「もうっ……！だから嫌だったのよ、映画に出るなんてっ……」 「フランソワーズ……」 ジョーは泣きじゃくるフランソワーズの肩を抱き、こっそりと何度目かのため息をついた。 まったく……うちの困った博士達のせいでフランソワーズが朝からご機嫌斜めだ。 ここ数年、 「ジョーや、あたしゃもう枯れちまったよぉぉぉ……愛を研究する気力も何もないよぉぉ……特効薬すら見つからないよぉぉ……」 なんて縁側で渋いお茶をすすりながら背中を丸めていたnyako博士。 七星博士に至っては、 「あんたがちっとも動かないから描こうって気がまったく起きないぢゃないのよっ！たまには自分から学ランでも着てコスプレ魂見せてやろうって気はないわけ？！」 と、ボクに八つ当たりする始末。 そんな風にすっかり呆けたようになっていた博士達が、2012年に入ってから徐々にやる気を見せ始め、今ではその目にかつてのギラギラとした研究者らしい狂気の光までも取り戻していた。 ボク達が映画に出る。 それはかなり前から水面下で動いていた話らしく、ボク達がそのことを聞かされた時点ではもはやボク達が出演することについて否も応もないところまで計画は進んでしまっていたのだった。 後で漏れ聞いた話では、当初の計画段階ではもっととんでもない設定になる可能性もあったらしい。いつもヘラヘラしている両博士たちも、さすがにその話には激怒したという。 「ま、詳しいことはいいじゃない。どうせ消えた企画だし」 「うん……ジョーに地球を破壊されたら困るからね」 今回の脚本も、幾つか首をひねる設定もあったけど、大筋ではまあいいかと許容できる範囲ではあった。 だがフランソワーズは、あるシーンの演出についてどうしても首を縦には振らなかった。 そのシーンのセリフはフランソワーズの一言だけ。 「また……私だけ、３つも歳をとってしまったわね……」 そのあと―――ト書きを読んだフランソワーズは真っ赤になってうつむいてしまった。 何て可愛いんだろう。いくつになっても……まぁ、ボク達は歳をとらないからこういう場合は何年経っても、と言うべきかな。フランソワーズはいつまでも出会った頃のまま、汚れのない可憐な少女のままだ。 ボクはそんなフランソワーズだからこそ永遠に心惹かれるのかもしれない。 でも。 「イヤよ！こんなこと……誰かの前でするなんて……絶対に……イヤ……」 彼女は恥ずかしさのあまり消え入るような声で呟いた。 「だぁいじょうぶよ！あの監督ならきっとキレイに撮ってくれるから♪あの人、結構お洒落だし」 「それに、どうせ後から、チャチャっと顔とかいろいろ加工して変えるって言ってたし、いつものあなた達とは違った雰囲気に見えるだろうから、大丈夫よ、心配しないで」 「そうそう！あくまでも映画のお話の上でのことなんだから〜」 一緒になって台本を覗き込んでいた二人の博士は血走った目を大きく見開いて、畳み掛けるようにフランソワーズを説得し始めた。 「ちゃ〜んとうまく話はつけとくから、ね、フランソワーズ！」 「そうそう、神様は、越えられない試練は与えないと思うの」 結局、そのシーンについては博士達に煙にまかれたまま話は進んだのだが、次に台本に異を唱えたのはボクだった。 「これ、かなり彼女が危険な行動をするシーンがあるけど……もちろんスタントの吹きかえか、CGで合成するんですよね？」 大事なフランソワーズにかすり傷ひとつつけたくない。爆発の起きているビルに向かって空からダイブするなんて、もし彼女に何かあったらどうしてくれるんだ。 「私……できるわ」 nyako博士がフランソワーズの声マネをして、澄ました顔でそう言った。 「いやいや博士、こんな時に冗談は止めてくださいよ。命にかかわることなんだから」 もしフランソワーズに何かあったら、ボクは人類をやり直すための闘いに先頭に立って参加するだろう。 「ジョー、私、冗談のつもりなんかじゃないわ」 ボクは自分の耳を疑った。 博士がフランソワーズのふりをして言ったのではなく、茶々を入れようとして口を開いた博士より先に、フランソワーズ自身が発した言葉だったのだ。 「フ、フランソワーズ？！なんて無茶を……。危ないよ、こんなことキミにさせられない！」 慌てるボクには構わず、愛らしい得意顔で彼女は澄まして言った。 「アラ、私だって００３なのよ？それともジョーは、落ちてくる私をキャッチする自信がないのかしら」 自信がない、だって？ そんなことはありえない！ 「このボクがキミを守れないなんてこと、絶対にあるわけないじゃないか！」 ムッとしたボクはすぐさま反論した。 ところが、恋人としての矜持を示す力強い言葉を粉砕するように、nyako博士が割って入った。 「フランちゃん、この映画は立体視の３Ｄ・ＣＧの技術も売りみたいだから、大丈夫。ここは無理に飛ばなくてもいいのよ。ジョーのことだから、あなたが落ちたことにも気がつかないってことだってあるしね」 ちょっと待ってくれ。 君が落ちたことに気がつかないだって？そんなことは博士の妄想話の中でしかあり得ないのに。 「ありがとうございます、博士。でも私、どうしても自分でやりたいの」 フランソワーズは静かに、でもきっぱりと言った。 「どうして？」 首を傾げる七星博士に、フランソワーズは薄っすら染めた頬を小さく膨らませた。 「だってこの監督ったら、私のことを『いつも柱の影でめそめそしているだけのフランソワーズ』なんて言ってるんだもの。失礼しちゃうワ！」 ああ、そういえば先方が用意した設定資料に、監督の意向やらボク達の印象やらが書いてあったっけ。 あの言いようじゃ、確かにフランソワーズが気分を害するのも無理はないな。 もしも彼女が『柱の影でめそめそしているだけ』の人だったなら、おそらく今こうしてボクの隣りにいることはないだろう。 もちろん誰よりも優しい心の持ち主だから、闘うことに心を痛め、時には涙を零してしまうこともある。でも、それでも自分の身の危険を顧みずに、守るべきものを背にして立つ。それがどんなに辛くても。フランソワーズはそういう人だ。 だからこそ、ボクは彼女を愛さずにはいられない。 「私、フランソワーズはちゃんと００３だった、って監督にきっと言わせたいの」 こうして映画の撮影は始まったのだ。 撮影はトラブルもなく、とてもスムーズに進んだ。 それはボク達がゼロゼロナンバーサイボーグだから、という理由もあったけれど、それ以上にフランソワーズの演技の素晴らしさにあったと思う。 ボクたちの場合、いつものふたりの気持ちのまま向き合えば、映画の００９と００３の関係はすべてがそのままで成り立ったから、わざわざ「演技」をする、というのとも少し違っていたけれど。 例の、ボクに向かってフランソワーズがダイブし、ボクが加速装置を作動してキャッチするシーンでは、彼女は説明調で舌をかみそうになる程の長いセリフを滑らかに語り、右手で優しくボクの前髪を払い、左頬を撫で、万感の思いを込めてボクの目を見つめた。 脚本にはないアドリブの手の動きと、本当に３年ぶりに会うかのような切ない表情。 愛しさが募り、森タワーにぶら下がったまま、ボクはたまらず彼女を抱きしめ、口づけた。 「カーーット！！！！」 夢中になってフランソワーズの唇を貪っていた僕の耳に、監督の大きな声が飛んだ。 「ジョー君、気持ちはよーくわかるんだけど、それだとここが映画のクライマックスになってしまう。キスシーンは最後にもたっぷりあるから、自重して。台本通りにね」 ついＮＧを出してしまったが、それより腹立たしいのは……ったく映画の島村ジョー！こんなフランソワーズを前にして、彼女との記憶の全てを思い出さないなんて、あり得ないだろう？！ 画面から溢れるように魅力を振りまく彼女に引っ張られるように、撮影スケジュールはますます順調に進んだ。 だが、今思えば、その順調すぎることにもっと疑問を持てばよかったのだ。 なぜこんなにもスムーズなのか。それは何か余計なモノの姿がないからではないか？ 今までたいていこんな時には、アイツがウロチョロしてやいなかったか？ アイツ……いや、名前ももう思い出せないぐらい長い間姿を見ていない。 ハインリヒによると、どこかへ消えちまった、らしい。 ボクのサイボーグ戦士としての勘が、何かがおかしいと告げているような気がしたが、きっと……疲れてるだけだから。そう思うことにして、ボクはそれ以上アイツを思い出すことをやめた。 そして撮影も残すところ、フランソワーズが最後まで嫌がった、あのシーンだけとなった。 博士たちは脚本を変えてもらうように何とかする、と言っていたけれど、今日の監督との打ち合わせではそんな話は出てこなかった。 いよいよ撮影前夜になり、彼女の口数はどんどん減っていった。 艶やかな唇から、いつしかため息だけが漏れるようになった。 「ああ……どうしよう……」 ベッドに腰掛け、俯くフランソワーズ。どんどん元気がなくなっていく彼女を見ていられず、ボクは重い空気を変えるように言った。 「フランソワーズ、明日監督にちゃんと交渉してみよう。もう少し、その……キミがやりやすい演出に変えてもらうように。キミが登場するところなんて、スーツ着たままでもおかしくないと思うし」 そうしたらボクにも脱がせるという役得が回ってくる、などと思ったことは、さすがに口には出さなかったが。 「……本当に？いいの？」 驚いたように顔を上げるフランソワーズ。澄んだ蒼い瞳に小さく光が差す。 「うん、だからもうゆっくり休んだ方がいい」 「ああ……ジョー、ありがとう」 と、蕾がほころぶような笑顔を見せた彼女が、しばらくしてふと言い出した。 「もし……もう、本当にあのシーンをしなくていいのなら……ここで一度だけ、演ってみようかしら」 ボクは驚いて彼女を見つめた。 「フランソワーズ？！イヤなんじゃなかったの？」 「イヤよ！みんなの前ではイヤ。でも……あなたとふたりだけなら……」 頬を染めて、潤んだ瞳でボクを見上げた。　 「それに……せっかくの脚本でしょ？一度も全部演らずに終わってしまうのも、心残りというか……」 まったく女の子って不思議だなぁ……。でも情感あふれる美しいシーンで、フランソワーズの魅力が全開になる場面だ。勿論ボクに異議なんてあろうはずがない。 映画はともかく、ここなら誰もいないし、あのシーン自体いつものボクたち2人だけの時間とやっていることは何も変わらないのだから。 どうせ演じるなら、と白いスーツの衣装にわざわざ着替えたフランソワーズは、本当にリハーサルを始める雰囲気で、例のセリフをつぶやいた。 もちろんその後はリハーサル……では終わらず、文字通り本番に突入したわけだけど。 翌朝、かなり遅くなってしまった朝食の席で、ボクたちはスタッフからの伝言を博士たちから聞いた。 「……というわけで、今日の撮影はナシ！」 「全部お仕事終了らしいわよ〜、お疲れ様〜！ふたりとも♪」 ボクたちはあっけにとられて顔を見合わせた。 どういうわけかよくわからないが、とにかくフランソワーズが嫌がっていたシーンも回避することができ、撮影もすべて完了したというのだからよしとしよう。 こうして、あとは編集作業の完了と2012年10月末の公開を待つだけ、となったのだったが。 今日、研究所に送られてきたDVDを見るなり、フランソワーズは泣きだしてしまったのだ。 あのシーンがしっかり挿入されているじゃないか！ どういうことだ？ しかも画面のあの迫力。生々しい音声。 ボクたち二人だけのリハーサルと本番だったのに。 絶対に盗み撮りされたとしか思えない。 おまけに、あの夜フランソワーズが身につけていた淡いピンク色の下着は、わざわざ大人っぽく艶めかしい黒に加工されている。 何てことだ。 ００９としたことが迂闊だった。 本番部分がカットされていてよかった……などと、胸をなでおろしている場合ではない。 彼は……彼のしようとしたことは、こんなことだったのか！！！ ドバイまでマッハ５で駆け抜けてしまいそうなほど憤慨するボクに、nyako博士が一枚の手紙を差し出した。 「さっき、これが届いたの」 差出人は……。 そう。ボクが思い出すのをやめたアイツ。 ぷーちゃ編集長。 アイツからの手紙だった。 部屋に隠しカメラを仕込んだのも、すばやく回収して監督に渡したのも、全てぷーちゃの仕業だったのだ。 手紙には、 「『彼の声』に従って人類を幸せにする計画を実行しようとしたの。でも、まさかこんなにうまくいくとは思わなかった。これさえあれば世界は救われる。私もヴェネツィアのセーフハウスに行けますように」 いつものように意味不明なことが、殴り書いたような乱れた文字で記されていた。 「もう、おもてを歩けないわ……！」 そう言って大粒の涙を零すフランソワーズに、ボクはかける言葉もなく、ただそっと抱きしめようとした。 が、次の瞬間、あっという間に二人の博士がフランソワーズをボクから奪い取った。 「フランちゃん、泣かないで！フランちゃんのおかげで世界中の人が救われたのよ！」 「あなた達の美しい愛の姿を見て人類は心を入れ替えたんだから！」 「珍しく編集長が言った通りよ。人類を幸せにする計画のため、あなたは頑張ったの！みんなの幸せのために、無限の可能性を秘めた人類を目覚めさせるために、あのシーンは絶対に必要だったのよ！」 「そうそう！君のおかげでね、フランソワーズ♪」 世界中から沸き起こる群衆の歓声を代弁するかのように、博士たちは興奮した声で叫んだ。 あっけにとられていたボクは、呆然と博士たちを見つめた。 『終わらせなければ始まらない』 大きく背中に書かれたおそろいの白衣を着た博士達が、ニコニコしながらフランソワーズを取り囲んでいる。2人の衣装は間の抜けた特攻服のようだ。 それにしても達者な口だな。ハインリヒ、というかアルベルトのマシンガン並みの猛攻撃、いや、猛口撃だ。あの調子ならびっくりしてフランソワーズの涙もすぐに止まるだろう。 とにかく大騒動になってしまったけど、この映画の刺激で博士達が少し元気になったということはボク達にとっても嬉しいことだった。 　今も二人は３Ｄグラスをかけ、ビエラの大画面にかじりつきながら大騒ぎだ。 「だ〜か〜ら〜、私たちはずっと昔からフランちゃんは天使だって言ってたのにぃ」 「そうそう、前回ハロウィン用にプレゼントしたスケスケのネグリジェ、ジョーはまだ持ってるかしら？」 「あの恰好のままフランちゃんが化石になっちゃったら大変よね。化石を見た人は、イケナイ声を聞いちゃうかも♪」 あーあ、相変わらずだ。この調子じゃ、学ランじゃなくブレザーの制服の高校に通ったり、いつまでたっても終わりそうにない話の中でフランソワーズをこの手に取り戻したり……と、また僕たちもいろいろ忙しくなるのかもしれないな。 まぁ、フランソワーズと一緒にいられるなら何でもいいか……。 ドルフィン号の中でフランソワーズとボクが仲良くするシーンだけが延々と続く、っていうＴＶシリーズも見てみたい気がするし……。 とりあえずセリフ廻しと、キスシーンの練習でもしておくかな……。