Ⅰ．
「ええ・・・。こっちもいいお天気だったわ。あ・・・ありがとう。それじゃあ・・・おやすみなさい。気をつけてね」
受話器がそっと置かれた。
「なんだ？あれで終わりか？せっかく席をはずしてやろうと思ってたのに」
腰を浮かしかけていたグレートが、またソファーに座り込み、自分の部屋に戻っていくフランソワーズの様子をうかがいながら声をひそめた。
「たった３０秒だぜ？まさか電話代ケチってるわけじゃないだろ？」
「ったくアイツらときたら・・・何をぐずぐずやってるんだか」
ジェットがいらいらしたように言う。
「いつ聞いても『僕たちは・・・別に』だとよ！照れてごまかしてるだけかと思ったが、最近・・・ホントにそうじゃないかって気がしてきたぜ」
そりゃあ、紅一点のマドンナをアイツに独り占めされるのは面白くない。
だが、あの二人が惹かれあってることなんて、誰が見てもわかることじゃないか。
サイボーグだから、仲間だからって、何をいまさら遠慮してる？
もどかしいというか、ウブというか。
大体、ジョーのやつがうじうじしてるからいけないんだ。
好きなら好きとはっきり言えばいいのに。
アイツがあんなふうだから、フランソワーズまでそれに合わせるように、どんどん引っ込み思案になっていって。
パリジェンヌが、いつの間に大和撫子になっちまったんだ？
俺たちに気を使ってくれるのはわかるけどよ、この間のチョコレートだって、とジェットは一気にまくし立てた。
「あれくらいは・・・区別してやればよかったのに。ジョーが可哀想だったぜ」
「ははは！それをネタに、君がまた・・・ジョーをからかうってわかってるからだよ」
「何だよ、ピュンマ！俺のせいだって言うのか？とにかく、ここは俺たちの出番だな、ミスター・ボンド」
「おう！我輩に任せとけって！ホワイトデーの演出なら・・・お茶の子だ！」
「ふ・・ん」
鼻で笑った俺に、ジェットとグレートは不愉快そうな顔を向けた。
「何だよ、ハインリヒ！お前は仲間として一肌脱いでやろう、って気にならないのかよ？」
全く・・・よく言うよ。
「偉そうに言ってるお前らこそ、馬に蹴られなきゃいけないんじゃないのか？」
きょとんとした顔でジェットとグレートは俺を見つめた。
「どういうことだ？」
「ふ・・・おせっかいやいてるつもりで、人の恋路を邪魔してちゃあ、笑い話にもならない」
「邪魔？邪魔なんかしてないぜ！」
「どうだかな・・・」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　こんなにのんびりした２月は初めてだった。
「日本にいるんだから、日本風にね」
そう言って、彼女はにこやかに、みんなにチョコレートを配った。
包み紙とリボンの色が違うだけで、誰のも中身は同じ。
そういうところがいかにも彼女らしい。
「ひょっ！みんな同じだ！おい、ジョー・・・何がっかりしてる？」
「が、がっかりなんかしてないよ・・・」
ジェットにからかわれ、彼は真っ赤になる。それをまたグレートが冷やかす。
研究所のリビングは笑い声に包まれた。
それから、大人とフランソワーズが腕を振るったご馳走を肴に、いつものどんちゃん騒ぎが始まった。
「おい！ジョー！酒が足りねえ！早くビールもってこい！」
さっそく酔っ払ったグレートが、絡んでいる。
ジョーは困った顔をしながら、玄関脇の倉庫にビールを取りに部屋を出て行った。
そうだ。ちょうどいい。あのとっておきのワインを開けよう。
俺は、ドイツから持ってきた極上の白ワインを取りに、いったん部屋に戻った。
階段を降りようとした時、ちょうど真下から声が聞こえた。
ビンを抱えてリビングに入ろうとしたジョーを、彼女が呼び止めている。
「あの、ジョー・・・」
あれ、どうしたの？と、彼女を見つめるアイツの目に、俺は思わず苦笑した。
ったく、なんて顔してるんだ。
戦場にいる００９と、とても同一人物とは思えない。
「そうだ・・・チョコレートありがとう、フランソワーズ」
「あ・・・ううん。そんな・・・あ、あの・・・あのね・・・」
彼女は、頬を染めて、しばらく口ごもっていたが、やがて決心したようにまた口を開いた。
「あのね・・・あとで・・・寝る前に、私の部屋に来てくれる？」
え？と、アイツは不思議そうな顔をした。
「あの・・・遅くなってもいいから・・」
なるほどね、そういうことか。
おい、ジョー！お前より、彼女のほうがよっぽど勇気もあって・・・しっかりしてる。
ったく、この・・・幸せもんが！
ところが、アイツときたら平然とした顔で、うん、わかった、と頷き、そのままリビングに入っていった。

何が「わかった」だ。全然、あれはわかってない。
どこまで鈍感なのか、それともよほどの大物なのか。
階段の踊り場に身を潜めていた俺でさえ、あきれてため息が出る。
ギルモア博士は、アイツをサイボーグにするときに「恋愛回路」をはずしちまったのか？
彼女は、じっとリビングの扉を見つめていたが、小さく肩を落として、キッチンへと入っていった。
結局、彼女は、そのあと俺たちにちらっと顔を見せただけで、いつのまにか自分の部屋に戻ってしまったようだった。

　ところが、それからはジェットとグレートが絶好調。ジョーに絡んで、決して離そうとしない。
「お前な・・・ホワイトデー、一人でぬけがけしたりしちゃ、許さないからな！」
「そうそう！みんな同じもんもらったんだ！彼女の愛の深さは同じなんだよ～！企画くらいはさせてやる。だが、独り占めはイカン！ほら、飲め飲め！飲んで、ちゃんと計画立てろよ！」
わけのわからないことを言って、あの二人は無理やりジョーに酒を飲ませる。
「で・・・ホントは何かもらったんだろ、ジョーだけへのプレゼント♪・・・ってのを」
「ち、違うよ。僕たちは・・・別に・・・そんな」
「水臭いこと言わずに、正直に吐けよ！さあ、飲め！」
何度か、ジョーに「行かなくていいのか？」と言ってやろうとした。
だが、２人の会話を立ち聞きしていた、と誤解されかねないし、――まあ、正直に言うと面白くない、という気持ちもなかったとは言えない。
ジョーの奴をからかい放題の２人をたしなめもせず、俺はだまって酒を飲んでいた。

　どれくらいの時間がたったのだろう。
気がつくと、俺は毛布をかぶって寝ていて、あたりは明るくなっていた。
周りを見渡すと、みな、リビングのあちこちに転がって寝ている。
飲んだり食べたりして散らかっていたはずのテーブルの上には、何もなかった。
あの３人――。
（アイツ・・・何をやってるんだ）
ジョーは、グレートにのしかかられて、ジェットの胸に顔を埋めるようにして眠っている。
（・・・たく、相手が違うだろうが！・・・てことは？）
彼女は、７枚の毛布を持って降りてきて、一人で片付けて・・・。
胸が苦しいのは、二日酔いのせいだけじゃない。

　その日一日、俺も含めて、みなひどい頭痛と吐き気に苦しんだ。
散々飲まされたジョーは、とても気分が悪そうで、ほとんど自分の部屋に引っ込んで、ベッドに臥せっていた。
あの様子では、昨晩のことなど、ほとんど覚えていまい。
いつになく静かな研究所。
だが彼女は変わらない笑顔を浮かべて、老人と赤ん坊と、それ以上に手のかかる７人の悪ガキの世話に明け暮れていた。
そのまま何事もなく、３日たち、１週間があっという間に過ぎていった。
多分そのことを思い出しもしないまま、アイツはオーストラリアに行ってしまった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
「まずいな・・・」
「ああ、確かにまずい」
ジェットとグレートは顔を見合わせ、うなだれた。
「だけど、何であの時・・・ジョーは何も言わなかったんだよ！」
そんな大事な約束があるなら、すぐに放免してやったのに、とジェットはぶつぶつ言った。
「ジョーが、自分からそんなこと言い出だすと思うか？彼女が待ってるから、ってお前たちを振り切って？あれだけしつこく絡んでたくせに」
俺の言葉に、二人はさらにうなだれた。
「じゃあ・・・せっかくのチャンスを俺たちがつぶしたってことか？そして・・・そのまま、ジョーは忘れたままなのか？」
「だろうな」
「はあ～っ！何てこった！フランソワーズ・・・全然いつもと変わらねえから・・・。ああ・・・恨まれただろうなあ。いや・・・彼女のことだから恨んだりしないな。うううう！余計に辛いじゃねえか！！ったく・・・お前がいけないんだよ！」
「拙者一人に罪を着せる気か、ジェット？・・・それならなおのこと、ホワイトデー計画、しっかり練ろう！アイツ、いつ帰ってくるんだ？」
まだわかってないのか。俺は思わず舌打ちをした。
「グレート！もう、余計なことをしないほうがいい。お前たちがおせっかいを焼くと、ロクなことにならないぜ」
「そうだよ。あの二人には、二人なりのペースがあるんだから。ちゃんとなるようになるさ。真実の愛ならば、ね」
悟りきったようなピュンマの言葉に、俺たちは一斉に吹き出した。





Ⅱ．
　今シーズンの幕開けは散々な結果に終わった。
マシンのトラブルや、コースとの相性とか、さまざまな要因が積み重なったせいなのだが、もしかしたら僕の気持ちが沈んでいたことも、多少は、いや、きっとかなり影響していたはずだ。

　出発の日、彼女が空港まで送ってくれた。
取材のマスコミや、見送りの人たちでごった返す出国ゲート付近を見て、僕が困った顔をしたのに気づいたのだろう。
「あ・・・じゃあ、私・・・帰るわ」
フランソワーズは優しく微笑みながら、僕を見つめた。
「え？もう帰るの？忙しい？」
普段は、めったに過ごせない２人だけの時間。
まだしばらくは大丈夫、と思っていた僕は思わず焦った。
「ううん、レッスンは昼からだし・・・まだ大丈夫だけど・・・」
「じゃあ、コーヒーでも飲もうか」
彼女は、なぜかクスッと笑った。
そして僕も思い出した。
ついさっき研究所を出る前に、２杯もコーヒーを飲んだことを。

　人目につきにくい小さなカフェに入る。
「この次は・・・マレーシア？」
「うん。・・・でもその前に、一度戻ってくるから。６日には戻れるかな。次は・・・１２か１３日に出発するまでは日本にいられる」
「１３日に出発するの？」
彼女の意外そうな声。
「どうかした？」
「いいえ・・・何でもないわ」
一瞬、フランソワーズの顔が曇ったように見えたのは、気のせいだったのだろうか。
その時、携帯が鳴った。スタッフからの連絡。
出国手続きをしなければいけない時間だった。
ゲートにたむろしていたマスコミは、中に入って取材しているらしく、すでに混雑はなかった。
「じゃあ、行って来るよ」
「ええ、気をつけてね」
いつもの優しい笑顔で、彼女は手を振ってくれた。

飛行機の中で、ずっと考えていた。
あの時、どうしてあんな淋しそうな顔をしたんだろう？
１３日にどんな意味があるんだ？
答えが全く思い浮かばないまま、退屈紛れに機内誌を手に取る。
何気なく開いたページに目が釘付けになった。
機内販売の免税品の案内。
洒落たクリスタルのビンに入った香水。美しくレイアウトされたページに踊る文字。
「Ｗｈｉｔｅ　Ｄａｙ　の贈り物にいかがでしょう？３月１４日はあなたの真心を届ける日です♪」
すっかり忘れていた。
そうだったよ。３月１４日はホワイトデーだ。
お前がちゃんと計画をたてろ、とジェットやグレートが偉そうに言っていたな。
確か・・・バレンタインデーの夜に。
―――バレンタインデーの夜？
突然、僕はとんでもないことを思い出し、天井を仰いだ。

　バレンタインデーの翌朝、フランソワーズがさっきと同じような顔をしたことに、僕は気づいていたのに。
どうしてあの時、すぐに思い出さなかったんだろう。
「大丈夫？」
「うん・・・ごめん。迷惑かけて・・・」
「ううん、そんなの・・・いいのよ。でも・・・相当飲んだのね？大丈夫？」
「いや・・・どのくらい飲んだのかも覚えてないよ。昨日の夜のことは、ほとんど記憶にない」
僕がそう言ったら、君はなぜか淋しそうに笑った。
君のそんな顔、今まで見たことなくて、気になっていたのに。
でもそれはほんの一瞬だけで、あとはいつものとおりの君だったから、僕はいつのまにか忘れていた。

　僕は何をやってるんだろう。
君との約束だったのに。
しかも、今までそのことをちっとも思い出さなかったなんて。
オーストラリアから電話をかけても、フランソワーズの優しい声はいつもどおりだった。
今からそのことを尋ねても、きっと君は「大したことじゃなかったと思うわ。私も、もう忘れてたもの」とか言って僕をかばってくれるに違いない。
余計に辛い。
日本に帰ったら、ちゃんと謝って、１日か２日早くなっても、ちゃんと僕は僕だけのホワイトデーを考えるから。
早く君に会いたい。
ずっとそんなことばかり思っていた。

　ところが、レースが不本意な結果に終わった直後のことだった。
僕の頭に、いきなり脳波通信が飛び込んできた。
”残念だったな、ジョー。だが、これからがホントの出番だぜ！”
”ハインリヒ？今・・・どこだ？”
”近くまで迎えに来てる。すぐ出発だ”
ツアーが始まったばかりだが、しばらくレースは棄権。
いつこうなるかわからない、という条件で参戦しているものの、スタッフにまた迷惑をかけるかと思うと、居たたまれなかった。
でも、それは僕だけじゃない。
フランソワーズも、せっかくの舞台を棒に振ることになったんだ。あと１週間だったのに。
彼女の気持ちを考えると、自分のことよりも辛い。

だが、そんなことは言っていられない。
それが、僕たち、だ。
一人一人の思いよりも、優先させなければならない大切な使命がある。
”行き先はどこだ？”
”・・・アフガニスタン”
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　





Ⅲ．
「フランソワーズ、せっかくチョコレートもらったのに、悪いな。ホワイトデー、とっくに過ぎちまってた・・・」
ジョーの野郎に計画させて、みんなでパーっと騒ごう、なんて言っていたのに、本当にそれどころではなくなってしまった。
「ううん・・・。そんなこと気にしないで。あれは平和なときの、ちょっとしたお遊びですもの」
彼女は、みんなに紅茶を配りながら、にっこり笑った。

　ったく、今回ほど、歯がゆい事件はなかった。
裏で糸を引いているのがＮＢＧだとわかっているのに、その証拠がつかめない。
へたに手出しをすれば、ゲリラ同士の抗争の火に油を注ぎかねない。
結局、手をこまねいて見ていることしかできず、最悪の結果となった。
俺たちの無力さを、突きつけられたことが、何より悔しい。
こうやって研究所に戻ってからも、俺は気持ちが沈んだままだった。
だが、彼女がそこにいて微笑んでくれるだけで、ずいぶん救われる気がする。
ま、誰かさんがぐずぐずしていてくれるから、彼女はいつまでも、俺たちみんなのマドンナってわけだ。

「それに・・・バレンタインデーの夜もすまなかったな。君らが約束してたなんて知らなかったから・・・」
「え？」
グレートの言葉に、カップを持つ彼女の手が止まった。
リビングの空気が凍りつく。
「いや・・・フランソワーズが待ってるって知ってたら・・・邪魔なんかしなかったんだ」
白い頬が、さっと真っ赤に染まった。
俺は慌ててグレートの足を踏んだが、一瞬遅かった。
「どう・・・して・・・それを・・・？」
声が震えている。
「な、なんだよ、ジェット！？」
ちっともわかっていないグレートは、不愉快そうに足を踏んだ俺を睨みつけた。
「・・・・・・ジョーが・・・そう・・・言ったの？」
彼女の美しい顔はいつのまにか青ざめていた。
「みんな・・・知ってたの・・・？」
「あ・・・あの・・・フランソワーズ、そうじゃなくて・・・」
とりなすようなピュンマの声を聞いた途端、青い瞳から大粒の涙が溢れ、ガチャン、とカップがカーペットの上に落ちた。
「う・・・」
彼女は両手で顔を覆うと、廊下に飛び出していった。
「す、すまん・・・」
グレートは身の置き所がないとばかりに小さくなっている。だが、もう後の祭りだ。
ハインリヒはため息をつき、俺は思わず舌打ちをした。
「謝ってくるよ・・・」
立ち上がって、フランソワーズの後を追おうとしたグレートに、ハインリヒはかなりきつい口調で冷たく言い放つ。
「余計なことするな！お前が行ったって、どうにもならない」
俺もまた大きなため息をついた。
あああ、またやっちまった。何でこうなるんだよ？
ジョーの奴ならともかく、どうして彼女を傷つけることになっちまうんだ？
さすがの俺も居たたまれなかった。


「あれ？どうしたんだい？何かあったの？」
呑気な王子様は、絶妙の入れ違いのタイミングで登場だ。
大学時代の友人に会いに行った博士を、空港まで送りに行っていたジョーは、俺たちのこわばった表情に首をかしげた。
「みんな・・・いったい・・・何が？」
「ジョー・・・。すまん・・・」
え？と、ジョーは、しょげきっているグレートの隣に座ると、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「いや・・・グレートが悪いんじゃない。俺が余計なことを・・・」
ハインリヒの言葉に、ジョーはいっそう当惑した表情を見せる。
「い、いったい何のことだ？」
「実はな・・・」
ハインリヒが事の顛末を話している間、ジョーはぎゅっと組んだ自分の手をじっと見つめていたが、聞き終えてふうっと辛そうにため息をついて顔をあげた。
「みんな、すまない・・・。心配かけて・・・」
おや、っと思った。意外な言葉だ。
「あの・・・フランソワーズは・・・どのくらい前に？」
ついさっきだ、と俺が言うと、ジョーは頷いて、ちょっと見てくる、と静かに立ち上がった。


「おい、どうする？」
またため息をつきながら、俺はハインリヒを見やった。
「どうもこうも・・・俺たちじゃ、どうすることもできないだろ？アイツが何とかするさ。それぐらいできなきゃ・・・ホントに恋人の資格なしだ」
そうだな。まあ、ピュンマ言うところの「真実の愛」をそろそろ発揮してもらわねえと。
あと俺たちにできる事は――。
このままじゃ、ホントに馬に蹴られて死んじまわなきゃいけなくなる。
せめて、何か・・・。
「グレート！今日はアンタはんの奢りで、パーっと温泉旅行アルね！イワンの面倒、あなた見るアルヨロシ！」
突然、張々湖にビシッとキセルで頭を叩かれ、グレートは飛び上がった。
「え？ど、どういうことだ？」
さっすが大人！オトナだ。わかってらっしゃる！
鈍いグレートとは違って、この俺様はピン！と来た。
「さあ、早く出発しようぜ！お邪魔虫は・・・さっさと消えよう」
俺たちは、まだ事情の飲み込めていないグレートを引きずって、ドルフィン号に乗り込む。
温泉地にこれで乗りつけるってのは、問題といえば問題だが、これは緊急事態だ。
ギルモア博士も事情がわかれば文句は言うまい。
ちぇっ！あとは・・・うまくやれよ、ジョー！
小さくなっていく研究所を見下ろしながら、俺は、ハインリヒに見つからないように、こっそりとため息をついた。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　




Ⅳ．
　この前、こんなに泣いたのは・・・いつだろう。きっと記憶にないくらい昔のことだわ。
薄暗い自分の部屋に、階段を駆け上って飛び込んだ。
あのことをみんなが知っていたなんて、恥ずかしくてたまらない。
本当にジョーが、話したの？信じられない。どうして？
私の頭は混乱していた。
内緒にしていてね、なんて言わなかったわ。でも・・・あなたが、他の人に話すなんて思いもしなかった。
いつから、みんなはそのことを知ってたの？

　急に泣き出したりして、みんなに嫌な思いをさせて・・・ごめんなさい。
でも、がまんできなかった。勝手に涙が出て・・・止まらなくなってしまったの。
誰にも悪気がないことはわかってるのに。でも―――。
ベッドに突っ伏して泣いているうちに、次々といろんなことを思い出す。
気がついたら、私は声をあげて泣きじゃくっていた。

　あの時、きっとジョーは、私が何を言おうとしてたか、想像もしてなかったのね。
だから・・・あんなふうに平然としていられて、みんなにも話したんだわ。
いつもあんなに優しい目で見ていてくれるのに、あなたには私の気持ちが通じないのね？
「僕たちは・・・別に・・・そんなんじゃない」
あなたがそう言うたび、私の中の何かが悲鳴をあげる。
真っ赤になって焦っているあなたには、その声は聞こえないのね。

　もしかしたら、とふと思ったことがあった。
あの柔らかなまなざしは、私を見てるんじゃなくて、私を通して、何か別のものを見ている。
私は、彼が大事にしたいと思っている何かの、一部分に過ぎない。そんな気がした。
そうじゃないと思いたい。でもそう考えたら、何もかも辻褄が合う。
優しい瞳も、あの微笑みも、私をすり抜けていってるの？
それは――あなたが私のことを全然好きでないよりも、ずっと辛い。

　何を考えてるんだろう。私はどうしてしまったの？

　いつもは大丈夫なのに。
あなたのそばにいられるだけで幸せなのに。
ただ一緒にいられるだけでいいと思うのに。
でも・・・平和な時が続くと、私は、欲張りでわがままになってしまう。
こんな時間は、いったいいつまでも続くのかしら。今度こそ、もう最後かもしれない。
そう思うと、苦しいの。ずっとこのままなの？
こうして、私の思いだけが膨らんで、そしてしぼんで・・・。
そしてそのうち、どちらかが――いいえ、たぶん、２人とも戦いで傷ついて死んでしまうのね？

　そんなの嫌だわ。だから・・・。

　彼は来なかった。
ジョーのせいじゃないわ。あんな状況で、２人を振り切って来れるはずはないもの。
でもね・・・魔法が使えるのは、あの日１日だけだったのよ。
しんと静まり返ったリビングの様子を覗いた時、１２時の鐘が鳴り終わったことに気がついた。
馬車はかぼちゃに戻り、私の勇気も霧のように消えてしまった。
　ジョーは、ジェットの胸に顔をうずめるようにして、穏やかな表情で眠っている。
頬に、そっと指で触れるのが精一杯。
他のみんなも、リビングのあちこちに丸くなっていた。
私はテーブルに頬杖をついて、みんなの幸せそうな寝顔をぼんやりと見つめていた。

　平和な時間だから、こんな余計なことばかり考えてしまうのね。
それならいっそ、何も考えずに、あなたのそばにいられる戦場のほうが幸せかもしれない。
そんな浅はかなことを考えていた私に、神様はちゃんと罰をお与えになった。
お前がそれを望むのなら、と言わんばかりに、穏やかな生活は突然中断した。

――破壊と殺戮。
争いの中で苦しむ何百万という人たち。悲惨な状況だった。
私が自分だけの思いにとらわれていた間にも、多くの人が命を落とし、傷ついていたのだ。
あの大仏を占拠していたゲリラたちは、１２・３歳の少年兵が中心だった。
まだあどけない顔をして、鉛筆のかわりに握っている銃で、平然として人の命を奪う。
憎しみと復讐に育てられる子供たち。
すべてを奪われて、踏みにじられる女性たち。
自分たちの信じるもののために、他人を傷つけることさえ躊躇しない人々。
そんな光景を前にして、私たちはなす術もなかった。
あなたとずっと一緒にいられる場所は、人々の幸せとは正反対の場所。
私は、一瞬にせよ、そんな場所を望んだ自分を、激しく憎んだ。

　どうしてなの？
わたしはいったい何を考えてるの？
何が悲しいんだろう？自分でもわからない。
なぜこんなに涙が出るの？私、泣き虫じゃないわ。
でも、今は、ただこうやって泣いていたかった。
泣いていれば、何も考えずにすむから。
耳をふさぎ、目を両手で覆って、私は泣くことに没頭していた。
でも――心の中に、くっきりと浮かび上がってくる想い。
それを打ち消そうと、私は泣きじゃくりながら、声に出してつぶやいていた。
思っていることと、全く反対のことを。

――ジョーの・・・ばか！どうして？・・・嫌いよ・・・あなたなんて大嫌い！

　そんな自分の声を聞いて、私はまた涙をこぼした。
言えば言うほど、悲しくて淋しくなる。
どれだけあなたのことが好きか、思い知らされる。
だけど、そう言わずにはいられなかった。

　不意に優しい手が肩に触れた。
何が起こったのかわからなくて、心臓が止まりそうになる。
はっと顔を上げた私を、あの優しい茶色の目がじっと見下ろしている。
私は、ただただ狼狽した。
どうして彼がそこにいるのか、自分がどうすればいいのかわからなくて、呆然としていた。
　我に返った時、私はジョーの逞しい腕の中に抱きしめられていた。
「ああ・・・いつから・・・どうして？ずっと・・・？」
「フランソワーズ・・・」
「・・・聞いて・・・たの？・・・どうして？・・・ひどいわ・・・私・・・」
目も鼻も真っ赤なのに。こんな顔をあなたに見られるなんて。
それに、それに、私―――。
「ひどいわ・・・離して！イヤ！」
必死に振りほどこうと、もがいたのに、ジョーは離してくれなかった。
恥ずかしくてたまらない。あんなこと言ったのに。
彼に聞かれてしまった。本気にしたら・・・どうしよう？
頭に血が上って真っ白になる。
「イヤよ！・・・嫌い・・・離して！もう・・・あなたなんて・・・大嫌い！」
「フランソワーズ、ごめん・・・」
「知らない！イヤよ・・・あなたなんて・・・・・・ジョーのバカ！」
私はいったい・・・何を言ってるの？
「そうだ・・・僕はバカだ。君を・・・こんなに泣かせて・・・ごめん」
ああ、ジョー！違うのよ。あなたのせいじゃないの。私・・・勝手に泣いてるだけなの。
なのに、私ったら、どうしたのかしら？
「ホントに・・・ごめん。ずっと謝ろうと思ってたんだ」
「イヤよ！離して！・・・許してなんかあげない！」
何を言ってるの？
あなたにそんなこと、言おうと思ってるんじゃないのに・・・。
でも彼は、柔らかな微笑を浮かべ、またぎゅっと私を抱きしめて優しく言った。
「・・・ じゃあ君が許してくれるまで、ずっとこうしてる」
「ジョー・・・」
　全身から力が抜けた。
彼の胸に頬を押しつけて、私は小さな声で呟いた。
「いやよ・・・絶対に・・・許してなんかあげないわ」
彼は、言葉ではもう何も言わなかった。




Ⅴ．
　男６人と赤ん坊の温泉ツアーが、楽しかったかどうかなんて聞かないで欲しい。
後のことはジョーに任せてきた、というものの、自分たちの言動が、またしても彼女を傷つけたことは、ショックだった。
さすがにグレートはしょげきっていたし、ハインリヒは不機嫌の塊で、声をかけるのも躊躇させられるほどだった。
　とても宴会で騒ぐような気分じゃない。
おまけに、いつものように行き届いた世話をしてもらえないイワンが、夜中むずかって、僕たちはほとんど一睡もできず、気の毒に、大人とジェロニモはイワンの相手で疲労困憊していた。

　翌日の午後、研究所に戻った僕たちを迎えた２人の様子は、一見いつもと変わらなかった。
だが、フランソワーズの指に見慣れない指輪をめざとく見つけ、ジェットとグレートは意味ありげな視線を交わしている。
「おい、『真実の愛』はどうなったんだよ？」
「さあね・・・」
声をひそめて言い合っている。
　全く心外だ。僕の言う『真実の愛』と、あのコンビの言葉を一緒にされるなんて。
プラトン先生本来の『エロース』と、巷のビデオに氾濫するその単語くらいのギャップがある。
あの二人は、どうしてそう低俗なんだろう？結局、ちっとも懲りていない。
そのうち、また余計なことを言ったりしたりするに違いない、と僕はあきれてため息をついた。
彼を本気で怒らせでもしたら・・・最強のサイボーグ００９を相手にする気だろうか？
全く、命知らずな奴らだよ。

　だが、ＮＢＧだって知るまい。
僕たち００ナンバーをイチコロにしてしまう、究極の最強最終兵器が何なのか、ってことを。
滅多に発動されないだけに、特にジョーには効果テキメン。致死量はごくわずかだ。
青い瞳からこぼれる真珠――彼女の涙の魔法には、誰もかなわない。
～　fin　～


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