「きれいね・・・」
「うん、日本の秋はもみじがきれいなんだよ」
夢うつつの耳に飛び込んできた、懐かしい声。
ぐっすりと眠り込んでいたはずの僕の意識が、ほんの一瞬、覚醒した。
―――今は、いったいいつなんだ？
心の手を、揺りかごから外の世界へとそっと伸ばす。
ひんやりと澄み切った空気が満ちている。
抜けるような青空の下、山々は一面の紅葉に彩られていた。
カサ・・・コソ・・・
落ち葉のたてる、ひそやかな音。
爽やかな風が、少しずつ木の葉を散らす。
楽しげに耳を澄ます君を、茶の瞳の柔らかな光が優しく包んでいる。
そっとつないだ手。
２人は黙ったまま、微笑みを交わした。

よかった・・・。ちゃんと直ったんだね。
ホント言うと、ちょっと心配してた。
最後になって、いろいろ誤算だらけだったから。
でも・・・さすがの君たちだって、気づかなかっただろう？
まさか、これが僕の・・・壮大な・・・陰・・・ふわあああ・・・眠い。
ほっと安心したせいか、激しい睡魔がまた僕に襲いかかってきた。
でも、もういい加減、起きなきゃ。
でないと・・・せっかくの・・・・・・一世・・・・ああ・・・だめ・・・だ・・・もう目を・・・・・・開いて・・・・・・・・・いられ・・・・・・ない・・・

次の瞬間、僕は再び深い眠りの淵に沈みこんでいった。

＊
”目ヲ覚マセ！”
僕の呼びかけにゆっくりと目を開いた彼は、不思議そうにあたりを見回した。
耳に響く得体の知れない声の指令。何者だ、と疑ってかかるのが普通だと思う。
なのに、彼はびっくりするほど素直に僕の声に従ってきた。
そんなに一生懸命になるなんて、キミは、ほんとにいい子なんだね。
だから、ついからかってみたくなった。
さっさと仲間に迎えに行かせてもよかったんだけど、あえてそうしなかった。
だって、もっと見たかったんだ。キミの強さを。
僕たちの中で一番優れた力を持つ、キミの戦いぶりを。

僕の指令どおり断崖絶壁をよじ登っていた彼は、追っ手の攻撃を受け、絶叫しながら海に落ちていった。
でも、大丈夫。キミは最強なんだよ。まだキミだけが、そのことを知らないけれど。
そして、ずぶ濡れになって海岸に上がってきた彼は、四つん這いになって肩で大きく息をつきながら、ぼそっと呟いた。
「君に逢ったら、一発殴らせろ」
うきゃ！！可愛い！
僕は、彼をすっかり気に入ってしまった。

でも彼はとても混乱していた。
初めて加速中の世界を体験して、ただただ狼狽していた。
次々に襲いかかってくる敵を必死にかわしながら、あの茶色の瞳はずっと大きく見開かれたままだった。
僕たちと顔を合わせても、まともな挨拶だって出来やしない。
もちろん、それは無理もないことだ。
自分の身に何が起こっているのか、まだ全く理解できてなかったんだもの。

そんな彼が、初めて自分の意志で、能力（ちから）を使ったのが、あの時。
僕を腕に抱いた００３めがけて、ヒドラVが攻撃してきた、あの瞬間だった。
咄嗟に反応した彼は、凄まじい強さを発揮して敵を完璧に粉砕した。
ほとんど反射的な行動だったから、それを「意志」と言っていいのかどうかはわからない。
何しろ当の本人が、一番びっくりしていたはずだ。
―――今、僕は何を？なぜ、こんなことを？
呆然と立ちすくんでいる彼を、仲間たちは驚嘆の目で見つめた。
もちろん彼女も、あの美しい瞳を輝かせて、じっと彼を見ていた。

だが、基地を脱出する飛行艇に乗り込む寸前まで、彼は躊躇していた。
「・・・でも、その鎖を強い絆に変える事だって出来る」
これって、僕的にはかなりの名セリフだったと思うんだけどな。
残念ながら、彼の耳には、そんな言葉、ちっとも届いていなかったけど。
「信じてほしいの。私たちを」
―――信じる？君たちを？
君たちは・・・君は・・・いったい・・・？
彼の頭の中は、彼女の言葉だけがぐるぐると巡っていた。
ま、いいか。
どちらにしても、一緒に来てくれたんだから。
それでもまだ戸惑いを隠しきれない彼に、僕はそっと手を差し伸べた。
西の空に大きく輝く夕陽が、コックピットを黄金色に染めている。
彼は、僕の小さな手にあわせるように、人差し指１本だけをおずおずと差し出した。
その優しい仕草に気づいた彼女は、柔らかい微笑を浮かべた。
キミは、僕たちの９番目の仲間。
だからキミは、００９だ。
―――僕が・・・００９？
こうして、あの日、僕たちは仲間になった。

＊
あれからどれだけの月日がたっただろう。
幾つもの辛い戦いを乗り越えて、ついにＢＧの基地を破壊した後、僕は、００９と００３と一緒に日本のギルモア博士のところに厄介になっていた。
平和、と呼んでもいいような、穏やかな時間が過ぎていく。
もちろん、僕には、それがつかの間の安らぎであることは、よくわかっていたけれど。

「００３は、イワンの素敵なママじゃな」
だんだん僕を抱くポーズがサマになってきた００３に、ギルモア博士はそう言っては目を細めていた。
ママ、か。
本当のママと過ごした記憶は、僕にはほとんどない。
生まれてすぐに脳手術された僕は、ＢＧの研究所に連れていかれ、ブラウン博士に売り渡された。
ガモ博士―――僕の父―――への、研究援助金の見返りとして。
父にもいろいろ事情はあったのだろう。でも、結果としての事実だけを見れば、僕は売り渡されたんだ。間違いなく。
かと言って、そのことに特に感慨は持たなかった。父を恨む気持ちもない。
人間なんて、そんなものだ。
僕は、いわゆる赤ん坊でありながら、どこかそんな冷めた考えを持っていた。

ある時、ミルクを飲み終えた僕を抱いてあやすようにしながら、００３はぽつんと呟いた。
「００１のママは、どんなに悲しんだでしょうね。こんな可愛い赤ちゃんを・・・」
”モウ死ンジャッテルヨ、キット。ソレニ、別ニ逢イタイトモ思ワナイシ・・・”
素っ気無く答えた僕に、彼女はギョッとしたように言った。
「嘘！どうしてそんなこと言うの？逢いたくないはずないじゃない！」
”ダッテ、ホトンド覚エテイナイシ。ソレニ、モウズット昔ノコトダヨ”
「それは・・・そうだけど・・・」
”ジャア君ハ逢イタイ？”
「・・・え？誰に？」
物凄く意地悪な質問だとわかっていた。
彼女が、ずっと兄さんのことを考えているのを知っていたから。
”モチロン、オ兄サンニダヨ。マダ生キテルカモシレナイダロ？”
唇をぎゅっと噛むと、彼女は俯いたまま小さく首を振って、きっぱりと言った。
「いいえ」
”・・・ドウシテ？逢イタクナイハズナインジャナノカイ？”
「逢えないわ・・・。もう・・・・・・これ以上・・・苦しめたくない」
”苦シメル？ドウイウコト？”
答えは返って来なかった。
かわりに、涙の雫が、ポタ、ポタと、僕のベビー服の上に落ちて来た。
”００３？”
「こんなにも・・・長い時間・・・」
絞り出すような声。そして、また涙の雫が零れた。
僕は何も言えなくて、こっそりと溜息をついた。
かすかな甘い香りが鼻をくすぐる。これは―――？
リビングを見回すと、彼女のお気に入りの場所に、薄いピンクの薔薇がたくさん飾ってあった。
しばらくして、彼女は僕をそっと揺りかごの中に寝かせた。
”・・・００３・・・”
「おやすみ・・・」
優しい微笑を浮かべてそう言うと、００３は両手で顔を覆って２階へ駆け上がってしまった。

まさか、あのくらいのことで、彼女が泣くなんて。
僕はその少し前に、眠りの時間から目を覚ましたばかりだったから、ここ数日、何が起こっていたのか、全然わかっていなかった。
僕の前ではいつもと変わらなかったけど、みんなは彼女がいつもより沈みがちなことを、実は心配していたらしかった。
なのに、僕はわざと彼女を傷つけるようなことを言った。
つい、触れられたくない両親のことを言われて、僕はむきになってたんだ。
以前から時々、僕が眠っていると思い込んだ彼女が、みんなの前では決して言わない弱音を吐くことがあった。
時には、こっそり涙を浮かべているのを、僕だけは知っていた。
だから、他のみんなよりは彼女の気持ちがわかっていたはずだった。
なのに―――

誰かが彼女の部屋をノックしている。
００９だ。
さっきまで台所で食器を洗っていた彼は、急に２階へ駆け上がってしまった彼女に気づいたらしい。
彼女は、ベッドの上に身を投げ出すようにして、うつ伏せになってすすり泣いていた。ノックに答える様子はない。
心配そうにドアを見つめていた００９は、しばらくしてまた声をかけた。
「フランソワーズ、入っていいかい？」
答えは返ってこない。
「昨日は・・・ごめん・・・。せっかく呼びに来てくれたのに」
昨日？いったい何があったんだろう。
だが、相変わらず彼女はベッドにうつ伏せたままだった。
「フランソワーズ・・・」
かなり長い時間、辛抱強く廊下に立っていた００９が、悲しげな溜息をついて立ち去ろうとしたその時、ドアが静かに開いた。
「フランソワーズ・・・」
まだ明らかに潤んだ瞳で、彼女は００９をじっと見つめて言った。
「クビクロのお墓に行きたいの。こんな時間だけど・・・一緒に行ってくれる？」
彼もまた彼女をじっと見つめて、黙って頷いた。

僕は気づいていた。
僕と全く同じ目で、彼女を見ている人間がもう一人いることに。
あの時、僕はとてもおなをすかせていて、無我夢中でミルクを飲んでいた。
だが、ふと強い視線を感じて目を上げた。
―――００９？
手に食べかけの肉の塊をもったまま、００９は固まったようになって、こちらを見ていた。
僕を、じゃない。
僕を抱いて、優しい笑顔を見せている彼女を、だ。
神々しいものを崇め見るような目で、彼は彼女を見つめ続けていた。
その瞳に宿る底なしの孤独。淋しげな光。
―――君は、いったい何を探してる？
もしかしたら、キミも僕も、求めているものは同じなのかもしれない。
求めても、もう決して得られないもの。

ただ、それはきっかけにしかすぎなかった。彼にとっても、僕にとっても。
でも、残念ながら、僕は赤ん坊だ。これからもずっと。
精神年齢は、１ヶ月で普通の人間の１年ほどの勢いで成長している。
でも、身体は・・・いつまでたっても大きくならない。
だから、彼女にとって、僕は可愛い赤ちゃんでしかありえない。
そんな僕の気持ちに、もちろん００３は気づいていない。
たぶん、００９も。
僕が何か言っても、それは僕が彼をからかっているだけだと思っている。

そういえば、こんなこともあったな。
２人がクリスマスのパリから戻ってきた時だ。
００３の首につけられていたという脳波コントロールマシーン。
それを博士に渡そうとした００９が、珍しく僕を抱きあげた。
とてもぎこちなくて、居心地はよくなかった。腕も、胸も彼女のようには柔らかくないし。
思わず、もぞもぞした僕を、００９はギョッとした顔で見つめた。
「え・・・っと・・・００１・・・君・・・いつも・・・こんなふうに・・・？」
”・・・エ？”
一瞬の沈黙の後、ひとり頬を赤らめた００９の顔を見て、僕は納得した。
”コンナフウニ・・・ッテ・・・コンナフウニッテコトカイ？”
僕は、わざと彼の胸にぎゅっと顔を押し付けた。
「・・・・・・う・・・」
００９は、真っ赤な顔をして、小さくうめいた。
”ソウダヨ。デモ・・・ドウシテ？”
「いや・・・いいんだ・・・」
頬を真っ赤に染めたまま、彼は俯いてしまった。
人工心臓が、ものすごい音でバクバク鳴っている。
僕は吹きだしそうになるのを必死にこらえ、わざとまた彼の胸に顔を埋めた。
００９、やっぱりキミは可愛いよ。ほんとにからかい甲斐がある。
大丈夫。心配しなくても、いつもはちゃんと遠慮してるから。
でも・・・仲間たちの中で、そんなことを考えてるのも、キミぐらいだよ。
もしかしたら、キミってものすごく・・・
こっそり笑いながらも、僕はとても複雑な心境だった。

それから、半月毎に目を覚ますたび、２人がどんどん親しくなっていることを僕も認めざるを得なかった。
いつの間にか、お互い名前で呼び合ってるし。
彼女は００９のことを、なぜかとても頼りにしていた。
精神的な頼もしさから言えば、００４や００８の方が、よっぽど頼れる相手だと思うんだけど。
でも、僕の失恋は、もう時間の問題。それは僕にもよくわかっていた。

だから―――あの時、つい意地悪しちゃった。
今なら正直に言える。あれは、僕のヤキモチだ。
僕にミルクを飲ませようとしていた００３が、デッキで狂ったように喚きちらしている００９の声に驚いて、慌てて出て行った。
「どうしたの、００９？大声出して・・・」
僕もすぐに外の様子を覗った。
うわっ！！！！！００９、どうしたんだ？
キミにそんな勇気があったなんて！
「ちょ、ちょっと・・・どうしたのよ？」
突然あんなに強く抱きしめられたら、誰だってびっくりする。
「苦しいわ・・・離して・・・」
「いやだ・・・」
亜麻色の髪に顔を埋め、００９は腕にいっそう力をこめて、もがく彼女を抱きしめた。
「００９・・・？」
おかしい。いつもの彼じゃないみたいだ。
「フランソワーズ、しばらく・・・・・・こうしてて・・・」
ぽとり、と彼女のうなじに冷たい雫が落ちた。００３ははっと顔を上げた。
「・・・ジョー･･･？」
「僕を･･･ひとりに・・・しないで」
彼女は体の力を抜くと、柔らかな声で低く呟くように言った。
「大丈夫。ちゃんと一緒にいるわ」
「・・・フランソワーズ・・・」
両腕をしっかりと掴んだまま、００９は顔を上げて彼女を見つめた。
「私も・・・みんなも・・・ちゃんとここにいる。だから、安心して」
何があったのか、僕にもわからない。もちろん彼女にも。
ただ、彼が何かに酷くショックを受けたらしいことは、推測できた。
「ね・・・ほら・・・私はここにいるわ」
彼女はそっと００９の頬に両手を伸ばした。
「フランソワーズ・・・」
彼がその手に自分の手を重ね、２人がじっと見つめ合った時、僕は我慢しきれなくなって、とぼけたふりで彼女を呼んだ。
”００３、ドコダイ？オナカ、スイチャッタヨ！！”
２人はハッと我に返ったように、慌てて身体を離した。
「ご、ごめん・・・」
００９は真っ赤になって俯いた。
「あ・・・ご、ごめんなさい・・・」
００３は哺乳瓶を握り締めて、小走りにリビングに駆け込んで来た。
”ドウシタノ？”
僕は白々しく尋ねた。
うっすらと頬を染めたまま、黙って首を横に振る彼女。
本当に、惚れ惚れと見とれてしまうほど綺麗だった。
”オナカ、スイチャッタ”
情けない声で僕がそう言うと、彼女は、ごめんね、と僕を抱き上げてミルクを飲ませ始めた。
そうこうしているうちに、００７たちが戻ってきて、話題は街で起こった不可思議な事件に移ってしまった。
結局、なぜ００９がそんなパニックに陥ったのかは、うやむやのまま。
そして、２人の仲も―――

＊
その直後から、僕たちは面倒な事件に巻き込まれ続け、以前のように、のんびりとした時間を過ごす余裕がなくなってしまった。
そのせいもあってか、２人はいつまでたっても相変わらずのように見えた。
お互いに、相手のことをとても大切に思っている。
ただ、それをはっきりと形にして、伝えていないだけ。
なのに、なぜか、２人とも、そうしてはいけないと思い込んでいるふしがあった。
ああ、せっかくのタイミングを逃してしまうと、こうなっちゃうんだな。
以前よりも、思いは確実に強くなっているのに。
「ばか・・・」
小さく唇を尖らせて、そう呟いていた君の淋しそうな横顔を見てしまった時、僕の胸は痛んだ。
もし、あのとき、僕が邪魔してなかったら・・・
それに、馬鹿だもんな。ほんとに、アイツ。
だから僕には、００２のイライラがとてもよくわかる。
いつまでもこんな調子でもモタモタさられたら、僕だって・・・そう、彼だって・・・諦めがつかないと言うか・・・踏ん切りがつかないというか。
周りにいる者の身が持たないよね。

ともかく、僕たちはついにＢＧとの最後の対決の時を迎えた。
地下帝国ヨミは、まもなく崩壊する。
だが、ＢＧもこれで最後だ。
大丈夫。僕に任せて。今まで伊達に眠っていたわけじゃない。
ＩＣＢＭのコントロール装置は、すでに破壊した。
仲間たちを先に海上にテレポートさせ、あとは―――魔人像が地上に出る前に、プロトン爆弾を爆発させたら、それで、ジ・エンド。
この勝負、僕らの勝ちだ。
その時、僕はふとあることを思いついた。
何てグッドアイデアなんだろう！
これなら、さすがの彼らでも、自分の気持ちに正直になるはずだ。
ＢＧも滅亡するんだし、ちょうどきりがいい。はっきりさせてしまおう。
自分の頭に浮かんだ見事なシナリオに、僕は本気で感動していた。

「あと３０秒！」
「終わりってことかよ、俺達も世界も」
絶望的になる仲間たちを前に、僕はあえて何も言わずに黙っていた。
最後を覚悟した００３が、静かに００９のそばに寄り添う。
そっと手を滑り込ませる。なんていじらしいんだろう！
僕は涙ぐみそうになるのを懸命にこらえると、冷静な声で００９に話しかけた。
”００９、君ニ、賭ケタイ”
はっと僕を見つめると、００９は静かに頷いた。
そして、さすがの彼も、やっと―――そう！そうだよ、００９！そうでなきゃ！
彼女の細い手を彼がぎゅっと握り締め、２人がしっかりと見つめ合ったのを確認すると、僕はシナリオどおり、００９を魔人像の中に送り込んだ。

「００９が、あの魔人像の中に？」
２度のテレポート後、波間に呆然と浮かんでいた仲間たちは、００８の声に一斉に僕を見つめた。
”魔人像コソ、ＢＧノ本体ダ。アレヲ破壊シナケレバナラナイ”
００３は、予想通り僕に詰め寄ってきた。
「でも―――どうして彼だけなの？私達も一緒に・・・」
”犠牲ハ少ナイ方ガイイ”
僕はできるだけ素っ気無く、そう言い放った。
「犠牲、って・・・？」
彼女は息を呑んだ。と、同時に００２が叫んだ。
「アイツにだけ背負わせたのかよ！」
”一刻ノ猶予モナカッタンダ。世界ヲ滅亡カラ救ウニハ・・・”
冷徹な司令官の役どころが気に入た僕は、すっかり余裕で演技を楽しんでいた。
「だったら私も行くわ。お願い、私も魔人像に送って！！」
うう、かっわいいなあ、００３！君は、健気過ぎるよ。
やっぱりあの００９には、まだもったいな過ぎるかもしれない。
どうして君は、あんな・・・
往生際の悪い愚痴をくどくどと心の中で呟きながら、僕はいっそう沈んだ声で答えた。
”魔人像ハ、今、成層圏ダ。僕ノちからモ、モウ及バナイ”
「そんな・・・」
美しい顔が、悲しみに歪んだ。
口調は穏やかだが、僕に対する非難と怒りを必死に抑えながら、００７が呟いた。
「コイツは、きつすぎるぜ、００１・・」
”ワカッテル”
わかってるよ。大丈夫。
「いやよ、こんなのいや！お願い！００９を戻して！００１、お願い！００１」
い、痛いよ、００３！そんなに激しく揺さぶったら、頭がバシバシ籠にあたって、たんこぶが出来ちゃうよ！僕は生身の赤ん坊なんだから、乱暴はやめてよね。
「泣くなよ、００３。俺が助けに行く！！」
お、おいっ！００２！ちょっと待つんだ！
”無理ダ、モウ間ニ合ワナイ”
ダメだよ！君がそんなことしたら、完璧な僕のシナリオが・・・
「やってみなきゃわかんねえよ！アイツひとりだけ、死なせられねえ！」
そんな捨て台詞を残して、００２はアッという間に空に飛び上がっていってしまった。
「００２！」
００４の叫び声を聞きながら、僕は大きな溜息をついた。
あ〜あ。もう。余計なことするんだから。
ったく、ここまで君がオメデタクも熱い奴だとは思ってなかったよ、００２。
００３にいいとこ見せたいって気持ちもわかるけど。
「ううっ・・・」
押し殺した嗚咽が、あたりの静寂を破る。
００３は僕を拒絶するかのように背を向け、両手で顔を覆って泣いていた。
ごめんね、００３。こんなに君を泣かせるなんて、僕は酷いよね。
でも、これは君たちのことを思えばこそなんだ。
確かに、ちょっと・・・かなり・・・悪趣味かもしれない。
でもこのくらいやらなければ、君たちは、いつまでも・・・

ところが、それからは誤算の連続だった。
完璧だと思っているシナリオほど、１つ綻びが生じると総崩れになりやすい。まさにその典型だった。
予想外の展開に、僕は生まれて初めて取り乱していた。
だいたい００２が、勝手に飛んでいくなんて思ってなかったんだもの。
００９も００９だ！
いつまでも、そんな脳と禅問答してないで、さっさと魔人像を破壊するんだ！！
さあ早く！！
でないと、本当に僕のチカラの届かないところまで、キミは飛んで行っちゃうよ！！
あああっ！もうおそい！間に合わない！！
とうとう宇宙空間に出てしまったよ！成層圏ならまだしも、宇宙空間は無理だ！
いったいどうすればいい？
うわああ！００２まで大気圏外に！！
００４の胸で泣き崩れている彼女を見て、僕はますます絶望的な気持ちになった。
このまま、君を泣かせたままになってしまったら、どうしよう・・・
あっ！２人が落ちて来た！
うわっ！！！そ、その手をはなせっ！はなしてくれっ！
だめだだめだ！バラバラに落ちてくれっ！
だって、２人くっついてる状態で同時にテレポートするのは、すごく大変なんだから！
「ジョウ、きみはどこに落ちたい？」
そんなこと暢気に喋ってないで、早く気を失うんだ！
じゃないと、テレポートできないじゃないかっ！！
もうすぐ僕の力が及ぶところまで落ちてくるというのに。
ああっ！もう燃えちゃってるよ、００２の鼻！
急いで・・・！！ああ、やっと００２が気を失った。
「フランソワーズ・・・」
そう呟きながら、００９もやっと意識を失った。
２人一度にテレポートできるだろうか。高速で落下してるからなあ。
タイミングを掴むのに、結構気合いが要りそうだ。
「ジョー！！！！！！！」
突然、茜色の空を切り裂くような悲鳴。
―――え？見えちゃった、００３？
「・・・フラン・・・・ソ・・・ワーズ・・・？」
こら！！どうしてまた意識が戻るんだよ！！だめだ、００９！！！
もう知らないよ、ホントに間に合わなくなっても。
イライラした僕は、落下中の隕石を彼にぶつけて無理やり気絶させると、サイコパワーを振り絞り、イチかバチかで２人同時にテレポートした。

・・・・何とかうまくいった。
全身からどっと力が抜けてしまった。
２人は今、破壊されたギルモア邸の前の海に浸けてある。
そこでしばらく冷やしておかなきゃ。
地下のメンテナンスルームは無事だから、そこで修理すればいい。
さあ、急いでみんなを、あっちへ飛ばそう。

はあああ。ほんとに疲れちゃった・・・。
まさか、こんな大変なことになるなんて、思ってなかったよ。
あとは・・・ギルモア博士の腕の見せ所だ。
もちろん僕も・・・手伝う・・・よ。
そして・・・・００９が・・・直ったら・・・見るんだ。その・・・瞬間・・・。
フフフ・・・キミがどんな顔して・・・ふああああ・・・・・・急に・・・眠くなってきちゃった・・・。
ああ！イワン、寝ちゃダメだ！
僕は・・・何のために、こんな手の込んだことを・・・してきたんだよ！
大好きな００３に・・・・・恨まれかねない、とんでもなく危ない橋まで渡って。
それは・・・ただ・・・あの・・・００９が・・・どんな顔して・・・００３に・・・・・一世・・・一代の・・・だから・・・・・・・・寝ちゃったら・・・ああ・・・でも・・・もう・・・瞼が・・・・

＊
青く澄んだ空が眩しい。
気持ちのよい伸びをしながら、僕はいつの間にか季節がずいぶん巡っていることに気づいた。
この風は落ち葉の匂い。山の樹々は、もうすっかり葉を落としている。
もうすぐ冬がやってくるんだね。
・・・てことは、今は・・・いつ？
ここは・・・いったい、どこ？
しまった！まさか？！
僕は、慌てて周りの状況を詳しく探り始めた。

聞きなれた海の音。以前、僕たちが住んでいたところの近くみたいだ。
でも、波の音はあの時より荒く、そして少し遠くに聞こえる。
そうか、新しく建て直したんだ。なかなか居心地よさそうな家。
この２階に、みんなの個室があるんだね。
えっと・・・隣はギルモア博士の部屋か。
朝の早い博士は、今、地下の研究室でごそごそしている。
あとは結構がらんとしてるな。その向こうも向かいの部屋も中は空っぽ。
そっか、みんな故郷に帰ってるんだ。道理で静かだと思ったよ。
で・・・えっと・・・あっちの隅の部屋は・・・・・・うっわああああああっ！！
な、なんだよっ！！あ、あの２人！
あんな幸せそうな顔して・・・！！
・・・ってことは・・・まさか・・・もう？
チクショウ〜！！！
僕は思わず髪をかきむしった。
せっかく僕の書いたシナリオどおりだったのに、一番肝心なところが見られなかったなんて！！
馬鹿馬鹿！イワンの馬鹿！何してるんだよ、僕は！寝てる場合じゃなかった。
僕はがっくりと脱力して、呆然と天井を見上げた。
いったい・・・僕は・・・何のために・・・今まで・・・こんな・・・
彼がどんな顔して、僕の大好きな００３に告白するのか、それが見たくて。
そのためだけに、こんな手の込んだことを・・・。
なのに・・・・・・。

ちょうどその時、２人がほとんど同時に目を覚ました。
「・・・フランソワーズ、おはよう」
「・・・ジョー・・・」
２人は、ごく当たり前のようにお互いの頬にそっと手を伸ばし、顔を近づける。
ちょっと待て！！！
こうやって見せつけられたら、さすがの僕だって面白くない！
００９、悪いが邪魔させてもらうよ。

”オナカスイタ・・・”

「・・・え？」
「・・・ん？」
「おなかすいた、って・・・あ？００１？！！目が覚めたの？！」
００３は慌てて上半身を起こした。
うっわあああああああ！！！
僕は咄嗟に両目を覆うふりをしながら、指の隙間からしっかり見てしまった。
輝くような白い肌を。
ああ、ドキドキする・・・。くっそう！００９の奴・・・
完全に頭に血が上った僕は、彼のチャンネルにも同時にテレパシーを送ってやった。

”オナカスイチャッタ、ふらんそわーず♪”

「００１？・・・なんで・・・君が・・・フランソワーズ・・・って・・・」
００９の眉間に皺が寄る。
なんだよ？！キミ以外はフランソワーズって呼んじゃいけないのかい？
こみ上げてくる怒りを必死に抑え、僕はできるだけ愛らしい声で、彼女（と彼）に話しかけた。

”ウン。オナカスイチャッタンダ。フランソワーズ、みるく頂戴」

「よかった！やっと目が覚めたのね。待ってて。すぐ用意するわ！」
彼女は満面の笑みを浮かべて、白いガウンを羽織ると、ベッドから降りた。
「フランソワーズ、何も、そんなに慌てなくても・・・・・・」
ったく、そんな情けない声、出すなよな。今まで、散々いい思いしたんだろ？
あ・・・僕の口調、下品になると、００２そっくりだ。
「だって、００１があなたを助けてくれたのよ。あの時、００１がテレポートしてくれなかったら・・・」
うう、なんて可愛いんだろう。あの時のことを思い出して、彼女はまた涙ぐんでいる。
でも、ホントは・・・。
僕の胸がちくりと痛んだ。
ホントのこと知ったら、怒るだろうな。いくら彼女でも。
「それは、そうだけど・・・」
「大活躍して疲れ果てて、今までぐっすり眠ってたんですもの。おなか、すいてるはずだわ。早くミルク、飲ませてあげなきゃ」
不服そうな顔をしている００９を、彼女は訝しげに見つめた。
「どうしたの、ジョー？」
「いや、何でもない」
「そう？ならいいけど。でも、何だか変・・・」
「でも・・・僕だって、おなかすいてる」
「あ、じゃあ、すぐジョーの朝ごはんも用意するわ。ね？」
「・・・そうじゃ・・・なくて・・・」
キミの得意技のお目目ウルウル光線で、彼女を引きとめようって言うのかい？
甘いよ！
「僕も・・・欲しいな。君の・・・」
おい、何言ってるんだよ！赤ん坊じゃあるまいし！
「え？・・・あ・・・ジョー・・・？だめよ・・・」
あ・・・こらこら！！どこに手を伸ばしてるんだっ！！
どうなってるんだ、コイツ？
この３ヶ月で、すっかり別人になってる！
僕のシナリオを、もう遥かに超えちゃってるじゃないか。
さすが、加速装置がついてるだけのことはある。
ふ・・・ん。
な〜んか面白くない。気に入らない。
こうなったら・・・

”ふらんそわーず！！！オナカスイタヨ〜〜！！！死ンジャウヨ！！早クみるく頂戴！！！”

「はいはい。すぐ行くわ！」
彼女は、００９の手を優しく振りほどくと、足早に部屋を出ていった。
フフフ！００９、勝負あったな。
一人残されて、ベッドの上で膝小僧を抱えている００９が、何やら悔しげにぶつぶつ呟いている。
でも、キミに文句言われる筋合いはないと思うな。
だってそうだろ？
キミ達がちゃんとこうなったのは、僕の深慮遠謀―――見事な陰謀（はかりごと）のおかげなんだから。
感謝してもらいこそすれ、恨まれる覚えはない。
それに、 これくらいの意地悪は、許されるはずだよね。
だってキミは、これからもずっと独り占めできるんだもの。
こんな素敵な、僕のママを。

瞳を潤ませながら優しく抱きしめてくれた柔らかな胸に、僕はそっと顔を埋めた。
★イラストはこちら★
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