眩しい光の刺激に、ジョーはゆっくりと瞼を開いた。
大きな窓から遠慮なく射しこむ陽ざし。
明るい初夏の太陽が、真っ白な壁に、カーテンの影をゆらゆらと踊らせる。
耳に響くのは、優しい波の音。
全身を包む、心地よいけだるさ。
満ち足りた思いで、ジョーは腕の中の柔らかな体を抱きしめた。
すやすやと穏やかな寝息を立てているフランソワーズ。
安心しきった表情で、彼の胸に頬を寄せて。
朝日に輝く黄金の髪にキスをひとつ。
そして優しく肩を抱いて、頬に、唇にも１つずつ。
けれど、彼女は身じろぎもせずに、まだ深い眠りの中にいる。
（無理もない・・・か）
「ごめん、フランソワーズ」
耳元で小さく囁く。
柔らかなぬくもり。滑らかに輝く肌。
どれだけ抱きしめても、抱きしめたりない気がする。
けれど、このままこうしていたら、きっと彼女を起こしてしまうだろう。
（こんなに幸せそうに眠ってるのに・・・僕は何を考えてるんだ）
自分に呆れながら、ジョーはそっと体を離した。
静かにベッドから起き上がり、素肌にガウンを羽織ると、ひとりベランダに出た。
蒼い海。
穏やかな波。
ぼんやりと手すりにもたれて、ジョーはキラキラ輝く海面を見つめた。
前髪を撫でるように吹き抜ける、優しい潮風。
雨上がりの海岸が光っている。
彼のリクエストに応えて、フランソワーズが探してくれた場所が、此処。
（本当は、どこでも良かった。君と一緒にいられるのなら）
そんなことを言ったら、がっかりさせてしまうかもしれないけれど。


あの時―――
２人だけで過ごす時間。
他には何もいらない。
何が欲しい？と尋ねたジョーに、彼女は、少しはにかみながらそう答えた。
『じゃあ、どこに行こう？君はどこに行きたい？』
『どこでも。あなたが連れて行ってくれるなら』
まっすぐな視線が彼を見つめる。
『でも、それじゃ難しいな。何かヒントをくれた方が助かるんだけど』
フランソワーズは首をかしげて考え込んだ後、小さく笑って言葉を続けた。

　暖炉の炎を見ながら、あなたと昔話をしたいの。
　窓から外を見上げると、とても綺麗な星空が広がってる。
　私が行きたいのは、そんな場所なの。
　妙に具体的なのに、脈絡がなさ過ぎるでしょ？かえって難しいわね。

なんてささやかな願いだろう。
そのくらいは叶えてあげられる。今のうちなら。
『でも私は、あなたに壊れたチョコレートしか渡さなかったわ』
蒼い瞳が悲しげに揺れる。
『だから・・・今度は、そんな特別なこと・・・何も・・・』
呟くような彼女の言葉を、ジョーはキスでそっと封じた。

３月の高原には、まだあちこちに雪が残っていた。
小さなコテージ。赤々と燃える暖炉。窓の外には、降るような星空。
暖炉の前の敷物の上に、子猫のように丸くなって座る彼女の頬を、炎が明るく照らす。
『ぼんやりと心の中にあったイメージに、こんなぴったりな場所があるなんて』
目を輝かせてそう言うと、フランソワーズはジョーの肩にそっと頭を持たせかけた。
『ありがとう、ジョー』
こうして、１つずつ思い出が増えていくことが、何より嬉しい。
『ねえ、これからは、２人の間の贈り物はこんなふうにしましょうよ』
どんなところで、何を見たい？何をして過ごしたい？―――もちろん２人で
『そのリクエストにあった場所を探すの。それがプレゼント。素敵だと思わない？』
頷くジョーに、彼女ははしゃいで言った。
『次はジョーのお誕生日ね。何でもリクエストして頂戴！』
パチっと薪の火がはぜて散った。
『何でもいいの？』
『ええ、もちろん。私にできることなら・・・』
ジョーの答え。それが、「いつもと違う海」。「朝の太陽」。そして・・・
一番肝心なリクエストを耳打ちすると、フランソワーズは真っ赤になって俯いた。
『そんなの・・・ダメ』
『どうして？何でもいい、って今言ったじゃないか』
背後から細い体を抱きしめて、ジョーは耳元で囁いた。
『だって・・・そんなの、ちっともロマンチックじゃないわ。せっかくのお誕生日なのに』
フランソワーズは何度も首を横に振った。
『そうかな？十分ロマンチックだと思うけど・・・。それに・・・君にしかできないことだし・・・』
背中で嘯くジョーを振り返り、フランソワーズは頬を染めたまま、軽く睨んだ。


そして今、こうして海のそばの小さなホテルにいる。
いつもと違う海。朝の太陽。
そして、君はちゃんと応えてくれた。いや、応えてくれようとしてる。
どうしようもない３つ目のリクエストにも。
いつもそうだ。
僕が、どんなわがままを言っても、君は何もかも受け止めてくれる。
きっと、これからも。
そして―――最後の最後のわがままさえも、君は必ず叶えてくれる。
君は、こんな僕を・・・なぜ？

ガラスの向こうで、寝返りを打つ、かすかな気配がした。
振り返ったジョーの目に、むき出しの白い肩と胸元が眩しく映る。
顔に直接射しこむ光に、長い睫が眩しげに何度か揺れた。
ジョーは部屋に戻ると、カーテンを半分引いて、ベッドサイドの籐の椅子に腰をおろした。

今でも信じられない。
一晩中、この腕に君を抱いていたのに。
このぬくもりが、本当に僕だけのものだなんて。
どんなに君を抱きしめても、君に優しく包まれても、僕はますます不安になる。
眠っている君を抱きしめながら、夜中に僕は何度も確かめている。
こうして君の頬にそっと指で触れて、君と同じ時を生きていることを。
これは夢じゃないかと思う。
このまま眠ってしまって、目を覚ましたら、全部消えてるんじゃないかといつも怯えてる。

忘れることが出来ない、あの恐ろしい時間。
君は、すぐ目の前にいたのに。
手を伸ばせば、こんなふうに簡単に、君に触れられたのに。
けれど、この指に触れた君の頬は、冷たく凍っていた。
君とは違う時間を生きていた、あの「瞬間」。
瞬きをする間の出来事なのに、僕にとっては地獄のような１ヶ月。
呼んでも呼んでも、君は気づかない。
僕の泣き叫ぶ声も、救いを求める手も、君には届かなかった。
あともう少しあのままだったら、僕は確実に狂っていた。
孤独と絶望に押しつぶされて。
あたたかな君の胸で、凍りついた時を融かしながら、僕は何度も呟いていた。
僕は、君なしには生きていけない。
君と違う世界で、違う時間を生きなければならなくなったら、僕は死んでしまう。
僕の髪をゆっくりと撫でながら、君は黙って僕を優しく抱きしめた。

なのに―――僕は、いつか君にそんな思いをさせてしまうだろう。
聞こえる。
何処からか、僕を呼び続ける声が。
行かなければならない。
その場所には、僕ひとりで。
少しずつ、確実にその時は近づいている。
いったい、いつからだろう。
そんな予感に捉われるようになったのは。
今、はっきりと僕には見える。
何もかも終わったその時。
荒れ果てた大地を見下ろす小高い丘の上で、止まった僕の時間を抱きしめる君の姿が。
新しい朝を告げる光を全身に浴びて、君は微笑みながら僕に囁く。
『これからは、ずっと２人きりね。やっと、あなたは私だけのものになった』
それがお前の運命だと、僕を呼ぶ声は厳然と宣告する。
それはもう変えられない運命だと。
けれど、その運命が同時に与えてくれた。
どんなに求めても手に入れられなかったもの。
求めることさえ、許されないと思っていたものを。
今、腕に抱きしめているぬくもりとひきかえに、僕はこの体を与えられた。
君を、そして、君のいるこの世界を守るために。
だから、その時が来ても、僕は後悔はしない。
ただ、君を悲しませることだけが・・・
でも君なら・・・きっと
そんな君だから、僕は君を愛した。
そして今も、これからも、君を愛さずにいられない。
もし逆の立場なら、僕は生きていくことなんかできないのに。

ごめん。
僕は君に甘えてる。
いつも。とても。
そして・・・理由なんて言い訳なのにね。
だから君を好きになった、だって？
違う。
そんなつまらない理由を思いつくよりずっとずっと前に、僕はすでに君を愛していた。
僕のＳｌｅｅｐｉｎｇ　Ｂｅａｕｔｙ。
今すぐにでも、その唇にキスしたい。
でもそうしたら、きっと君は目を覚ましてしまうだろう。
もうしばらく、我慢してるよ。
だから、安らかな夢を見て。
僕は、こうしておとなしく待ってるから。

シーツの上に広がった亜麻色の髪にそっと触れ、それからサイドテーブルに置かれた白いアルバムに手を伸ばす。
あの夜、暖炉の前で、２人で作った宝物。
ゆっくりとページをめくれば、その時の会話の１つ１つまでがはっきりと蘇ってくる。


『昔話って、そういうことだったの？』
もしかして、お伽話をするって思ったの？と、フランソワーズは笑った。
『こうやって、暖炉の光に照らされながら、今まで撮った写真を２人で眺めて、いろんなことを思い出したかったの』
小さな箱の中につまった写真を取り出し、１枚１枚、愛しげにめくっていく。
少しずつ、紡ぎあげてきた２人の時間。
『写真て不思議ね。一瞬を切り取った、ただの紙切れなのに。それ自体に思い出が詰まってるわけじゃないのに』
でもそれを見ると、ずっと大切に心の奥にしまっている記憶が、スポットライトを浴びたように、鮮やかに浮かび上がる。
それは、思い出の扉を開ける、小さな鍵みたいなもの。
『全部、このアルバムに、ちゃんと整理して貼っていきたいの』
いつの間にか、こんなにたくさんたまってしまったから。
『あなたは、どれが一番いいと思う？』
君の写真を、１枚だけ選ぶなんて無理な話だ。
『難しいな。でも・・・今の気分は、これかな』
『あ、誕生日にあなたが撮ってくれた写真ね』
自分でもこれはお気に入りなの、と彼女は微笑んだ。

『私はこのジョーが好き。これも、去年のあなたの誕生日に撮ったものね』
出来上がった写真を初めて見た時、僕は自分でびっくりした。
これが、僕？
君を見ている僕は、いつもこんな目をしているのか？
ずっとキライだった。自分が。
自分の目が。
でも君が好きだといってくれる僕は、自分で思っている僕とは違うのだろうか。
この写真を見ると、そう思わずにはいられない。

『これ、ちょっとピントが合ってないね。失敗かな。せっかく君はいい顔してるのに』
『ソフトフォーカスかけて撮ってみようって、あなたが言ったんじゃない』
『そうだっけ？』
『でも・・・このジョーの表情、好きよ。とても優しい顔だわ』
そう言いながら、白い指がゆっくりと写真の彼の頬を撫でた。
直接肌に触られる以上に、ドキリとする。この妙な感覚は何だろう？

『うふふ。このジョー、おもしろい顔してる』
『あ！これ、イヤだな。こんなの貼るのかい？やめようよ』
ダメ。全部貼るの、とフランソワーズは命令口調で言ってから、くすくす笑った。
『レースが始まる直前だった。あなた、すごく厳しい表情してたから、それを撮ろうと思ったのに』
カメラを向けると、ジョーはいつも照れて笑ってしまうから。
『でも、あの時は・・・まるで戦場にいるときの・・・００９みたいな顔してた。そういう顔も１枚ぐらいあってもいいかなって思ったの。だからこっそり撮ろうと思ったのに、すぐ気づかれちゃって。残念だったわ』
僕達が、仲間と共に、もっとも長い時間を過ごしてきた場所。
その場所はカメラには写らない。
そこでの僕たちは、このアルバムの中には存在しない。
僕たちがいたことの証は、世界のどこにも残らない。
それでいい。そうでなければならない。
長い過酷な闘いの時間。
その隙間に、ほんの一瞬浮かぶ安らぎのかけら。
君と僕は、今までそれを大切に大切に拾い集めてきた。

『これ・・・！こんなの恥ずかしいわ！貼っちゃダメ！』
ジョーが手にした写真を、フランソワーズは取り返そうと彼に飛びついた。
『誰にも見せないんだから、いいじゃないか』
ジョーはさっきのお返しとばかり、命令口調で言う。
『全部貼らなきゃダメだよ！フランソワーズ』
『でも・・・もし誰かに見られたら、恥ずかしくて死んじゃうわ』
２人きりの時の君は、こんなにも艶かしくて。
写真を見るだけで、息が苦しくなるほどなのに。
もう絶対に、誰にも見せてなんかやらない。
僕だけの君なのに。

そして、あの日の最後に撮った写真。
ナイトウェアを持ってくるのを忘れた君に、僕のパジャマの上を羽織らせた。
『ありがとう。・・・でも、あなたはどうするの？』
『いいよ。どうせ着てても、すぐにいらなくなるし』
その代わり、と言ってジョーは、いきなりデジタルカメラのシャッターを切った。
軽いシャッター音。フラッシュが光る。
『え？あ！！ダメ！！こんなの写真にとらないで！』
あと１枚だけ。
そう言って君にせがんで、無理に撮った写真。

君の言ったとおりだ。
写真は、思い出の扉を開ける小さな鍵。
決して忘れてたわけじゃない。
大切だからこそ、心の奥にそっとしまっておいた出来事が、１枚の紙切れで、こんなにも鮮やかによみがえる。
幸せな、君との時間。
過去から現在（いま）へ。そして未来へと続いていく。
そして、アルバムの一番最後のページ。
この白いページには、どんな写真を貼るのだろう？
この間みたいに、君と僕の２人で？
それとも・・・

ジョーは深い息をひとつ吐くと、視線をベッドの上のフランソワーズに戻した。

あどけない寝顔。
どんな夢を見てるの？
そのまま、もっと眠っていたい？
けれど、今の僕には、どんな夢もいらない。
どんな夢よりも、こうして君と一緒にいる現実の方がずっと甘いから。
君といる時には、眠りなんていらないとさえ思う。
こうやって見つめているだけでも、十分幸せなのに。
この至福の瞬間を、永遠に繋ぎとめておけたらと思うのに。
だから―――

パシャ・・・
シャッターを押した当の本人の心臓がドキリと鳴る。
（まずい・・・。こんな大きな音だなんて、知らなかった）
案の定、フランソワーズの睫がかすかに揺れる。
「ん・・・」
ゆっくりと瞼が開かれた。
蒼い瞳がぼんやりと部屋を見回す。
無防備で、少し物憂げなその表情。
（なんて綺麗なんだろう）
白い手が、額にかかる髪をゆっくりとかき上げる。
さらりと流れる黄金の束。
その仕草の美しさに、思わず見とれてしまう。
「あ・・・ジョー？」
珊瑚のように輝く半開きの唇が、彼の名を呼ぶ。
ジョーは堪らなくなって、またシャッターを押した。
パシャ・・・
重い音が部屋に響く。
「どう・・・したの？今のは、何の音？・・・あっ！！イヤだわ・・・どうして？」
彼女は小さく叫んだ。
「ごめん・・・起こしちゃった？」
ジョーはファインダーを覗いたまま、立ち上がった。
さらけ出された肌を隠そうと、フランソワーズは慌てて目元までシーツを引き上げた。
「もうっ、嫌なジョー！こんな寝ぼけた顔を撮るなんて」
白い天使みたいだ。
黄金の翼を持った、僕のエンジェル。
「とても綺麗だった・・・だから・・・つい。ごめんね、盗み撮りするつもりじゃなかったんだ」
「いや。酷いわ・・・もう撮らないで！」
ぷいと背中をこちらに向けると、フランソワーズは頭までシーツにもぐりこむ。
慌ててカメラをテーブルに置くと、ジョーは、布ごと背後から抱きしめて、柔らかい髪に顔を埋めた。
「あ・・・」
少しかすれた声。
「ごめん」
そして甘く優しい匂い。
「ありがとう、フランソワーズ。こんな素敵なプレゼント」
全部、リクエストのとおり。いや、それ以上だ。
蒼い海。明るい朝の太陽。そして・・・この腕には君がいて。
「あ、そうだわ！・・・ジョー！！お誕生日おめでとう！！」
慌てて振り返ろうとした彼女の体を、そのままぐるっと反転させて腕に抱き寄せた。
「ありがとう・・・」
「ジョー・・・」
見詰め合う瞳。
そっと交わす口づけ。誕生日になってから、いったい何度目だろう？
「ごめんさい。朝になっちゃったわ。ほんとは日付が変わったら、すぐに言おうと思ってたのよ。なのに・・・」
フランソワーズは唇を少し尖らせて、甘えるようにジョーを見上げた。
「なのに？君の時には、僕はちゃんとそうしたのに。言ってもらえなくて残念だったな」
少しからかってみたくて、ジョーはわざとがっかりしたように声音を落とした。
「だって・・・でも・・・」
白磁の頬が紅色に染まる。
「でも？・・・それどころじゃなかった？」
「もう・・・どうしてそんなこと言うの？・・・意地悪・・・」
―――本当は、それどころじゃなかったのは、僕のほうだ。
彼の胸にぎゅっと顔を押しつけたフランソワーズを、ジョーは強く抱きしめた。


まだ少し息を弾ませたまま、ジョーはゆっくりと体を起こした。
目の前の、ほんのりと桜色に上気した肌。
その華奢な肩が、大きく上下している。
汗ばんだ額に張りついた前髪を、指で優しくかき上げた。
「ありがとう、フランソワーズ」
かすれた声に、閉じられていた瞳がゆっくりと開いた。
そして、哀しげに彼を見上げる。
「どうして？」
「え？」
「どうしてそんな顔、するの？」
「フランソワーズ・・・」
差し伸ばされた、微かに震える白い腕。
そっと掴んで抱き起こす。
額と額を突き合わせ、優しく肩を抱く。
「どうして？いやよ。そんな目で・・・私を見ないで」
蒼い瞳がみるみるうちに潤み始めた。
「・・・ずっとずっと先のことでしょ？それに・・・」
そんな日が、本当に来るかどうかだってわからない。
「・・・うん」
「なのに・・・あなたは、この頃、時々そんな顔をする。いやよ！そんな顔して・・・私を見ないで」
細い指が、シーツをぎゅっと掴んだ。
「フランソワーズ・・・」
両手でそっと頬を包む。
「あのアルバム・・・まだ半分以上もページが残ってるわ。ちゃんと・・・最後のページまで・・・ううん、もっと・・・何冊も・・・」
ジョーの手を濡らした涙が、そのまま腕を伝い落ちていく。
「だから・・・お願い・・・」
瞳の蒼さが、胸を締めつける。
「ひとりで・・・さきに・・・いっちゃ・・・いや」
「フランソワーズ・・・」
ジョーはかすかに微笑んで、細い体を抱きしめた。

微笑みを浮かべて、その時を迎えられるように。
だから、今のうちに泣いておくの。
君は声に出さずにそう言った。
でも・・・でも僕は、やっぱり君の涙は見たくない。
今も。
もちろんその時も。
だからお願いだ。いつものように微笑って。
そして僕の心に暖かい灯をともして。
いつものように、はしゃいだり怒ったりして、僕を勇気づけて。
その時、僕が、ちゃんと為すべきことを果たせるように。
ごめん、フランソワーズ。
やっぱり僕は、とことん君に甘えてる。

「ごめん、フランソワーズ。さっきは・・・つい辛抱できなくて。でも今度は、大丈夫」
突然、ジョーが明るい声を出した。
フランソワーズはまだ涙に濡れた瞳で、そんな彼を不思議そうに見上げる。
「まだ満足してないよ、僕だって」
「え・・・？」
「ね、フランソワーズ。今、１１時過ぎだから・・・まだ１２時間以上残ってる。リクエストの有効期限は、今日中だろ？」
ぐい、と細い腰を抱き寄せられて、フランソワーズは小さく叫んだ。
「あっ・・・何するの？まさか・・・う、嘘でしょ？」
「ううん、本気だよ。大丈夫。今度は、僕ひとりでいったりしないから」
「え？あっ・・・」
フランソワーズは真っ赤になって、両手で彼の体を突き放した。
「意地悪！！そんな意味じゃないってわかってるくせに」
「そんな意味って？」
「もう、知らない！！」
パサッ！！
ふっくらとふくらんだ羽枕が宙を舞い、ジョーの顔を直撃した。
「あ！何するんだよ！君がそんな乱暴なことするなんて」
「いやっ！はなして！正当防衛だわ！ダメ！もう、今日は・・・これ以上・・・」
じゃあ、実力行使あるのみだ。
羽枕がすとんと床に落ちた。
フランソワーズの体がふわりと浮き上がる。
その華奢な体を抱きしめたまま、ジョーはゆっくりとベッドに倒れこんだ。

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