に行かせたりしないでね！あ、それから…元帥なんて相手にしちゃダメなんだからね！我慢すれば、冬休みの札幌で、いい思いできるんだから！ムフフ・・・。じゃあ・・・」
一気に捲し立てたぷーちゃにあっけに取られ、二人は玄関で呆然とその後姿を見送った。
「ぷーちゃさん…どうしたのかしら・・・」
「さあ・・・。博士のクスリって・・・もしかしたら・・・あんまり身体によくないんじゃないのかな・・・。ぷーちゃさんの病気、だんだんひどくなるような気がする」
「そうかもしれないわね。不治の病ですものね・・・。気の毒だわ」
「でも・・・ぷーちゃさんは意外といい人だってよくわかったよ」
「でしょう？」
フランソワーズは嬉しそうにジョーを見つめる。
「だって・・・こうやって・・・」
「あ・・・ん・・・ジョーったら・・・」
「君を大事にしろだなんて・・・」
「あ・・・ま、待って・・・」
突然バタン、と玄関の戸が開いた。
「あっ！」
「ぷ、ぷーちゃさん！！」
「原稿・・・わすれちゃった・・・・けど、どうぞどうぞ！ごゆっくり。続けて！原稿は明日でいいから！お邪魔さま！」
ニヤリと意味深な笑いを浮かべ、ぷーちゃはあたふたと出ていった。

――翌日。
「ジョー！大変なの！ちょっと来て！」
２階からフランソワーズのタダならぬ声が聞こえる。
ジョーはびっくりして、慌てて階段を駆け上がった。にゃーこ博士の部屋だ。
「な、何があったの？まさか・・・フランソワーズ！」
血相を変えて飛び込んで来たジョーに、フランソワーズが駈寄った。
「これを見て！博士ったら書置きなんか残したりして・・・どこ行ったのかしら？
ぷーちゃさんが今晩原稿を取りに来るのに・・・」
「なになに・・・『もうこれ以上、かわいそうで書けません。誰か助けて。辛いよおお！』だって？」
「どうしましょう・・。ぷーちゃさんに連絡した方がいいかしら・・・」
困ったもんだ、とジョーは腕組みをした。
最近、どうも筆が進まなくて・・・と博士はこぼしていた。
時々困った顔で彼らの顔を見つめては、はあっとため息をついていた。
「もしかしたら・・・」
えっ、とフランソワーズが怪訝な顔をした。
「何か心当たりがあるの、ジョー？」
「いや・・・でも、どうかな・・・」
ちょっとこのところ派手にやりすぎたか、と実はジョーも気になっていた。
博士が自分の部屋に篭りきりなのをいいことに…。
昨夜なんて、モロにぷーちゃさんにその現場を見られてしまった。
フランソワーズもとても恥ずかしがっているけれど、つい佳境に達すると二人とも我を忘れてしまう。
いわゆるリミッターが外れた状態だ。
きっと・・・博士の仕事の邪魔になっていたのだろう。
（でも、手紙の続きは・・・どういう意味だろう）
『ああ、なんであんなことになっちゃったんだろう。すれ違いにもほどがあるわね。彼ったら、ほんとに腹が立つほど鈍感でアホで・・・不器用なのよ！どうしようもないの！なんかイメージぶち壊しだわ！』
そう言えば最近、博士はおかしかった。
フランソワーズと僕の顔を交互に見比べては、悲しそうな顔をしたり、彼女の背中に向かって、ひどい目に合わせてごめんね、と手を合わせていることもあった。
ぷーちゃさんはぷーちゃさんで、相変わらず訳のわからないことを言ったりするし。
フランソワーズを大事にね、とか言いながら、時々恨めしそうに僕を睨みつけている。
『ジョーのお馬鹿！アンタがしっかりしないから…フランちゃんがあんな目に…。おまけに大事な約束まで忘れるなんて、ホント！どうしようもないわ！』
こっそり呟いているのを、僕はちゃんと聞いていた。
この人の言ってることなんか、いちいち気にしていられない。
そう思っていた。だけど…。
「どうしたの、ジョー？」
「いや・・・何でもないよ。とにかくぷーちゃさんに聞いてみよう。何か知ってるかもしれない」
ジョーは受話器を取り上げると、ぷーちゃの携帯の番号を押した。


『そんな・・・どうしよう！このまま穴を空けるようなことになったら・・・。
Daydreamの編集長としてのメンツにかかわるわ！企画は速効吸い上げる！仕事はすぐ人に振る！
お尻はバシバシ叩く！そして締め切り厳守！それが私のモットーなのよ！
そうやって今の地位を築きあげてきたのに…・』
電話の向こうで彼女はべそをかいていた。
ジョーは、ぷーちゃに電話をかけたことを後悔し始めていた。
『あ・・・でも大丈夫か！博士の原稿がなくても、「いくじなし！」もそろそろ仕上がるだろうし・・・。ま、いっかな・・・』
博士が、何やら深刻そうな書置きをして姿を消してしまったというのに、この人は博士よりも、原稿と自分の仕事の心配ばかりしている。
（昨日は、ぷーちゃさんのこと少しいい人だと思ったけど・・・やっぱりイマイチ信用できないな）
「とにかく・・・僕達、博士を探しに行ってきますから。ぷーちゃさんも何かわかったら、すぐに連絡してください」
そう言って切ろうとすると、ぷーちゃがで慌てて叫んだ。
『ああああ！！ちょっ・・ちょっ・・ちょっと待って、ジョー！あなた達、探すったってどこを探すつもり？あてはあるの？』
思わず返答に詰まった。ジョーにも、これといった手がかりなどない。
『博士のことは私に任せて、ジョーくん達はそこで博士の帰りを待っててください。ね？・・・お願い。・・・これ以上、ふたりが博士を刺激したら・・・それに・・・え？刺激・・・・・・？』
急に黙り込む。やっぱりおかしい。彼女は何か知っているのか？
「ぷーちゃさん？」
『・・・あ？！いえいえ！！何でもないの！こっちの話。ところで・・・ねぇ、ジョー、一つだけ聞いていい？あなた・・・最近、変わったことない？』
「変わったこと…って」
『何か体調に変化というか何というか・・・』
「いえ・・・別に・・・」
あるとしたら・・・フランソワーズに対して歯止めが効かないことと…。
彼女が…自分の手の届かない、どこかへ行ってしまうんじゃないかって、妙に不安になることくらいかな？
『や！無いならいいんです！じゃっ！』
そう言ってぷーちゃは、電話を一方的に切った。


「・・・ねぇ、ジョー・・・この・・・『鈍感でアホで』って・・・誰のことかしら・・・？不器用って？」
ぷーちゃに言われて、落ち着かないまま待っている間、フランソワーズは手紙を何度も読み返していた。
ジョーは顎に手をあてて考えこむ。
「うーん・・・そうだな・・・」
ちっともわからない。ぷーちゃには手紙の意味がわかっているのだろうか？
ジョーが手紙を読み上げた時、彼女は『ああん！もう！博士ってば！鈍感だってアホだって・・・最後に深く受け止めてくれりゃチャラなのにぃ！それで絆が確認できたらいいのよっ！！いぢめるのだって、ホントは楽しいんだから♪』などと口走っていた。
さっきの電話も何か隠しているようだったし。
彼女は、確かに何か知っている。・・・でも、一体何を？

「そうだわ！」
突然、フランソワーズが声を上げた。
「杉本博士が何かご存知ないかしら？博士ならにゃーこ博士と共同でお仕事なさってるから・・・ひょっとしたら・・・」
そうだ。杉本博士なら何か知っているかもしれない。
フランソワーズの言葉に頷き、ジョーが電話に向かった時、玄関のチャイムが鳴った。


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